第72回:今年こそクルマを買わない宣言!
2018.01.09 カーマニア人間国宝への道今年こそ地味な年に!
カーマニアの皆さま、新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
昨年中に赤い玉号こと「フェラーリ328GTS」健全化の章が終了。我がカーライフにおいて、本年は大変地味な年になりそうです。
いや、地味な年にしなければいけない! そう固く心に誓っています。
本年の抱負。それは、「今年こそクルマを買わない」。これであります。
私はこれまで、47台のクルマを買ってきました。今年こそクルマを買うのをやめようと思うのですが、ほぼ毎年買ってしまっているのです。
もちろん昨年も、「今年こそクルマを買わない!」と心に誓ったのですが、結局2台買ってしまいました。当連載でも延々報告させていただいた、フェラーリ328GTS(赤い玉号)と「BMW 320d」(エリート特急)の2台で御座います。
もうクルマを買うのは飽き飽きだ!
いや、クルマを買うのが最大の趣味だし、一番好きなことだけど、いくらなんでも多すぎる! 何事もヤリスギはダメ! ちょっと飢えてるくらいがちょうどいい。仕事も趣味も。そうですよね?
そう誓いながら、ふと思いました。
クルマを買うことが最大の趣味である不肖ワタクシが、これまでクルマを買わなかった年は、一体何回あるのかと。
クルマと歩んだ四半世紀
私が最初に自分のカネでクルマを買ったのは87年。25歳の時。「日産サンタナXi5アウトバーンDOHC」(5MT)というクルマでした。
翌88年はクルマを買いませんでした。これが最初の「クルマを買わなかった年」の達成です。フツー買わないだろうけど。若いサラリーマンが新車買ったばっかりで。
しかし翌々年の89年には、出たばかりの「日産フェアレディZ」(Z32)に買い替えてしまいました。
しかもちょうどその頃、池沢早人師先生の編集担当者となって「フェラーリ・テスタロッサ」初体験。脳天に雷が落ちて大乗フェラーリ教に開眼したものの、時はバブル期につき、フェラーリは夢のまた夢。
90年は、「フェラーリでなければライトバンでいい!」との悟りにより、Zを売却して「日産ADワゴン」を購入。
91年には、フェラーリを買えない鬱積(うっせき)をレースで晴らすべく、「シティ」(N1仕様)で筑波P1300レースに参戦。明けて92年が、2度目のクルマを買わない年の達成でした。
ところが、その頃にはバブルが崩壊。フェラーリの中古価格も急降下を見せ、93年にはギリギリ買える水準になってしまいまして、そこで「フェラーリ348tb」を買ってしまっております。それが私にとって初めてのフェラーリだったのはもちろん、初めての輸入車、初めての左ハンドル車というていたらくでした。タハ~。
94年には、それまで勤務していた集英社を退社し、フリーの自動車ライターに。「クルマを買うのは自分への投資」という言い訳を得、以後クルマ購入天国の道へとまっしぐらに突き進んだのです。
年平均2台弱を購入
3回目の「クルマ買わない年」は、ずっとずっと進んで05年でした。
当時の愛車ラインナップは、「フェラーリ360モデナ」、「シトロエン・エグザンティア ブレーク」、「プジョー306カブリオレ」、そして仲間内で共同購入した「86レビン」(サーキット走行仕様)の4台、というか3.2台くらい。
360モデナは足まわりや空力に欠陥のあるクルマで、そのカイゼンに燃えていたことと、足グルマのエグザンティア ブレークと306カブリオレにとても満足していたこと、加えてサーキット仕様車まで共同で抱えていたため、購入の機運が生まれなかったようです。
その05年を最後に、以後12年間、毎年クルマを買っています。この12年間で買った台数は23台。平均2台弱に達しております。
もうこんな生活いやだ! 何よりも車庫証明取るのがメンドクサイ! 一応節約のため自分で取ってるので。
今年クルマを買わないで済んだら、どんなにサワヤカだろう! 今年クルマを買わないことこそ、カーマニア人間国宝への道。なんだかそんな気もする。やっぱ何事もヤリスギはダメなので。
今年は絶対クルマを買わないぞおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ~~~~~~~!
この雄たけびをもって、新年の、ごあいさつに代えさせていただきます。押忍
(文/清水草一/写真=清水草一、池之平昌信/編集=大沢 遼)

清水 草一
お笑いフェラーリ文学である『そのフェラーリください!』(三推社/講談社)、『フェラーリを買ふということ』(ネコ・パブリッシング)などにとどまらず、日本でただ一人の高速道路ジャーナリストとして『首都高はなぜ渋滞するのか!?』(三推社/講談社)、『高速道路の謎』(扶桑社新書)といった著書も持つ。慶大卒後、編集者を経てフリーライター。最大の趣味は自動車の購入で、現在まで通算47台、うち11台がフェラーリ。本人いわく「『タモリ倶楽部』に首都高研究家として呼ばれたのが人生の金字塔」とのこと。