第600回:イタリアで「ゴーン問題」はこう報道されていた
怒涛の4カ月を大矢アキオが振り返る
2019.04.12
マッキナ あらモーダ!
フランスの知人から届いたメール
2019年4月4日、東京地検特捜部は日産自動車元会長のカルロス・ゴーン被告を会社法違反(特別背任)の疑いで再逮捕した。
保釈されたのが3月6日だったので、再逮捕までに社会生活を送れたのは1カ月足らずだったことになる。その間ゴーン氏本人は、東京都のポスターに小池知事と並んで写る“ピコ太郎”でさえ、日産自動車の西川廣人CEOに見えて恨めしかったに違いない。
2018年11月19日、金融商品取引法違反の疑いで逮捕された際は、数日後に知人のフランス人から筆者のもとに「私たちはカルロス・ゴーンに行われていることに困惑し、憤慨している」というメールが舞い込んだ。
彼は「税金を横取りしているパトリック・バルカニーやベルナール・タピ(バルカニーは資産隠しで、タピは横領で訴えられた経験がある政治家)は自由の身である」と皮肉を述べたうえで、「私は常にゴーン氏を擁護してきた。彼はルノーの未来のための先駆者であり、証拠がない限り私は無実と考える。この不愉快な事件について、あなたの気持ちはどうか」とつづっていた。
これに対して筆者は「訴状をよく読んだうえで検討したい」という、大企業の広報部のような返答しかできなかったのが情けなかった。
それはともかく、その知人は自動車に少なからず関心を持つ人物であり、かつルノーの本拠地に住むフランス人である。確かに最初の逮捕当時、フランスのメディアはかなり時間を割いて取り上げていたから、感情的になるのも無理はなかろう。
いっぽう筆者が住むのは、フランスの隣国であるイタリアだ。ここで、ゴーン問題がどの程度の規模で取り上げられ、どのように人々に認識されてきたか。今回は、それを最初の逮捕から振り返ってみたい。
ドルガバが吹き飛ばした
2018年11月19日、日産の西川CEOが緊急会見を開いたのが日本時間の22時だ。時差はマイナス8時間だから、イタリアでは14時である。
こちらの主要紙では、翌20日付からゴーン氏逮捕の報道が始まった。編集作業をする時間が十分あったにもかかわらず、いずれもトップ扱いではなかった。
まずは経済紙『イル・ソーレ24オーレ』である。1ページ目と17ページ目に「報酬および会計ルールに違反したため」とした12行ほどの前文こそ載っているが、記事は21ページ目まで出てこない。囲みでアウディのスタッドラー前CEOやフォルクスワーゲンAGのヴィンターコルン前CEOなど、自動車業界で同様に逮捕や起訴されたことのある4人を紹介しているものの、肝心の本文はわずか3段だ。
翌21日は、ルノー株が一気に値下がりしたこと、ゴーン氏が最高10年の懲役に服する場合があること、そしてルノーではティエリー・ボロレ氏が暫定トップに就任したことを報じている。ただし、扱いはさらに後退して24ページ目である。
続く22日も24ページ目の扱いだが、全ページを俯瞰(ふかん)すると、ある“大事件”に、よりページが割かれている。大事件とは、ファッションブランドであるドルチェ&ガッバーナの広告動画が、中国・アジア人に対して差別的だったとして炎上したというものだ。
23日は「日本の司法制度下では、起訴されると無罪になることが極めてまれ」「10年以下の懲役の可能性」が説明されているものの、やはり19ページ目での扱いだ。
イタリアの主要紙のひとつである『コリエッレ・デッラ・セーラ』も同じような扱いである。報道が開始された11月20日は「日本の国内2位の自動車会社を救った」ことや「2018年2月にルノーの筆頭株主であるフランス政府が従業員の抗議を背景に、ゴーン氏の報酬を3割カットした」ことの経緯を紹介している。だが、掲載されているのは、かなり後ろの35ページ目だ。
そして22日には前述の『イル・ソーレ24オーレ』と同様、ドルチェ&ガッバーナ問題に紙面が割かれ、早くもゴーン問題は消えてしまっている。
ついに自動車関連ページへ
日本のワイドショー的な取り上げ方をしていたのは『ラ・ナツィオーネ』紙だ。11月20日、1ページ目のヘッドラインに続き、10ページ目で1ページまるごとを割いた。
事件を報じたあと、「電気自動車で販売台数世界一の『日産リーフ』をはじめ、さまざまなモデルの企画に貢献した」と紹介している。写真もモーターショーで運転席に座るゴーン氏のものと、緊急会見における西川氏のものとを、いずれも大きくカラーで掲載している。ちなみに後者は西川氏が頭を下げた瞬間にカメラマンたちがシャッターを切っている様子を、いわば第三者的視点で撮影している。海外メディア好みの構図である。
ただし、『ラ・ナツィオーネ』紙は大衆紙的色彩が強い新聞である。イタリアの大半の主要メディアは、前述の『イル・ソーレ24オーレ』『コリエッレ・デッラ・セーラ』のように、極めて冷静な報道姿勢であった。
2019年4月4日の再逮捕においても、『イル・ソーレ24オーレ』電子版は二十数行の記事とアンサ通信社配給による短い動画のみである。『コリエッレ・デッラ・セーラ』電子版に至っては、2019年3月の保釈以降まったく取り上げていない。『ラ・ナツィオーネ』は経済欄ではなく、もはや新車情報がメインの自動車関連ページでの扱いだ。
関心がない理由
次に、イタリア人にゴーン事件はどの程度認識されているのか。今回の再逮捕直前に聞いてみた。
まずは、ルノーの販売店関係者に聞いてみる。すると「もちろん知っている」と即座に反応が返ってきた。そして「彼はこれまでも十分な報酬を受け取っていた」と笑いながら付け加えた。その口ぶりに、ややこしい話題を避けようというニュアンスはない。
知人の税理士にも「日産のトップが逮捕された事件があったが」と切り出してみる。すると彼は「ああ、かなりの金を稼いで、盗んでいた事件な」と言って笑った。
ただし、彼が事件を思い出すまでには、数秒の間があった。そして、ルノー/日産が絡む事件であるという認識はあっても、カルロス・ゴーンという名前は、ついぞ彼の口から出なかった。
経済・財務関係のリテラシーが比較的高い職業に就く人がこの程度である。一般人の多くは今回の事件どころか、カルロス・ゴーン氏の存在そのものを知らないのだ。
たとえ国境のすぐ向こうの国の事件であっても、こうも関心がない背景には、3つの理由が考えられる。
第1に、イタリア人が自国のニュースを追うことで精いっぱいだということがある。目下イタリアでは、2019年春からのベーシックインカム導入の話題でもちきりだ。さらに、「またか」といわれそうだが、アリタリア航空の経営問題も再浮上している。ちなみに2019年3月にゴーン氏再逮捕を扱わなかった『コリエッレ・デッラ・セーラ』電子版も、「イタリア国鉄とアリタリアの合併案」はしっかりと解説している。
「ワイドショー的」と前述したが、「ジャン!」の効果音とともにパネルボードをめくるような、日本的な情報バラエティー番組がイタリアに存在しないこともある。日本で一般人がありとあらゆることに関心を抱き、たとえ表面的だったとしても知識を得られるのは、そうした番組の力が大きいのだ。
第2は「ゴーン氏がスタイリッシュでないこと」だ。イタリアにもVIPの話題が好きな人々は存在する。ただし、それはグラビア映えすることが条件だ。
自動車業界では、フィアット創業家の故ジョヴァンニ・アニエッリ会長や、ルカ・ディ・モンテゼーモロ元フェラーリCEOには、女性誌でさえもたびたびページを割いてきた。
いっぽうで、2018年に急逝したイタリア系カナダ人のセルジオ・マルキオンネFCA前CEOは、フィアットを倒産の危機から救った功労者にもかかわらず、グラビア用トピックにはならなかった。辛うじて「なぜ彼はいつもセーター姿なのか」といったトリビアで盛り上がっただけだった。
このように、ルックスを重要視する国で、ゴーン氏が興味の対象にならないのは、写真を見れば簡単にわかる。
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別にうらやましくないし……
第3に、多くのイタリア人にとってゴーン氏のライフスタイルが「さほどうらやましくない」ことがあろう。
イタリアでも、日産の海外子会社に購入させて使用していたとされる世界各国の別荘や、“オマーン・ルート”のヨットに関して触れているメディアはあった。だが、淡々と事実がつづられているにすぎず、特に感情的な筆致はみられない。
日本メディアは「ゴーン氏が“オマーン資金”で購入したヨット『社長号』がイタリア・ピサ近郊で修理中」と報道しているが、こちらでは報じられていない。
背景には、ゴーン氏が日産の資金を流用して取得したとされるものは、グレードに明らかな差はあれど、多くの人が似た体験をできるということがある。
まずは別荘だ。例えば住宅関連サイト『イデアリスト』の2015年公開記事によると、自宅以外にバカンス用の住居を所有しているイタリア人は全体の15.2%に及ぶ。つまり7人に1人以上だ。知人の元理髪師のおじさんも、退職前に海辺のアパートを購入した。
ヨットについても、日本の現状と比較するとかなりポピュラーな存在だ。例えば筆者の周囲に限ってみても、ヨットを嗜(たしな)んでいる人物が2人思い浮かぶ。いずれも自動車販売店の一般社員だ。
別荘もヨットも所有していない筆者が言うのもなんだが、彼らのものとゴーン氏の物件や船とは、まったくもって別物だ。元理髪師のおじさんの別荘は、筆者が女房とともに訪れただけで狭苦しくなるほど。セールスマンたちのヨットも3人乗るのがやっとである。しかしながら別荘やヨットというものが、まったくの別世界のものでないことは事実であり、ゴーン氏が年にわずかな回数しかそれらを楽しめなかったのとは対照的に、イタリア人でそうしたものを所有している人々は、季節が良くなると毎週末のように仲間たちと楽しんでいる。
ルノーがフランス当局に通知した、いわゆる“ヴェルサイユ宮殿の結婚披露宴”も、イタリア人にとっては特にうらやましい対象ではない。歴史的重要性こそ違うが、18世紀初めに完成したヴェルサイユの大トリアノン宮殿よりも何世紀も古い城館がイタリアのあちこちにあって、パーティー用に貸し出されている。物件によっては、城がまるごと売り物件として出されていることもあるのだ。
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記しておきたい“空気感”
筆者は日産やルノー、そして同じくアライアンス関係にある三菱に何ら忖度(そんたく)する必要はない立場だ。だが、司法に関する十分な知識がないことを理由に今日までゴーン問題に触れなかった。
しかしながら、日本のメディアの報道にみられる「世界がゴーン問題に注目」という雰囲気は、フランスのすぐ隣のイタリアでも当てはまらない。「過去の事件になりつつある」とかいうことではなく、関心がないのである。
そうした今どきの言葉で言うところの“空気感”は、早いうちに書いておいたほうがいい。歴史を語るとき、とかく市民レベルの視点は看過されがちであり、のちに振り返ろうとしたときに困難を極めるからだ。19世紀末のオーストリア=ハンガリー帝国の興亡に関する情報はすぐに見つかっても、当時のウィーンでは、馬車から排出される馬ふんの山が街のあちこちにできて悪臭を放っていたことをつづった本は限られている。
本稿は筆者ができる数少ないゴーン問題へのアプローチであり、読者諸兄が引き続きこの話題を追うときに、わずかでも役に立てればうれしい。
(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/編集=藤沢 勝)

大矢 アキオ
コラムニスト/イタリア文化コメンテーター。音大でヴァイオリンを専攻、大学院で芸術学を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナ在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストやデザイン誌等に執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、22年間にわたってリポーターを務めている。『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(二玄社)、『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。最新刊は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。