第232回:“誰でもない男”はチャレンジャーで覚醒する
『Mr.ノーバディ』
2021.06.11
読んでますカー、観てますカー
ダメおやじのつまらない日常
2011年にスタートしたこの欄で、2回目に取り上げたのが『ミスター・ノーバディ』である。名匠ジャコ・ヴァン・ドルマルが手がけた難解で夢幻的なアート作品だった。今回は『Mr.ノーバディ』。こちらはストレートで痛快なアクション映画だ。誰もが文句なしに楽しめるエンターテインメント作品である。
ただ、冒頭ではジム・ジャームッシュ監督のミニマリズム映画『パターソン』のように、男の日常が繰り返し映し出される。彼は毎日バスで職場の金型工場に通い、つまらなそうに9時から5時まで勤務。門でいつもクルマにはねられそうになるところまで判で押したように同じだ。火曜日にはゴミ出しをしなければならないが、毎回ギリギリのところで収集車が行ってしまう。
そんなダメおやじだから、家族にもないがしろにされるのは当然だ。息子にはバカにされるし、ベッドでは妻が枕をタテに置いて境界線を作る。さらに彼の評価を下げたのは、自宅に強盗が侵入した事件だった。さしたる反撃もせず、やられるがまま。あまりのふがいなさに、息子はあきれ果てる。隣人からは「うちに来ていればぶちのめしてやったのにな!」と皮肉を言われ、勤務先の義弟にもののしられた。
しかし、彼は強盗が素人であることを見切っていたのだ。被害を最小限に抑えるため、あえて無駄な抵抗をせずにやり過ごすという選択をした。プロの手法である。温和な家庭人で真面目なサラリーマンというのは仮の姿だった。
主演は“おでん”カーク
“バカにしていた相手が実はスゴ腕だった”というのは、何度も繰り返し使われてきた設定である。『狼よさらば』のチャールズ・ブロンソンは模範的な市民だったし、『沈黙の戦艦』は戦艦ミズーリが舞台だがスティーヴン・セガールはコックだった。『96時間』のリーアム・ニーソン、『イコライザー』のデンゼル・ワシントンも、平穏な生活を営む普通の人である。
この映画の主人公ハッチ・マンセルは、彼らよりもはるかに“普通度”が高い。なにしろ見た目に華がなくて地味だ。ブロンソン、セガール、ニーソン、ワシントンはどこか鋭さやワイルドさを感じさせていたが、彼には強そうなオーラが備わっていない。そもそも、演じているボブ・オデンカークという人に見覚えがなかった。『サタデー・ナイト・ライブ』でレギュラーを務めたことがあり、この欄で紹介した『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』にも出演していたようだが、まったく記憶に残っていない。
日本での知名度が低いのは明らかで、予告編ではそれを逆手に取っていた。素の彼が現れて▲●■のチビ太おでんを持ち、「“おでん”カークって覚えてね?」とほほ笑むのだ。前回紹介した『アオラレ』の予告編ではラッセル・クロウが「アオッてんじゃねぇ!」と言ってウインクしていたし、昨今のハリウッドスターは親近感や好感度を大切にしているようだ。
さて、観客は主人公のハッチが本当にダメ男なのではないかという疑念を拭えないのだが、彼の通勤手段であるバスの中で事件が起きる。乗っていた若い女性にからんでいたチンピラをたしなめると、ジジイ呼ばわりされてキレたのだ。大暴れして半殺しにしてしまうが、中の1人はロシアンマフィアのボスの息子だった。彼は巨大組織から命を狙われることになってしまう。
お隣さんのマッチョカーを拝借
派手な乱闘や銃撃戦が展開されるのだが、困ったことがひとつある。本欄はクルマが活躍する作品を扱うのに、主人公はバス通勤なのだ。家にクルマはあるものの、奥さん用の「三菱RVR」だけ。カーチェイスには向かない。覚醒したハッチは、自分らしいクルマを手に入れて出撃することにした。マッチョ気取りのお隣さんが自慢気に見せびらかしている「ダッジ・チャレンジャー」である。『バニシング・ポイント』や『ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー』で爆走していた。アウトローの象徴のようなクルマに乗って覚醒したハッチは、もはや誰も止められない。
最後はワナを仕掛けまくった工場で決戦となる。スピーディーで迫力満点だ。地下トンネルのおざなりで雑な戦闘シーンをクライマックスに持ってきた『ランボー 最後の決戦』とは大違いである。音楽の使い方にもセンスがある。主人公が古いレコードの愛好家で、ニーナ・シモンの『Don't Let Me Be Misunderstood』が何度もかかり、戦闘シーンでルイ・アームストロングの『What a wonderful world』が流れる。盛り上げるところではパット・ベネターの『Heartbreaker』でアゲアゲ。絶妙なセレクトだ。
監督は斬新な一人称視点映画『ハードコア』で名を挙げたロシア生まれのイリヤ・ナイシュラー。撮影監督はアリ・アスター監督の『へレディタリー/継承』『ミッドサマー』で美しくも恐ろしい世界を現前させたパヴェウ・ポゴジェルスキ。優れた才能がタッグを組むと、ジャンル映画に新たなアイデアが盛り込まれることを証明した。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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