第582回:アメリカ版「新しい上司はフランス人」
“日産騒動”以前のルノー史を探る
2018.11.30
マッキナ あらモーダ!
急きょ“アメリカ車”で代用
カルロス・ゴーン日産自動車会長の一件をきっかけに、メディアは一斉にアライアンスパートナーであるルノーとの関係を振り返った。読者諸兄の多くがご存じのとおり、ルノーが経営危機に陥っていた日産を傘下に収めたのは1999年のことであった。
2001年にリリースされたシングル曲『明日があるさ』の歌詞「新しい上司はフランス人」は、まさにこのルノー・日産アライアンスを反映したものといえる。
しかし、そのルノーは日産との関係以前に、別のグローバル展開を図っていた、というのが今回のお話である。
時間は1960年までさかのぼる。ルノーは自社設計の上級モデル「フリゲート」を生産終了した。当時同社が考えたのは、アメリカン・モータース・コーポレーション(AMC)の高級ブランドであるランブラーのインターミディエイト車「クラシック」を組み立て生産することだった。小型大衆車市場を主戦場としていたルノーが、高級車開発への投資を抑えたかったのは十分想像できる。
AMCは米国メーカーでありながら、欧州市場に順応させることが容易なコンパクトな車種をそろえていた。いっぽうAMCからしてみれば、ビッグスリーと違って欧州に強固な足がかりをもたなかったことから、ルノーとの協力体制は、欧州大陸進出の好機と捉えたに違いない。
ルノー版ランブラー・クラシックの生産拠点として選ばれたのは、ベルギーのハーレンにあったルノー工場であった。6気筒3リッターエンジンが搭載されたルノー製ランブラーは、1962年から、モデルチェンジをはさみながら1967年まで約5年にわたって生産された。
かつてルノーにとって、ベルギーはフランスに次ぐ重要な生産拠点であった。参考までに、同国における別の拠点だったビルボールデ工場は、1997年に閉鎖されている。その指揮を執ったのは誰あろう、前年ルノーにやってきたカルロス・ゴーン氏であった。当時ヨーロッパに住み始めたばかりの筆者は、3100人に及んだその従業員解雇が大きな問題として報道されていたのを記憶している。ゴーン氏に初めて「コストカッター」のニックネームがつけられたのも、この件がきっかけだった。
いっぽう南半球でもルノーは、AMCとのつながりを強めてゆく。1950年代、アルゼンチン政府は、自国の自動車産業育成を模索していた。彼らは米国カイザーと提携のもと、インダストリアス・カイザー・アルヘンティーナ(IKA)を1956年に設立した。
やがて1959年になると、そこにルノーが資本参加する。そしてリアエンジンの小型車「ドーフィン」の現地生産を開始した。
カストロも愛したルノー
IKAルノーは他のルノー車もラインナップに加えていったが、1966年にはオリジナルモデル「ルノー・トリノ」をリリースする。
このクルマを企画するにあたっても、当時のルノーはAMCと協力している。ランブラーの1車種である「アメリカン」の機構を用いたのだ。いっぽう独自のボディーデザインは、ピニンファリーナとのコラボレーションであった。車名の「トリノ」は、ここに由来する。
ピニンファリーナのR&D会社で社長を務めると同時に、30台以上のフェラーリの開発計画に携わったレオナルド・フィオラヴァンティは、2015年に上梓(じょうし)した著書「Il cavallino nel cuore」に、彼が1964年に入社したときの初仕事はAMCの自動車であったと記している。つまり、このルノー・トリノだったとするのが正しいだろう。
2018年のパリモーターショーに用意されたヒストリックカー展示館の解説によれば、ルノー・トリノはアルゼンチンにおいてルノーが高級ブランドとしての地位を確立するのに貢献したという。同車は、レーシングドライバーのファン・マヌエル・ファンジオや旧ソ連書記長レオニード・ブレジネフ、キューバのフィデル・カストロといったそうそうたる面々がガレージに収めた。そしてトリノはなんと1982年まで16年にわたって生産された。
1975年、ルノーはIKAを完全に傘下に収め、新たにルノー・アルへンティーナとして発足。同社の南米生産拠点として今日に至っている。
なお、同じ南米のブラジルでも、ルノーは1950年代中盤に、のちにカイザー傘下となるウィリスと提携し、ルノー車の生産を開始している。同地では、「アルピーヌ・ルノーA108」のブラジル版である「ウィリス・インテルラゴス」も生まれた。
車名まで「アライアンス」
1970年代後半、ルノーとAMCの関係は、さらに深くなってゆく。1978年にルノーとAMCは、アメリカで初代「ルノー5」を「ル・カー」の名前で展開する販売提携を結んだ。
そして翌1979年、ルノーはついにAMCを傘下に収める。AMCの中には「新しい上司はフランス人」という社員が少なくなかったに違いない。
そして1983年モデルイヤーに向けて、その名も「アライアンス」と名付けたクルマをリリースした。これは「ルノー9(セダン)」を基に、ウィスコンシンの工場で生産するものであった。ただしエンジンと変速機は、フランスから運ばれた。
デザイン的なモディファイは、オリジナルのルノー9をデザインしたロベール・オプロンが担当した。
このクルマ、シトロエン時代に「SM」や「CX」といった名作を手がけたオプロンの作としてはややギコチないのだが、フランスには「ルノー・アライアンス・クラブ・パッシオン」という愛好会が存在する。今回の記事執筆においても、彼らの公式ウェブサイトが一部参考となった。米仏合作ということで無理やり名付けるなら「フレンチドッグ」的モデルだが、今日でも熱烈なファンはいるのである。
アライアンスは『モータートレンド』誌による1983年カー・オブ・ザ・イヤーに選ばれる。また、「ルノー11(ハッチバック)」の米国版として、「アンコール」も投入された。
しかし、本来は欧州車として設計されているクルマを基に、北米の厳しい安全基準に適合させるべく実施されたモディファイは、製品トータルとしての品質低下を招いた。結果として評判は徐々に低下し、販売は低迷するようになっていった。
とどめを刺した衝撃的事件
暗雲が立ち込め始めたルノーAMCの関係にとどめを刺したのは、1986年に起きたルノー公団のジョルジュ・ベス総裁暗殺事件であった。当時大学2年生だった筆者は、その2年前に2代目ルノー5をプレゼンテーションする彼を雑誌で見ていただけに、衝撃的であった。
当時ヨーロッパではルノー車の販売が低迷し、人員整理が相次いでいた。ベス総裁を暗殺したのはフランスの極左組織「アクシオン・ディレクト」で、公営企業(当時)ルノーのこうした政策に強く反対していた。同時に一般人の間でも、国内の雇用を無視して、先行き不透明なアメリカ市場戦略を続けていることを疑問視する声が強くなってきた。
ベスの後任として総裁となったレイモン・レヴィは、AMCとの関係を急きょ見直し始める。
翌1987年には「プレミア」を発表する。「ルノー25」を基にジョルジェット・ジウジアーロがデザインを手がけ、AMCカナダ工場で生産するものだった。しかし同年、ルノーがAMC株を手放し、それをクライスラーが取得したことで両社の関係は幕を閉じる。
“元カレ”のおかげ
大西洋をまたいだルノーのアメリカ戦略を振り返れば、当初はビッグスリーに及ばなかったブランドと南米で手を組むことで一定の成果を得た。
いっぽう、その縁でAMCと関係を深め、北米戦略を急いだことで、結果的に失敗の烙印(らくいん)を押されることになった。このアライアンスはルノーにとって、いわばトラウマとなっただろう。
しかし、AMCという“元カレ”を通じて北米市場が一筋縄でいかないことを思い知ったからこそ、ルノーは米国に強い日産に強い関心を示したに違いない。そして、弱い市場をお互いに補い合える日産との“結婚”を20年近く続けられたといえまいか。
(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=Akio Lorenzo OYA、ルノー/編集=藤沢 勝)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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