第78回:グロリアに乗って娘を探す元刑事を役所広司が怪演!
『渇き。』
2014.06.27
読んでますカー、観てますカー
日本発の“痛い映画”
“痛い映画”というものがある。単に暴力描写の多い映画ではない。ホラー映画やカンフー映画などのジャンルものであれば、切り裂いたり殴ったりしても一種の様式美だ。だから、余裕を持って対することができる。厄介なのは、ヒリヒリするような切実さとリアリティーを持つ生々しい暴力描写だ。登場人物がひどいい目に遭うと、こちらに直接的に痛みが伝わってくる。痛いのは嫌だから目を背けたいのだが、それを許さない迫力がある。
このジャンルは、最近では韓国映画の独擅(どくせん)場だった。『息もできない』『悪魔を見た』『嘆きのピエタ』と、素晴らしい作品をいくらでも挙げることができる。そのものズバリの『痛み』という映画もあった。どの作品も、痛み描写に手を抜いていない。中途半端に描くと、てきめんにリアリティーは失われる。作品自体の力がなくなってしまうのだ。痛みがピュアになるほどに、向こう側にある怒りや悲しみがあらわになってくる。
『渇き。』は、韓国映画への日本からの回答だ。“痛い映画”の新たな展開を示している。その痛みは、重量感を持ちながらもポップでカラフルだ。スピード感があり、どこかファッショナブルですらある。武骨にひたすらパワーで押しまくる韓国映画とは好対照だ。そうは言っても、本当にすさまじい暴力描写がある。そのせいで、R-15指定になってしまったほどだ。そういったシーンに弱い人には、とてもおすすめできない。
原作は、2004年の『このミステリーがすごい!』大賞を受賞した深町秋生の『果てしなき渇き』である。監督は『下妻物語』『嫌われ松子の一生』『告白』の中島哲也。彼はいつも原作をはるかにしのぐレベルの映画を作り上げてきたが、今回も期待にたがわない仕上がりだ。
不倫にキレてクルマで突っ込む
映画は、口元のアップの映像で始まる。「愛してる……」「ブッ殺す!」「ふざけんな!」と声が重なり、いきなり不穏な空気に包まれる。ひげ面で怒鳴っていたのは、元刑事の藤島だ。不祥事を起こしてクビになり、現在は警備会社に勤めている。通報を受けてコンビニエンスストアに急行すると、中には3人の惨殺死体があった。第一発見者である彼は、警察の取り調べを受けることになる。尋問するのは、かつての同僚や部下だ。
この藤島という男、見た目が何とも汚らしい。8月の暑さと湿気が絡まり、皮膚には脂っこい膜がこびりついている。彼の住む安アパートには残飯や酒瓶が転がっていて、不衛生極まりない。見た目以上にひどいのが中身だ。直情径行でキレやすく、自分中心にしか物事を考えられない。刑事をクビになったのは、妻の不倫現場を目撃してクルマで突っ込んだからだ。いい年をしているが、思慮の浅い最低な人間である。演じているのは役所広司だ。普通こんな役は嫌がりそうなものだが、「役者冥利(みょうり)につきます!」と言って引き受けたそうだ。
藤島のもとに、別れた妻から電話がかかってくる。高校3年生の娘・可奈子がいなくなったというのだ。1年も会っていなかった娘だが、彼は捜索に乗り出すことにする。娘が彼の知らないとんでもない秘密を持っていたことがわかったのだ。藤島は可奈子の友達や恩師に話を聞いてまわり、優等生だと思っていた彼女の裏の顔を知ることになる。回想シーンに出てくる可奈子を演じるのは、元モデルの小松菜奈。透明感のある清楚(せいそ)な女子高生の姿に底知れぬ闇をのぞかせる仕草と表情は、これが映画デビュー作とは思えない落ち着きである。
この映画には、病んでいない人物などひとりとして登場しない。二階堂ふみは可奈子の中学時代の同級生・遠藤を、嫉妬と羨望(せんぼう)の入り交じった暗い目で演じた。高校の同級生・森下役では、橋本愛が『あまちゃん』のユイちゃん以来の凶暴さを見せている。藤島の後輩刑事・浅井は妻夫木聡で、彼は軽薄な人間をやらせると喜々として自然に振る舞う。黒沢あすか、オダギリジョー、中谷美紀、青木崇高、國村隼らが、それぞれにロクでもないクソ人間を過剰なまでに表現する。
凶器にもなるグロリア
原作とは、設定が変わっている部分がいくつかある。そのひとつが、藤島の乗るクルマだ。原作では「グレイのカローラ」となっていたが、映画では「日産グロリア」だ。5代目だから、1970年代後半のモデルである。藤島は離婚で家族と住んでいたマンションを追い出されてすべてを失っているから、安い中古車にしか乗れないという設定なのだろう。ただ、オークションサイトをのぞいてみると、この世代のグロリアには100万円近い値札が付いていた。そろそろマニアックなクルマの仲間入りをしているのだろうか。
このグロリアが、映画では大活躍する。埼玉県の各所をグロリアで巡って聞きこみをし、グロリアで殴り込みをかける。もっと直接的に、グロリアは凶器にもなるのだ。穏健な用法ではないが、ポテンシャルは十全に引き出されている。クラシカルな迫力をかもし出すマスクのグロリアは、映画としては正しい選択だろう。
この映画では、今話題のシャブが重要な要素となっている。つまり、覚せい剤だ。時節柄ナーバスなアイテムで、大物俳優の役所がそんな映画で主演するのはリスキーではないかと危ぶむ人もいたようだ。しかし、まったく心配することはない。彼は以前、もっとヤバい作品に出演している。1996年の映画『シャブ極道』だ。性描写ではなく、シャブ描写のせいで成人指定になってしまったという、いわくつきの作品である。
役所はシャブ中のヤクザの役で、映画の冒頭ではスイカにシャブをふりかけて食べるシーンがある。彼は罪悪感がないどころかシャブを礼賛していて、「人間はな、シャブで幸せになれるんや!」という狂ったセリフがあるほど。現在では、成人指定でも公開が難しいかもしれない。彼は1973年の大阪の街を「三菱デボネア」で走り回っていて、その姿が今回のグロリアに乗る彼の様子に重なって見える。
それでも今回のグロリアのほうがデボネアよりもスタイリッシュに見えるのは、それがポップなアイコンとして登場しているからだろう。暴力も同じで、それは映画を構成する必要不可欠な要素として扱われている。凄惨(せいさん)な話を扱いながら、作品にはインテリジェンスと洗練が漂う。中島監督の手腕には、感服するばかりだ。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。