第2回:「不幸な星の下に」いすゞ・ベレル(1962〜67)
2006.09.13 これっきりですカー第2回:「不幸な星の下に」いすゞ・ベレル(1962〜67)
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1960年代初頭、いすゞのフラッグシップとして登場したいすゞ「いすゞ」こといすゞ・ベレル。プチ“アメ車”風のライバルが割拠するなか、ピニンファリーナ調のボディをまとい、ヨーロッパの風をふかせてさっそうと登場したのだが……。
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■未消化なスタイリング
いすゞがRVを除く乗用車生産から撤退したのは、今から8年前の1993年。そこからさかのぼること30余年、 61年10月に発表され、翌62年4月に発売されたいすゞ初のオリジナル乗用車が「ベレル」である。ベレル(Bellel)という車名は、いすゞ(五十鈴)の「鈴」を意味する“bell”と「五十」を意味する“el”を組み合わせた造語であり、「いすゞベレル」とはすなわち「いすゞ・いすゞ」と名乗っていたことになる。
前身から数えれば戦前からの歴史を有するいすゞは、戦後は大型車専門メーカーとして再出発。乗用車部門進出に際しては英国ルーツグループと提携を結び、1953年からヒルマン・ミンクスのライセンス生産を開始した。ヒルマンの国産化から習得したノウハウをもとに誕生したモデルがベレルというわけだが、その車格はヒルマンよりひとつクラス上の5ナンバー・フルサイズだった。当時は乗用車といえば営業車(タクシー)需要抜きには考えられなかったため、トヨペット・クラウン、日産セドリック、プリンス・スカイライン/グロリアといった既存のライバルが群雄割拠する中型車市場に斬り込んだのである。
ベレルの基本構造は当然ながらヒルマンから踏襲したもので、モノコックボディ、サスペンションはフロントがダブルウィッシュボーン/コイルの独立、リアは半楕円リーフでリジッドアクスルを吊るというオーソドクスなものだった。いっぽう「欧州調の落ち着いたスタイル」といすゞが称したボディデザインは、アメリカ車の影響が強い同級他車のなかにあって、地味ではあるが異質だった。
いすゞ社内でまとめられたというスタイリングは、フロントマスクや直線的なサイドビューなどにランチア・フラミニアやプジョー404、オースチンA55といったモデルに通じる、 50年代後半〜60年代初頭のピニンファリーナ・デザインの影響が感じられる。しかし、リアに比べてフロントサイドウィンドウが極端に小さいなど、全体的なバランスが悪く、未消化の感は免れなかった。
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■ベレルの三重苦
エンジンは直4OHV1.5リッター(72ps)、2リッター(85ps)のガソリン、そして2リッター(55ps)のディーゼルという3種類が用意された。いずれも現在まで続く、同社の看板車種である小型トラック「エルフ」から流用したもの。のちにフローリアンやジェミニで開花する同社のディーゼル乗用車の歴史は、ここに始まったのである。また、クラウンをはじめとするライバルのエンジンが1.9リッターだったのに対し、ベレルは当初から2リッターフルスケールのエンジンをラインナップしていたのも、特色といえば特色だった。なお、当初のバリエーションは「1500スタンダード」「2000スタンダード」「2000デラックス」「ディーゼル(スタンダード仕様)」の4車種だった。
いすゞの期待を一身に担ってデビューしたベレルだが、それを製造する同社の藤沢工場もまた、ベレルと同じく61年秋に産声を上げたばかりだった。ベレルの生産開始がすなわち本格稼働の始まりとなったわけだが、このブランニューづくめが、結果的にベレルの出鼻をくじくことになった。生産工程、品質の双方にさまざまなトラブルが続出、その対策を講じ、ようやく品質が安定したのは発売翌63年の初頭だったという。
その渦中にありながらも、発売半年後の 62年11月には最高級グレードである「2000スペシャルデラックス」を追加。これはデラックスの内外装をより高級化し、エンジンの圧縮比を高めるとともに国産乗用車では初めてツインキャブを採用したもので、95psの最高出力は当時の国産乗用車中最強だった。
しかし、時を同じくしてライバルのクラウン、グロリアがフルモデルチェンジ。セドリックも大掛かりなフェイスリフトを実施し、イメージを一新した。大方の日本人にもわかりやすい「アメ車の縮小版」的なこれら同級他車と比べ、ベレルのスタイリングは、デビュー後わずか半年にしてひと世代古く見えるようになってしまった。そもそも最後発で販売力は弱く、品質には問題があり、おまけに見栄えがしないとなれば、ベレルの苦戦は火を見るより明らかだった。
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■不気味なほどの野暮ったさ
翌1963年5月には、発表時から存在していた4ナンバーの商用バンである「エキスプレス」および「2000ディーゼル・スペシャルデラックス」を発売、同年10月、また翌64年10月にもマイナーチェンジが施されたが、状況は好転しなかった。
セールスは徐々にディーゼルの経済性に着目した営業車需要に傾斜していき、その割合は販売当初の約2割から、1年後には5割、そして65年には8割までをディーゼル車が占めるようになった。特有の騒音・振動がタクシードライバーに不評で、乗員には騒音・振動手当てがついたとまでいわれていたその需要も、やがてLPG車の普及により激減。デビュー年度の62年にはなんとか10%を超えた中型車市場全体におけるベレルのシェアは、65年になると2%強にまで低下した。
65年10月、ベレルは生涯最後の、そしてもっとも大規模なマイナーチェンジを受ける。ヘッドライトを縦型デュアルに改め、特徴的だった三角形のテールランプを廃止するなど、リアエンドも大幅に改変した。しかし、時すでに遅し。というか、ベレルの窮状はもはやマイナーチェンジなどで解決できる問題ではなかったのだ。
しかもその内容が悪すぎた。マイナーチェンジの名のもとに、オリジナルの意図をまったく無視した「改悪」をやってのけるのは日本車の得意技だが、このベレルの場合は、それも極まれりといった感がある。バランスが悪いとはいえ、ひいき目に見ればイタリア風に見えないこともないオリジナルのベレルに対し、最終型はまるで中国あるいは旧東欧諸国のクルマのような、不気味なほどの野暮ったさにあふれており、とてもじゃないがあのベレGと同じメーカーの作とは思えない。
それでもこの姿のまま細々と作り続けられたが、5歳の誕生日を迎えた直後の67年5月に生産中止。残った在庫は「3台まとめていくら」といった調子で叩き売られたという。
その誕生から最期まで、一代限りで消え去ったベレルの生涯は、不幸な星の下に生まれたとしかいいようがない。新車時の国内登録台数は約3万台だが、現在では旧車イベントや旧車専門店などでもまず見かける機会のない、相当にレアな車種となっている。
(文=田沼 哲/2001年4月20日)

田沼 哲
NAVI(エンスー新聞)でもお馴染みの自動車風俗ライター(エッチな風俗ではない)。 クルマのみならず、昭和30~40年代の映画、音楽にも詳しい。
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第53回:「これっきりモデル」in カローラ・ヒストリー〜その4「謎のスプリンター」〜 2006.11.23 トヨタ・スプリンター1200デラックス/1400ハイデラックス(1970-71)■カローラからの独立1970年5月、カローラが初めて迎えたフルモデルチェンジに際して、68年に初代カローラのクーペ版「カローラ・スプリンター」として登場したスプリンターは、新たに「トヨタ・スプリンター」の名を与えられてカローラ・シリーズから独立。同時にカローラ・シリーズにはボディを共有する「カローラ・クーペ」が誕生した。基本的に同じボディとはいえ、カローラ・セダンとほとんど同じおとなしい顔つきのカローラ・クーペに対して、独自のグリルを持つスプリンターは、よりスポーティで若者向けのムードを放っていた。バリエーションは、「カローラ・クーペ」「スプリンター」ともに高性能版の「1200SL」とおとなしい「1200デラックス」の2グレード。エンジンは初代から受け継いだ直4OHV1166ccで、「SL」にはツインキャブを備えて最高出力77ps/6000rpmを発生する3K-B型を搭載。「デラックス」用のシングルキャブユニットはカローラとスプリンターで若干チューンが異なり、カローラ版は68ps/6000rpm(3K型)だが、スプリンター版は圧縮比が高められており73ps/6600rpm(3K-D型)を発生した。また、前輪ブレーキも双方の「SL」と「スプリンター・デラックス」にはディスクが与えられるのに対して、「カローラ・クーペ・デラックス」ではドラムとなっていた。つまり外観同様、中身も「スプリンター」のほうがよりスポーティな味付けとなっていたのである。しかしながら、どういうわけだか「スプリンター1200デラックス」に限って、そのインパネには当時としても時代遅れで地味な印象の、角形(横長)のスピードメーターが鎮座していたのだ。
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第52回:「これっきりモデル」in カローラ・ヒストリー〜その3「唯一のハードトップ・レビン」〜 2006.11.15 トヨタ・カローラ・ハードトップ1600レビン(1974-75)■レビンとトレノが別ボディに1974年4月、カローラ/スプリンターはフルモデルチェンジして3代目となった。ボディは2代目よりひとまわり大きくなり、カローラには2/4ドアセダンと2ドアハードトップ、スプリンターには4ドアセダンと2ドアクーペが用意されていた。このうち4ドアセダンは従来どおり、カローラ、スプリンターともに基本的なボディは共通で、グリルやリアエンドなどの意匠を変えて両車の差別化を図っていた。だが「レビン」や「トレノ」を擁する2ドアクーペモデルには、新たに両ブランドで異なるボディが採用されたのである。カローラはセンターピラーのない2ドアハードトップクーペ、スプリンターはピラー付きの2ドアクーペだったのだが、単にピラーの有無ということではなくまったく別のボディであり、インパネなど内装のデザインも異なっていた。しかしシャシーはまったく共通で、「レビン」(型式名TE37)および「トレノ」(同TE47)についていえば、直4DOHC1.6リッターの2T-G/2T-GR(レギュラー仕様)型エンジンはじめパワートレインは先代から踏襲していた。ボディが大型化したこと、および双方とも先代ほど簡素でなくなったこともあって車重はレビン930kg、トレノ925kgと先代より60〜70kg前後重くなった。
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第51回:「これっきりモデル」in カローラ・ヒストリー〜その2「狼の皮を被った羊(後編)」〜 2006.11.10 トヨタ・カローラ・レビンJ1600/スプリンター・トレノJ1600(1973-74)■違いはエンブレムのみ1972年3月のレビン/トレノのデビューから半年に満たない同年8月、それらを含めたカローラ/スプリンターシリーズはマイナーチェンジを受けた。さらに翌73年4月にも小規模な変更が施されたが、この際にそれまで同シリーズには存在しなかった、最高出力105ps/6000rpm、最大トルク14.0kgm/4200rpmを発生する直4OHV1.6リッターツインキャブの2T-B型エンジンを積んだモデルが3車種追加された。うち2車種は「1600SL」と「1600SR」で、これらはグレード名から想像されるとおり既存の「1400SL」「1400SR」のエンジン拡大版である。残り1車種には「レビンJ1600/トレノJ1600」という名称が付けられていたが、これらは「レビン/トレノ」のボディに、DOHCの2T-Gに代えてOHVの2T-B型エンジンを搭載したモデルだった。なお、「レビンJ1600/トレノJ1600」の「J」は「Junior(ジュニア)」の略ではないか言われているが、公式には明らかにされていない。トランクリッド上の「Levin」または「Trueno」のエンブレムに追加された「J」の文字を除いては、外から眺めた限りでは「レビン/トレノ」とまったく変わらない「レビンJ/トレノJ」。だがカタログを眺めていくと、エンジンとエンブレムのほかにも「レビン/トレノ」との違いが2点見つかった。
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第50回:「これっきりモデル」in カローラ・ヒストリー〜その1「狼の皮を被った羊(前編)」〜 2006.11.6 誕生40周年を迎えた2006年10月に、10代目に進化したトヨタ・カローラ。それを記念した特別編として、今回は往年のカローラおよびその兄弟車だったスプリンター・シリーズに存在した「これっきりモデル」について紹介しよう。かなりマニアックな、「重箱の隅」的な話題と思われるので、読まれる際は覚悟のほどを……。トヨタ・カローラ・レビンJ1600/スプリンター・トレノJ1600(1973-74)■スパルタンな走りのモデル型式名TE27から、通称「27(ニイナナ)レビン/トレノ」と呼ばれる、初代「カローラ・レビン1600/スプリンター・トレノ1600」。英語で稲妻を意味する「LEVIN」、いっぽう「TRUENO」はスペイン語で雷鳴と、パンチの効いた車名を冠した両車は、2代目カローラ/スプリンター・クーペのコンパクトなボディに、セリカ/カリーナ1600GT用の1.6リッターDOHCエンジンをブチ込み、オーバーフェンダーで武装した硬派のモデルとして、1972年の登場から30余年を経た今なお、愛好家の熱い支持を受けている。「日本の絶版名車」のような企画に必ずといっていいほど登場する「27レビン/トレノ」のベースとなったのは、それらが誕生する以前のカローラ/スプリンターシリーズの最強モデルだった「クーペ1400SR」。SRとは「スポーツ&ラリー」の略で、カローラ/スプリンター・クーペのボディに、ツインキャブを装着して最高出力95ps/6000rpm、最大トルク12.3kgm/4000rpmを発生する直4OHV1407ccエンジンを搭載したスポーティグレードだった。ちなみにカローラ/スプリンター・クーペには、1400SRと同じエンジンを搭載した「1400SL」というモデルも存在していた。「SL」は「スポーツ&ラクシュリー」の略なのだが、このSLに比べるとSRは装備が簡素で、より硬い足まわりを持った、スパルタンな走り重視のモデルだったのである。
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第49回:『唯一無二』日野コンマース(1960-62)(その4) 2006.9.13 新しいコンセプトのトランスポーターとして、1960年2月に発売された日野コンマース。だがそのセールスははかばかしくなかった。
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