第179回:上海モーターショーの読み解き方
巨大ショーを取材して感じたこと
2013.04.25
エディターから一言
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2001年の落成時には、わずか4ホールしかなかった上海新国際博覧中心。この展示場は中国の経済発展とともに拡大し、2012年に17ホールのフル展示態勢を整えて、第15回上海モーターショーの開催に備えた。そこで筆者が感じたものは……。巨大モーターショー取材歩きの記。
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波乱の1日間
インタビューした上海GMキャデラックディビジョンのゼネラルディレクター、ケビン・チェン氏が力説していた。 「今年の上海モーターショーの入場者数は、おそらく85万人を超えるだろう」
モーターショーが行われる「上海新国際博覧中心」は浦東地区にある。よく日本のテレビで「発展する中国」などと紹介される際のイメージ画像で用いられる一帯、つまり川のほとりの超高層ビルと球体を串刺しにしたようなテレビ塔がある地区から、7、8kmぐらい離れた新開地だ。コンベンションセンター、ホテル、ショッピングセンターなどが建っている。
コンベンションセンターは巨大だ。17ものパビリオンが三角形状に並んで建ち、その内側の敷地中心にもトラックメーカーやパーツメーカーのテント展示が所狭しと並んでいる。
自動車メーカーは17のパビリオンの中に出展しており、その総数は約100社といわれている。ややこしいのは、中国のメーカーが単独で展開している場合があれば、同時に外国のメーカーとともに展開している場合もあることだ。日本のメーカーも複数の中国メーカーと提携している。
フェラーリやベントレー、ポルシェのような少数生産メーカーは、それには当てはまらないからわかりやすいのだが、提携があるメーカー同士の相関図は、すぐには飲み込みにくい。
プレスデイは4月20日だけだったので、プレスカンファレンス(記者会見)は重複する。だから当然、すべてに出席することは不可能だ。 あとからブースを訪れても、メーカーのブースでは英語を解さない担当者もいるので、取材は思うようにはかどらない。いきおい、展示車を見ただけで判断しなければならない割合が高くなってしまう。
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「群盲象を撫ず」がごとし
ここには世界中のあらゆる需要と流行がそろっている。それらを“パクリ”と嘲笑(あざわら)うのは簡単なことだけれども、日本人は彼らを笑えない。1950年代には日本に二輪メーカーが100社以上あり、オリジナリティーのあるバイクを造っていたのはホンダとヤマハとスズキの3社だけ(カワサキはまだバイクを造っていなかった)。残りはイギリスとドイツとアメリカのバイクのコピーだったからだ。
現代は情報の流れが速く、成長途上にある中国に、世界のクルマの表徴がそろっているのは必然だ。
「中国は、日本や欧米諸国が段階を経て発展してきたプロセスを、ひと足飛びにスキップしている最中なのだ。オーディオに例えてみれば、あなた方がビートルズを、LPレコードからカセットを経てCDで聞いてきたのに対して、われわれが聞くようになったのはCDからだ。その前を経験していない」 チェン氏の言葉には実感がこもっていた。
「2012年に中国でキャデラックは3万台売れたが、今年に入って月に3600台のペースに増えた。4万台以上売れるだろう」
上海GMがキャデラックを売るようになったのは2004年からにすぎない。それでも、「中国人はキャデラック100年の伝統と最新技術を好んで買っている」とチェン氏は豪語していた。
僕らの社会や、僕らのクルマとの付き合い方と、中国人のそれとの隔たりは大きいと、嘆くばかりで済ませたくはない。けれども、中国の図体(ずうたい)の大きさは、まったくもって群盲象を撫(な)ずの故事成語に等しい。 それでも、今回の上海モーターショーでは新しい傾向のひとつをつかむことができたのは収穫だった。詳しくは、「日産フレンド・ミー」と「フォード・エスコート コンセプト」のリポートに記したので、そちらを併せて読んでほしい。
(文=金子浩久/写真=金子浩久、SNIEC)