アストン・マーティン ヴァンキッシュ(FR/6AT)【試乗記】
洗練と、野性と 2013.04.11 試乗記 アストン・マーティン ヴァンキッシュ(FR/6AT)……3531万7800円
“究極のスーパー・グランドツアラー”とうたわれる、新型「ヴァンキッシュ」が登場。カーボンパネルを全身にまとった、フラッグシップの仕上がりは?
5年ぶりの復活
センターコンソール上のスロットにクリスタルのキーユニットを挿入し、ゆっくりと押しこむ。一瞬の間の後に長めのクランキングがあり、快音とともに12気筒が目覚める。至福の時だ。「アストン・マーティン」に乗るたび、必ず行う儀式である。これは新型「ヴァンキッシュ」なのだから、感慨も格別だ。5年のブランクを経て、ようやく復活したのだ。
2007年に生産が終了し、「DBS」にフラッグシップモデルの座を譲った格好になっていた。映画『007』でも『ダイ・アナザー・デイ』ではヴァンキッシュがボンドカーだったが、『カジノ・ロワイヤル』ではDBSに変わった。2010年に、アストン・マーティンはわずか77台の限定モデルである「One-77」を発表した。その経験が、新型ヴァンキッシュにつぎ込まれているという。
V12エンジンは改良型ブロックにデュアル可変バルブタイミング機構が組み込まれたヘッドが与えられ、インテークマニホールドも新たな形状となった。最高出力は573psまで引き上げられたが、最高速度は295km/hに抑えられている。“抑えた”というのも変だが、「DB9」では306km/hだったのだから仕方がない。
アルミニウム材を用いて接着するVH(ヴァーティカル・ホリゾンタル)構造を受け継ぎ、さらにカーボンファイバーを多用することで軽量化と剛性の向上を図った。サイドスカートやリアディフューザーにはむき出しのカーボン材が使われているのでわかりやすいが、美しく塗装されたボディーパネルもすべてカーボン製なのだ。
職人技の革と最新のタッチスクリーン
ドアを開けてまず目を引くのは、シートに施されたステッチだ。丸みを帯びたひし形が連なったような模様は、なんとも妖しい香気を発している。エレガントの極み、なのだろう。3000万円超のクルマの世界は尋常な感覚では測れない域に達していて、実は正直なところセンスがいいのか悪いのかすら判断がつかない。
ただ、上質であることだけはわかる。シートだけではなく、ステアリングホイールやダッシュボードに張られた革の柔らかくしなやかなこと! 資料によれば、7種類の革素材を職人が70時間以上かけて仕上げていて、100万以上の運針が施されているという。書いていながら、数字の意味がよくわからないレベルだ。
センターコンソールはカーボンファイバー仕上げになっていたが、無地の黒や赤なども選べるようだ。表面はタッチスクリーンになっていて、「MENU」や「NAVI」などの文字やアイコンが並んでいる。触れると微音を発するとともに指先に微振動を伝え、指示を受け入れたことを知らせるのだ。「ハプティックフィードバック」と名付けられたこの機構とダイヤルスイッチを組み合わせて、エアコンやナビなどの操作を行う仕組みである。
その上部、キーユニットを差し込んだスロットの左右に2つずつボタンがある。一番右にある「D」を押してアクセルを踏むとヴァンキッシュは滑らかに動き出した。エンジンを始動させた時の快音は、すでに封印されている。持てる力の数パーセントしか使っていないのだから、コクピットは静かなものだ。それでもV12がそこにあるという感覚は常に伝わってきて、秘めたポテンシャルを発揮するステージを待ち望んでいるように感じる。
「S」ボタンで攻撃的に
高速道路に入っても、巡航は平和そのものだ。スピードメーターは360km/hまでのスケールだから、法定速度では針はわずかしか動かない。0-100km/h加速が4.1秒ということを考えると、法律を順守するためにはメーター内に示されるデジタル表示を注視していなければならない。料金所からの加速で快音に酔いしれるのは、ほんの一瞬だけなのだ。
ヴァンキッシュの性能を引き出すにはサーキットに持ち込むよりないだろうが、公道でも楽しめるように仕掛けが用意されていた。ステアリングホイールにそこだけ赤い「S」ボタンがあり、押すとエキゾーストノートが明確に攻撃的な音色に変わる。アクセルを踏み込まなくても激しく雄たけびをあげ始め、気分だけでも別世界に飛び立つことができるのだ。スロットルレスポンスやシフトのモードも変わるので、実際の走りがスポーティーになるのはもちろんである。
野性味のある音に従うように、乗り心地はかなり硬い。優雅な香りの漂う空間に収まっていると、うっかりクルマ自体も穏やかな性格を持っていると勘違いしてしまいそうになる。しかし、ヴァンキッシュは真性のスポーツカーなのだ。何よりもタイヤが路面をしっかりとつかむことが優先されている。「ADS(アダプティブ・ダンピング・システム)」でサスペンションの設定を変更することができ、公道からサーキットまでをカバーする。
運転席では心地よいコンパクトさを感じるが、乗員スペースは歴代モデルに比べて拡大されているそうだ。収納スペースもDBS比で140パーセント増だというが、実用性を気にかけるオーナーはあまりいないだろう。シートレイアウトは2+0と2+2があり、試乗車にはリアシートが備えられていた。ただ、よほどの緊急事態でなければ乗り込む決心はつかない代物だ。
快音でV12を実感する
カーボンボディーの剛性感を堪能できるのは、やはり山道だ。「S」ボタンを押し、パドルを使ってマニュアルで操作する。箱根はヴァンキッシュのサイズには狭すぎるかと案じたが、運転席からはボディーが小さく感じられ、苦労はなかった。コーナーでの安定感は無類のものだ。車両重量の85パーセントをホイールベース内に収め、前後重量配分を50:50に近づけた効用だろう。エンジンをフロントミドに置き、トランスアクスルを採用している。また、エンジン搭載位置はDBS比で19mm下げられた。
コーナーを脱する際にアクセルを踏み込むと、木々の間に凄(すご)みのあるエキゾーストノートが響きわたる。鋭い加速が始まるとすぐに次のコーナーが現れ、CCM(ブレンボ・カーボンセラミック・マトリックス)ブレーキシステムが強力な制動を見せてくれる。下りの道でも、このブレーキの安心感には助けられた。
箱根でもこのクルマの実力は半分も出せないが、V12の奏でる快音だけは十分に楽しむことができた。自分が比類のない素晴らしいエンジンを操っているという事実が、音によって実感できる。並外れたパワーを持つスーパースポーツは、全貌(ぜんぼう)をとらえ切ることがむずかしい。それでも、音を媒介にしてそのエッセンスに触れることはできるのだ。
運転席から降り、あらためてヴァンキッシュのスタイルを眺めてみる。堂々たるリアフェンダーの膨らみは躍動感にあふれているが、上方にいくに従って端然としたたたずまいに変わっていく。間をつなぐ曲面は、性質の異なるフォルムを優美に変容させ、いささかも破綻を見せない。顔つきは気品をたたえているが、洗練の中に野蛮な力感を潜ませている。
運転しているときの印象が、そのままスタイルに示されていた。エレガントさとダイナミックさが共存するところに、アストン・マーティンの精髄がある。ジェームズ・ボンドが愛してやまないのは、その奔放とも言うべき二面性なのだ。
(文=鈴木真人/写真=荒川正幸)
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鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。