第581回:大矢アキオの自由研究第2弾
スペイン・セアトの“隠し玉”に迫る!

2018.11.23 マッキナ あらモーダ!

フィアット車の現地生産でスタート

本稿第564回では、夏休みの自由研究としてチェコのシュコダを紹介した。そのシュコダと同じフォルクスワーゲン(VW)グループ12ブランドの中に、スペインのセアトがある。

セアトの歴史は面白い。同社は1950年、第2次大戦後のスペインに自動車産業を根付かせるべく、同国の産業省とフィアットの合弁出資で設立された。SEATとは「Sociedad Espanola de Automoviles de Turismo(スペイン乗用車会社)」の略である。3年後の1953年、まずは日に5台のペースで生産を開始する。

1957年には「フィアット600」の現地版である「セアト600」を発売。それは戦後スペインのモータリゼーションの象徴となった。1960~1970年代にも「850」「124」そして「リトモ」など、フィアットの姉妹車を続々と投入した。

1980年になると、初代「フィアット・パンダ」をベースにした「セアト・パンダ」をマーケットに送り出す。後年「セアト・マラベーリャ」という独自名称に変更されたこのモデルは、イタリアにも輸出された。本国版パンダが高級化・高価格化していく中、デビュー当時の簡素さを守ることで好評を得た。

セアトはスペインの国策会社として、フィアット車の生産からスタートした。
セアトはスペインの国策会社として、フィアット車の生産からスタートした。拡大
本国に遅れること2年、1957年に発売された「セアト600」は、スペインの大衆にモータリゼーションをもたらした。
本国に遅れること2年、1957年に発売された「セアト600」は、スペインの大衆にモータリゼーションをもたらした。拡大
イタリアにはないこんなモデルも。「セアト600」を4ドア化した「800」。1963年から1968年まで販売された。
イタリアにはないこんなモデルも。「セアト600」を4ドア化した「800」。1963年から1968年まで販売された。拡大
大矢 アキオ

大矢 アキオ

コラムニスト。国立音楽大学ヴァイオリン専攻卒にして、二玄社『SUPER CG』元編集記者、そしてイタリア在住21年と脈絡なき人生を歩んできたものの、おかげで妙に顔が広い。今日、日本を代表するイタリア文化コメンテーターとして執筆活動に携わると共に、NHKラジオフランス語テキストでも活躍中。10年以上にわたるNHK『ラジオ深夜便』レギュラーリポーター、FM横浜『ザ・モーターウィークリー』季節ゲストなど、ラジオでも奮闘している。『Hotするイタリア』『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(ともに二玄社)、『カンティーナを巡る冒険旅行』『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(ともに光人社)、電子書籍『イタリア式クルマ生活術』(NRMパブリッシング)など数々の著書・訳書あり。

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