EV普及にはむしろ逆効果? 米大統領キモいりの「インフレ抑制法」が及ぼす“悪”影響
2022.08.29 デイリーコラム目的は海外製EVと中国製バッテリーの排除
2022年8月16日に、米国でバイデン大統領が署名して成立した「インフレ抑制法」。薬価の引き下げなど“インフレ抑制”の名にふさわしい項目も含まれるが、4370億ドル(1ドル=135円換算で約59兆円)にものぼる規模の同法の目玉は、EV(電気自動車)向けの税優遇措置やクリーンエネルギープロジェクト向けのインセンティブなど、3740億ドル相当のエネルギー・環境対策だ。気候変動対策としては過去最大といわれる内容だが、意外にもEV普及への悪影響が懸念されている。それはなぜか。
同法の成立で自動車業界が注目しているのは、エコカー購入に対する連邦税の税額控除だ。これまで米国では、EVやPHEV(プラグインハイブリッド車)のバッテリー性能に応じて2500~7500ドル(同33万7500~101万2500円)の税額控除を実施してきた。今回のインフレ抑制法では、EVやPHEVを購入する場合、最大で7500ドルの税額控除が受けられる点は同じだが、その条件が異なっている。
まず、税額控除が受けられる前提条件となるのが、北米(米国、カナダ、メキシコ)で組み立てられたEVであることだ。この結果、例えば欧州から輸入されているEVはすべて対象外となる。そのうえで、7500ドルの税額控除は2つの部分に分かれており、半分の3750ドルは、バッテリーに使われているコバルトやリチウムといった重要鉱物のうち、調達価格の40%が米国と自由貿易協定を結んでいる国で抽出あるいは処理されるか、北米でリサイクルされている場合にのみ適用される。調達価格に占める比率は段階的に引き上げられ、2027年販売以降には80%とするように求められている。
さらに残りの3750ドル分は、バッテリーに使われている部品のうち50%が北米で製造されていることが適用の条件だ。この北米製造比率も段階的に引き上げられ、2029年以降には100%にするよう求められている。つまりこの法案は、米国製のバッテリーを積んだ米国製のEVのみに税額控除を適用するという内容であり、海外製のEVや、世界で半分以上を占めるといわれる中国製のEVバッテリーを、米国市場から排除することを狙っているのは明白だ。
こうしたエネルギー・環境対策は、果たして米国製EVやPHEVの普及につながるのだろうか?
![]() |
GMもフォードも救われない可能性がある
インフレ抑制法による補助金は2022年12月31日以降に製造されるEVやPHEVから適用される予定だが、まず直面する問題が、同法に適合するEVが少ないということだ。欧州メーカーや韓国メーカーのEVはほとんど対象にならず、日本車でも対象になるのは米国で生産されている日産自動車の「リーフ」のみである。また米国製EVであっても、同法では対象となるEVの価格がSUV、ピックアップトラック、バンの場合には8万ドル以下であることが条件になる。セダンやハッチバック、ワゴン車の場合には5万5000ドル以下でないと対象にならない。米国の複数のメディアは業界団体のコメントとして、米国内で販売されているEVの7割は対象にならないと指摘している。
例えば米テスラの「モデルS」や「モデルX」、新興EVメーカーのリヴィアンやルーシッドの多くの車種も対象にならない。一方で、従来の税額控除ではEVやPHEVの累計販売台数が20万台を超えたメーカーは対象にならなかったため、テスラやGM(ゼネラルモーターズ)は対象から外れていた。この制限がインフレ抑制法ではなくなるため、テスラのなかでは低い価格帯の「モデル3」や「モデルY」は税額控除の対象となる。つまり当面、同法の恩恵を最も受けるのはテスラになりそうだ。
では米国内でEVを製造しているGMとフォードはどうか? GMは韓国LG化学と合弁で、オハイオ州で35GWhのバッテリー工場を運営しており、2023年にはさらに35GWhの新工場が稼働する。合計で70GWhの生産能力は、1台70kWhのEVで100万台分に相当する。フォードにバッテリーを供給する韓国SKイノベーションは2022年に21.5GWhの工場を操業し始めたほか、2025年にはフォードと合弁で合計129GWhの新工場を立ち上げる。米国製のバッテリーを積む米国製のEVなら、インフレ抑制法の恩恵にあずかれそうにみえる。
しかし韓国経済新聞の報道によれば、韓国のバッテリーメーカーは2021年にバッテリー正極材の前駆体材料の93%を中国から輸入したという。正極材のコストはバッテリー全体の40%を占めるといわれており、中国産の原料に頼る韓国メーカー製のバッテリーを積むGMやフォードのEVが、税額控除を受けられるかどうかは未知数だ。韓国メーカーも中国以外の材料調達先の開拓を急ぐが、同法の施行までに間に合う保証はない。もしGMやフォードの使うバッテリー原料が同法の適用条件に認められなければ、米国では税額控除をフルに受けられるメーカーはテスラだけになってしまうかもしれない。
このように、今回のインフレ抑制法が実際にもたらすのは、米国市場におけるEV普及の遅れかもしれないのだ。バイデン大統領がこの実態を理解しているかどうかは知る由もないが、彼の政権における環境対策の目玉政策が、結果としてEV普及を遅らせる結果になるとすれば、これほど皮肉なことはない。
(文=鶴原吉郎<オートインサイト>/写真=ゼネラルモーターズ、テスラ/編集=堀田剛資)
![]() |

鶴原 吉郎
オートインサイト代表/技術ジャーナリスト・編集者。自動車メーカーへの就職を目指して某私立大学工学部機械学科に入学したものの、尊敬する担当教授の「自動車メーカーなんかやめとけ」の一言であっさり方向を転換し、技術系出版社に入社。30年近く技術専門誌の記者として経験を積んで独立。現在はフリーの技術ジャーナリストとして活動している。クルマのミライに思いをはせつつも、好きなのは「フィアット126」「フィアット・パンダ(初代)」「メッサーシュミットKR200」「BMWイセッタ」「スバル360」「マツダR360クーペ」など、もっぱら古い小さなクルマ。
-
「eビターラ」の発表会で技術統括を直撃! スズキが考えるSDVの機能と未来 2025.10.3 スズキ初の量産電気自動車で、SDVの第1号でもある「eビターラ」がいよいよ登場。彼らは、アフォーダブルで「ちょうどいい」ことを是とする「SDVライト」で、どんな機能を実現しようとしているのか? 発表会の会場で、加藤勝弘技術統括に話を聞いた。
-
フォルクスワーゲンが電気自動車の命名ルールを変更 「ID. 2all」が「ID.ポロ」となる理由 2025.10.2 フォルクスワーゲンが電気自動車(BEV)のニューモデル「ID. 2all」を日本に導入し、その際の車名を「ID.ポロ」に改めると正式にアナウンスした。BEVの車名変更に至った背景と、今後日本に導入されるであろうモデルを予想する。
-
18年の「日産GT-R」はまだひよっこ!? ご長寿のスポーツカーを考える 2025.10.1 2025年夏に最後の一台が工場出荷された「日産GT-R」。モデルライフが18年と聞くと驚くが、実はスポーツカーの世界にはにわかには信じられないほどご長寿のモデルが多数存在している。それらを紹介するとともに、長寿になった理由を検証する。
-
なぜ伝統の名を使うのか? フェラーリの新たな「テスタロッサ」に思うこと 2025.9.29 フェラーリはなぜ、新型のプラグインハイブリッドモデルに、伝説的かつ伝統的な「テスタロッサ」の名前を与えたのか。その背景を、今昔の跳ね馬に詳しいモータージャーナリスト西川 淳が語る。
-
「MSRロードスター12R」が『グランツーリスモ7』に登場! その走りを“リアルドライビングシミュレーター”で体験せよ 2025.9.26 あの「マツダ・ロードスター」のコンプリートカー「MSRロードスター12R」が、リアルドライビングシミュレーター『グランツーリスモ7』に登場! 他業種(?)との積極的な協業により、運転する楽しさとモータースポーツの普及を進める、マツダの最新の取り組みに迫る。
-
NEW
BMW R12 G/S GSスポーツ(6MT)【試乗記】
2025.10.4試乗記ビッグオフのパイオニアであるBMWが世に問うた、フラットツインの新型オフローダー「R12 G/S」。ファンを泣かせるレトロデザインで話題を集める一台だが、いざ走らせれば、オンロードで爽快で、オフロードでは最高に楽しいマシンに仕上がっていた。 -
第848回:全国を巡回中のピンクの「ジープ・ラングラー」 茨城県つくば市でその姿を見た
2025.10.3エディターから一言頭上にアヒルを載せたピンクの「ジープ・ラングラー」が全国を巡る「ピンクラングラーキャラバン 見て、走って、体感しよう!」が2025年12月24日まで開催されている。茨城県つくば市のディーラーにやってきたときの模様をリポートする。 -
ブリヂストンの交通安全啓発イベント「ファミリー交通安全パーク」の会場から
2025.10.3画像・写真ブリヂストンが2025年9月27日、千葉県内のショッピングモールで、交通安全を啓発するイベント「ファミリー交通安全パーク」を開催した。多様な催しでオープン直後からにぎわいをみせた、同イベントの様子を写真で紹介する。 -
「eビターラ」の発表会で技術統括を直撃! スズキが考えるSDVの機能と未来
2025.10.3デイリーコラムスズキ初の量産電気自動車で、SDVの第1号でもある「eビターラ」がいよいよ登場。彼らは、アフォーダブルで「ちょうどいい」ことを是とする「SDVライト」で、どんな機能を実現しようとしているのか? 発表会の会場で、加藤勝弘技術統括に話を聞いた。 -
第847回:走りにも妥協なし ミシュランのオールシーズンタイヤ「クロスクライメート3」を試す
2025.10.3エディターから一言2025年9月に登場したミシュランのオールシーズンタイヤ「クロスクライメート3」と「クロスクライメート3スポーツ」。本格的なウインターシーズンを前に、ウエット路面や雪道での走行性能を引き上げたという全天候型タイヤの実力をクローズドコースで試した。 -
思考するドライバー 山野哲也の“目”――スバル・クロストレック プレミアムS:HEV EX編
2025.10.2webCG Movies山野哲也が今回試乗したのは「スバル・クロストレック プレミアムS:HEV EX」。ブランド初となるフルハイブリッド搭載モデルの走りを、スバルをよく知るレーシングドライバーはどう評価するのか?