第195回:クルマを買った芥川賞作家のクルマ小説
『ポルシェ太郎』
2019.05.17
読んでますカー、観てますカー
駄菓子でも居酒屋でもない
芥川賞作家羽田圭介の新作である。タイトルのインパクトが強烈だ。『ポルシェ太郎』と言われても、何のことやらわからない。「キャベツ太郎」、「蒲焼さん太郎」といった駄菓子のたぐいか。居酒屋なら「甘太郎」、立ち食いそばなら「ゆで太郎」、食べ放題なら「すたみな太郎」が有名だから、店名のようにも思える。
正解は、“ポルシェを買った太郎”である。主人公は小さなPR会社を経営する大照太郎。35歳、独身だ。太郎というのはかつて最も一般的な日本人男性を表す記号だったが、今では絶滅危惧種だ。山本太郎、麻生太郎ぐらいしか思い浮かばない。現在主流となっているのは、レオンとかリクとかショウマとかのキラキラした名前だ。だから、太郎というのは昭和を引きずったままの時代に遅れた男ということになる。
会社は南青山にあり、太郎は通勤に便利な恵比寿に住んでいる。芸能人も多い人気の地域だが、築40年のマンションで25平米のワンルーム。古くて狭いのに、家賃は15万5000円もする。無理してブレゲの時計も買った。社長らしく見栄を張るのも大変なのだ。
茨城から出てきて以来、クルマは持っていない。仕事の移動はもっぱら公共交通機関だ。そのほうが合理的だと考えていたが、街で老人の乗る「マクラーレンF1」を見てから心がざわついている。
「街でかっこいいスポーツカーに気づくたび、運転席へと目がいくようになった。たいていの場合、禿(はげ)や白髪の中高年男性が、1人で運転していた。言い換えるなら、かっこいいスポーツカーには、禿や白髪の中高年男性しか乗っていなかった」
衝動的に1500万円のクルマを購入
自分は若くして独立し、華やかな業界でそれなりの地位を築いている。スポーツカーは、自分のような人間にこそふさわしいのではないか。
「見た目が美しいデザインのスポーツカーの乗り手には、肉体的に衰えた中高年よりも、頭髪や未来のある若者のほうが、似合っている」
街でポルシェのショールームを見かけ、太郎は衝動的に入ってしまう。担当者から言われるままに「ケイマン」と「911ターボ」に試乗し、勢いで見積もりをとってもらった。必須のオプションが多いので、ケイマンは1000万円、素の911が1800万円。彼は認定中古車も見せてもらい、走行距離4000kmの「911カレラ カブリオレ」を購入することに決める。
大照太郎は、この瞬間からポルシェ太郎に生まれ変わった。車体価格は1506万円。彼の年収とほぼ同じである。人生を一変させる決断だ。駐車場も借りた。月8万円もするのに、マンションからは徒歩8分。せっかく買ったのだから、仕事で名古屋に行くにもポルシェに乗る。新幹線で行ったほうが早いのに。
もちろん、スポーツカーを買ったことを世間に向けてアピールする。人に会うたびに話すのはもちろん、フェイスブックでも情報を発信。「人生が最大限うまくいっていることの象徴でもあるポルシェという美しい無機物と、一緒に写っている自分」の写真をアップするのだ。
ミーハーだし、浮かれ気分はみっともない。ただ、太郎は自分が平凡な人間であることをわかっている。企業からPRを請け負い、タレントや有名人を使ってイベントを開催し、多くの人を集める。派手でキラキラした世界だが、特別な才能はいらない。「人や企画を右から左にまわすだけで金がもらえる、誰にでもできる仕事」なのだ。だからこそ、ステータス性の高いスポーツカーのポルシェを手に入れることで、自分が変われるかもしれないと思っている。
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ポルシェに乗ると気分が高揚
確かに、太郎は妙な自信のようなものを身につけた。彼は怪しげな自称コンサルタントの黒木という男から仕事を請け負うようになる。裏社会の人間ともつながりがあるようだ。悪人顔で粗暴な言動や行動をとることもあるが、金もうけの術(すべ)を知っている。そういう人間と対等に渡り合えるようになることが、自分をステップアップさせることにもなるはずだと考えた。
太郎が黒木と知り合ったのは、コンパニオンやCAを集めて開いた飲み会の席だった。本業のかたわら、彼は金持ち男性に若い女性を引き合わせるサイドビジネスにも手を染めている。オヤジたちが食事代を払うのは当然で、女性たちにはタクシー代という名目で数万円が渡される。いわゆるギャル飲みを仕切り、手数料をもらっているのだ。
ポルシェの恩恵もあり、太郎は女優の卵の惣田瑞恵という女性と付き合うことになる。仕事も私生活も絶好調だ。裏社会の流儀を知ったことで、部下に対しては荒っぽい態度をとるようになった。気持ちに余裕ができ、仕事に対する意欲が湧いてくる。ポルシェに乗ると気分が高揚し、自分が強くなったように感じられた。
「精緻なドイツ製工業製品であるポルシェを自然に走らせようとすると、スピードを出さざるを得なかった」
太郎はポルシェに同化していく。
ポルシェが太郎の自我を拡張する。
道具立てはバブルの縮小再生産
友人の結婚式に出席するために茨城に帰る時も、もちろんポルシェに乗っていく。同級生だった男子からは感心されるが、女子からは不評だ。乗り降りしにくい、乗り心地が悪いと散々文句をつけられ、「買い換えなよ、『アルファード』にしなよ、ちゃんと荷物積めるよ」とまで言われる。太郎はもともと「スズキ・ワゴンR」に乗っていたのだから反論はできないはずだが、もう昔の彼ではない。「中高生たちは学校教育でちゃんと、若いうちにポルシェに乗っている男はかっこいいものだと教え諭されるべきだ」と考えている。
南青山の会社に恵比寿のマンション、そしてポルシェ。若くて美しい女性たちと高級料理店で会食。道具立てを見ると、バブル時代の小説のよう。しかし、同じように見えても、どこか貧乏くさい。縮小再生産された世界なのだ。ギャラ飲み要員の女性たちは、みんな実家住み。春日部、草加、辻堂といった郊外から通っている。スマホの画面が割れたままなのは、修理代が惜しいからだ。もう、あの頃の華やぎが戻ってくることはない。
羽田圭介は又吉直樹と同時に芥川賞を受賞している。話題性では圧倒的に不利だったが、今やバラエティー番組では又吉よりも羽田を見る機会のほうが多いくらいだ。サービス精神を学んだようで、今回の作品は受賞作の『スクラップ・アンド・ビルド』よりもエンターテインメント性が大幅にアップしている。彼は『週刊プレイボーイ』で「羽田圭介、クルマを買う。」という連載を持っていて、実際に「BMW 320d」を購入した。今後も小説にクルマを登場させてくれるといいのだが。
『ポルシェ太郎』は、映画化にも向いていそうだ。美女がたくさん登場するし、アクションシーンもある。クルマがたくさん出てくるのもうれしい。配役を考えた。黒木はピエール瀧、は無理だろうからリリー・フランキー。惣田瑞恵は松岡茉優。太郎は田中 圭か渡辺大知、あるいは平成ノブシコブシの吉村 崇。いや、いっそ羽田圭介自身が演じるのがいいかもしれない。主題歌はロマンポルシェで。
(文=鈴木真人)
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鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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