フォルクスワーゲン・ゴルフTSIトレンドライン プレミアムエディション【試乗記】
スティーブは褒めてくれる 2011.10.23 試乗記 フォルクスワーゲン・ゴルフTSIトレンドライン プレミアムエディション……263万円
一部装備を見直し、グレード名も変更された「フォルクスワーゲン・ゴルフ」。自動車のスタンダードで居続けるゴルフにあらためて試乗し、思ったこととは。
1974年以来のスタンダード
1980年当時、スティーブ・ジョブズの愛車は「ポルシェ928」だった。新しいパーソナルコンピューターの構想を練っていた彼は、「Macの筐体(きょうたい)はフォルクスワーゲンではなく、ポルシェのようであるべきだ」と語ったという。
この時、ジョブズはまだ25歳の血気盛んな若者だった。後年の透徹したビジョンを手に入れてはおらず、試行錯誤の中にいたのだ。才能にあふれ、新しいものを作り出そうと意欲を燃やしていた青年は、1977年に発売されたばかりの新世代ポルシェに未来を見ていた。パーソナルコンピューターの世界で独創的な操作方法を持つ画期的な製品を世に出そうと苦闘していた時期であり、928に自らを重ねあわせていたのだろう。そして、1984年にマッキントッシュが発売される。翌1985年、彼はアップルを追われることになる。
1997年に復帰したジョブズは、倒産の危機に瀕していたアップルを見事によみがえらせた。iMacに始まり、iPod、iPhone、iPadと次々に新製品を発表し、デジタルの世界を変革した。そのすべてが、スタンダードとして世界に流通している。彼がかつて侮っていたフォルクスワーゲンのように。
1974年のデビュー以来、「フォルクスワーゲン・ゴルフ」は今もなお自動車のスタンダードとして流通し続けている。現在のモデルは6代目で、日本では2009年から販売されている。2011年9月には待望の「ゴルフカブリオレ」が発売され、35周年記念モデルの「ゴルフGTIエディション35」が限定販売されている。バリエーションを広げているゴルフシリーズだが、それに先駆けて量販ラインの見直しが行われていた。今回試乗したのは、ベーシックグレードの「TSIトレンドライン プレミアムエディション」だ。
シンプルな造形と操作性
久しぶりに乗るゴルフは、まさにど真ん中のスタンダードだった。外見を眺め、ドアを開け、運転席に座って、なにも心に引っかかるものがない。凡庸で特徴がない、という意味ではない。すべてが自然で、気持ちに寄り添うのだ。ことさらに人を驚かせようとする作為が感じられない。これがスタンダードであることの強みである。ライバルたちのように、何か際立つ特徴を打ち出そうと躍起になる必要がない。iPodのシンプルな造形と操作性は、競合製品のデコラティブな意匠の中でひときわ輝いていた。ゴルフも事情は同じだ。
ドアハンドルは質実なグリップ式で、安心感がある。インストゥルメントパネルには必要にして十分なメーターとスイッチが並び、ひと目で情報を受け取り、正確に操作することができるよう工夫されている。いや、工夫の痕跡すら感じないほどに普通なのだ。雑味がないから、ドライバーは落ち着いた気持ちで運転に勤しむことができる。革巻きに変更されたステアリングホイールは、手のひらにしっくりなじむ。
「ポロ」に乗ったときは軽快さとフレンドリーな性格を感じたが、同じ1.2リッターターボエンジンを積むゴルフは、見事にしっとりとした重みを演出している。小排気量エンジンで高級感を醸しだすなんて、少し前には考えられないことだった。この傑作エンジンは、常識はずれの芸当を成功させてしまっている。ボンネットを開けてみると、最近では見たことのないような隙間だらけの空間がある。ダウンサイジングを、ビジュアルで実感する。
エンジンのセッティングには小変更が施されていて、従来は最大トルクの発生回転数が1550rpmからだったのが1500rpmに下がっている。わずか50rpmの差を実感するのは無理だったが、より低回転から実用域に達するのはいいことに決まっている。その影響もあってか、燃費も17.0km/リッターから17.4km/リッターに向上している。さらに外装ではアルミホイールとフロントフォグランプが新たに採用され、従来モデルに比べて6万円のプラスとなった。納得できる値上げであり、この上質さと実用性で263万円という価格は、まちがいなくバーゲンプライスだ。
スタンダードであり続けること
都心から中央道で青梅に至り、秩父から長瀞を経て関越道で帰還するというルートで試乗した。高速道路、山道、市街地のいずれでも、ゴルフは十分以上の走りを見せた。1.2リッターTSIエンジンと7段DSGの合い口のよさが、オールマイティーな動力性能を生み出している。発進加速、中間加速ともに力強ささえ感じさせ、不満をもたらさない。積極的に飛ばそうという気分を呼び起こすものではないが、もちろんこのクルマには必要のないことだ。
路面の悪い道も通ったが、衝撃を柔らかに受け止め、どっしりと収束させる。ポロのように天上に突き抜けていくのではなく、大地に沿って重心を移動させていく感覚だ。重々しかったり尊大だったりはしないで、あくまで実直に快適な乗り味を追求しているように感じる。過剰感も欠落感もなく、まことに律儀に自動車としての仕事を遂行している。
10年前だから「ゴルフIV」の時代だが、「トヨタ・カローラ」と乗り比べた記事でゴルフに苦言じみたことを書いたことがある。やたらに硬いサスペンションにパワー不足のエンジン、しつけの悪いATと柔らかすぎるブレーキフィールに文句をつけたのだ。一貫した信条でクルマづくりをしているのはわかるが、うまくバランスがとれていない、と。ゴルフですら、もがきながら道を求める時期もある。しかし、今のゴルフはクルマづくりの信条はしっかりと保持したままで、ネガな部分をすっかり消している。文句をつけるどころか、感嘆するばかりである。
スタンダードであり続けるとは、常に先端であるということだ。明確なビジョンを持ちつつ、大衆性を獲得し、未来を予見して新たな領域に挑戦していかなくてはならない。スタンダードを生み出す苦労を経験し、見事なまでの成功を収めた後に、スティーブ・ジョブズは、若き日の考え違いに気づいたに違いない。実際のところ、彼が作り上げたのは、デジタル界のフォルクスワーゲン・ゴルフだったのだから。
(文=鈴木真人/写真=菊池貴之)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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