100年の歴史を彩る“小さなクルマ”が大集合! スズキの名車&迷車10選
2020.03.30 デイリーコラム2020年3月15日に創立100周年を迎えた自動車メーカー、スズキ。人々の生活に寄りそう実用車や、刺激的なスポーツモデル、そして時には、挑戦的すぎてユーザーに理解されなかったクルマも世に送り出してきたその歴史を、それぞれの時代を彩る個性的なモデルとともに振り返る。
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“デビュー作”で先進的な前輪駆動に挑戦
【FFのパイオニア】
スズライト
スズキのルーツである鈴木式織機株式会社が創立されてから、この3月でちょうど100周年。戦後の1952年に自転車に取り付けるバイクモーターを発売し、1954年には社名を鈴木自動車工業株式会社に変更。そして1955年には軽自動車「スズライト」によって四輪車市場に進出した。
セダンの「SS」、ライトバンの「SL」、ピックアップの「SP」、デリバリーバンの「SD」をそろえて登場した本格的な軽四輪だったスズライト。359cc空冷2ストローク並列2気筒エンジンで前輪を駆動する、日本初のFF車でもあった。内容的には研究車両だったドイツの小型車「ロイトLP400」の影響を強く受けていた。
セダンのSSのスタイリングもロイトに似た平凡な3ボックスだったが、おもしろいのはライトバンのSL。大きなテールゲートを備えたリアスタイルはファストバック風なのだ。徳大寺有恒氏が生前、「『アストンマーティンDB2/4』みたいでカッコイイだろ?」と冗談交じりに語っていたが、たしかに商用車ながら、セダンよりむしろスタイリッシュだった。
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【Miniの同級生】
スズライトTL/スズライト フロンテ
1957年からは需要の多かったライトバンのSLに集約された「スズライト」は、1959年にフルモデルチェンジして「スズライトTL」となる。横開きテールゲートを備えたライトバンだったが、その姿はくしくも同じ年にイギリスで誕生した革命的な小型車である「Mini」(当初は「オースチン・ミニ」と「モーリス・ミニマイナー」)に似ていた。
1962年には、スズライトTLのテールを改めてトランクルームを設けた軽乗用車版の「スズライト フロンテTLA」が登場する。その改良版の「スズライト フロンテFEA」は、翌1963年に開かれた第1回日本グランプリのツーリングカー400cc以下のレースで、下馬評では優勝確実と思われていた「スバル360」を下して1-2フィニッシュをキメてみせた。伏兵スズライトの活躍に世間は驚いたが、考えてみれば不思議はない。四輪の世界では地味な存在だったスズキだが、1960年から二輪ロードレース世界グランプリに参戦し、62年には50ccクラスの王座を獲得していた。つまり2ストロークエンジンのチューニングにかけては実績があり、レース経験も豊富だったのだ。
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小型車市場への参入と軽自動車市場での飛躍
【ハンドメイドの大衆車】
フロンテ800
1965年、スズキは「フロンテ800」によって小型乗用車市場に進出を果たす。これが生まれた背景には、当時の国内自動車産業を取り巻く事情があった。簡単に言うと1960年代初頭、海外資本から国内の自動車産業を守るためにメーカーの合併・統合を進める法案が検討されていた。この法案が成立すると市場への新規参入が不可能になってしまうため、実績のないメーカーは成立前に該当する製品を発売しようと急いだのだ。それまで二輪と軽自動車のみだったスズキが、小型車市場へ進出する意思を示すべく開発したのがフロンテ800で、1963年の東京モーターショーにプロトタイプが出展された。
結局その法案は廃案になったため急ぐ必要がなくなり、ショーのデビューから約2年後に市販化されたフロンテ800。その成り立ちはアウディのルーツのひとつであるドイツのDKWを手本としており、水冷2ストローク3気筒エンジンで前輪を駆動する日本初の小型FFサルーンだった。ミケロッティの作ともうわさされた2ドアセダンボディーはスズキの社内デザインで、サイドウィンドウに曲面ガラスを使ったのは日本初だった。
発売してみたものの、先述のような経緯から生まれたこともあって、スズキとしても積極的に売るつもりはなく、生産はほとんど手づくり。“ハンドメイドの大衆車”ともいうべきアンビバレントな存在で、安全基準の改正などに伴う数度の小変更を経て、1969年までの約5年間に2717台のみがつくられたのだった。
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【一時代を築いたビートマシン】
フロンテ360
1967年は軽乗用車市場に変革が起きた年だった。3月に既存の軽の常識を破る高性能と低価格を掲げて「ホンダN360」がデビュー。発売と同時に爆発的にヒットし、誕生以来10年近くにわたって軽乗用車市場に君臨していた「スバル360」を王座から引きずり下ろした。続いて6月にはスズキから「スズライト フロンテ」に代わる「フロンテ360」が登場。こちらも人気を博し、ホンダN360に次ぐポジションにつく。それまで軽乗用車を持たなかった最後発のホンダと、下位に低迷していたスズキによって、一気に軽乗用車市場の構図が塗り替えられてしまったのだった。
スズキ乗用車初のヒット作となったフロンテ360だが、その成り立ちは業界を驚かせた。スズキは日本におけるFFのパイオニアであり、それまでにリリースした乗用車はすべてFFだった。また前述した軽の革命児であるホンダN360もFFを採用しており、小型車の世界ではFRやRRからFFへの転換が始まりつつあった。そうした時代の流れに逆行して、また自らの軌跡を否定するかのように、スズキは新しいフロンテ360にRRを採用したのである。
ラジカルな転換を果たしたフロンテ360は、ボディーもそれまでの角張った2ボックス風から丸みを帯びた3ボックスとなり、リアエンドに積まれたエンジンは356cc空冷2ストローク並列3気筒。スムーズな回転フィールを誇る3気筒エンジンと軽量なボディーの組み合わせがもたらす軽快な走りで人気と評価を得た。そのスポーティーな資質をより高めたモデルが、四輪では初めてスズキのレーシングスピリットを具体化した製品となる高性能版の「フロンテSS360」である。
“ビートマシン”をうたったフロンテSS360は、最高出力をリッターあたり100PSとなる36PSまで高め、最高速度は125km/h、0-400m加速は軽で初めて20秒を切る19.95秒を豪語。デビューキャンペーンとして、かのスターリング・モスと、マン島TTレースで勝った唯一の日本人であるスズキのワークスライダーの伊藤光夫がステアリングを握り、イタリアの“太陽の道”ことアウトストラーダ・デルソーレをデモラン。ミラノ~ローマ~ナポリ間746.9kmを6時間6分、平均速度122.44km/hで走破したと、その高性能ぶりをアピールし、軽のスポーツブームに火をつけたのだった。
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デザインでもマーケティングでも先を行く
【ジウジアーロ・デザインの商用車】
キャリイ(4代目)
1960年のトリノショーに出展されたミケロッティ・デザインの「プリンス・スカイラインスポーツ」を皮切りに、60年代は国産メーカーの間で“トリノ詣で”がブームとなった。プリンスと日野がミケロッティ、日産がピニンファリーナ、マツダがベルトーネ、いすゞがギア、ダイハツがヴィニャーレといった具合に、イタリアのカロッツェリアにデザインを依頼したモデルが続々とリリースされたのである。
バスに乗り遅れまいとスズキも後を追ったが、選んだパートナーはイタルデザイン。ベルトーネ、ギアのチーフデザイナーを経て独立したジョルジェット・ジウジアーロを中心に、1968年に設立されたばかりのカロッツェリアである。そして依頼したのは「キャリイ」。1961年に登場した「スズライト キャリイ」から数えて4代目となる軽トラック/ライトバンは、1969年にジウジアーロ・デザインのボディーをまとってデビューしたのである。国産他社のカロッツェリア作品のうち、「ダイハツ・コンパーノ」のオリジナルデザインはライトバンだったが、将来的にそれをベースにセダン化することを見据えていた。純粋な商用車のデザインをカロッツェリアに依頼したのは、日本ではスズキが初めてであろう。
それまでに数々の傑作を手がけてきたジウジアーロの作だけに、キャリイはスタイリッシュで、特に前後対称のようなバンの造形は新鮮だった。だが、傾斜したリアウィンドウのために肝心の荷室容積が削られてしまい、市場での評判は芳しくなかったという。そのせいもあって、3年弱という短いモデルサイクルでオーソドックスなスタイルの5代目にバトンタッチしてしまったのだった。ちなみに『webCG』でおなじみのイタリアはシエナ在住の大矢アキオ氏によれば、イタルデザイン本社には、記念すべき第1作としてキャリイバンの写真が飾られているそうである。
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【甘口から超辛口まで】
アルト(2代目)
1979年、フルモデルチェンジでFFに回帰した「フロンテ」と同時に誕生した初代「アルト」は、左側ドアの鍵穴まで省略した徹底的なコストダウン設計によって47万円という驚異的な低価格を実現した。さらに、当時の税制では物品税が課せられる乗用車ではなく、非課税の軽商用車(ライトバン)登録とすることで購入時の負担を軽減。スズキ始まって以来の大ヒットを記録したアルトに他社も追随し、たちまちボンバン(ボンネットバン)は軽市場の主流となった。
その後を受けて1984年に登場した2代目アルト。初代から多かった女性ユーザーをいっそう重視し、乗降しやすいように運転席がドア方向に60°回る日本初の回転ドライバーズシートを採用するなど女性寄りのセールスを展開。イメージキャラクターにはアンニュイな雰囲気がウリだった女優/歌手の小林麻美を迎えた。実際のユーザー像とは遠い印象のタレントが広告のイメージキャラクターを務めることはままあるが、このアルト/小林麻美ほど乖離(かいり)していた例は空前絶後ではないだろうか。だが、そこはスズキ。彼女の名を冠した特別仕様車の「麻美スペシャル」「同2」「同3」「麻美フェミナ」を続々とリリースするなど、力技(?)で押し切った。
こうしたフェミニン路線を主体としていた2代目アルトだが、モデルライフ後期の1987年になって超辛口モデルの「アルト ワークス」を出してきた。543cc直列3気筒DOHC 12バルブ インタークーラーターボエンジンは64PSというハイパワーを発生。スズキとしてはもっとパワフルにするつもりだったが、運輸省(当時)とすり合わせた末の落とし所がこの数値だったそうで、以後64PSが軽の自主規制値となった。駆動方式はFFのほかフルタイム4WDも用意された。当然ながら他社もこの流れに倣い、またもやスズキがトレンドセッターとなって、およそ20年ぶりに高性能軽バトルが再燃したのだった。
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アグレッシブな挑戦が生んだ2台
【スペシャルティーな商用車】
セルボ(3代目)
1977年に誕生した「セルボ」。360cc規格時代の「フロンテクーペ」のボディーを550cc規格に合わせて拡幅し、リアに水冷2ストローク3気筒539ccエンジンを積んだ軽スペシャルティークーペだった。FFに転換した2代目を経て1988年に登場した3代目は、4ナンバーの商用車(軽ボンバン)登録となった。スタイリッシュな商用車という意味では、「スズライトSL」(1ページで紹介)や「キャリイ」(3ページ)に通じるスズキの伝統かもしれないが、商用車登録のスペシャルティーカーはボンバン全盛だったこの時代の軽特有のもの。セルボのほかに「ダイハツ・リーザ」にも存在した。
ベースは先代同様アルトだが、スタイリングは過去2代のクーペに代わって、ロングルーフの3ドアハッチバックに変身。前席頭上までをブロンズガラスのグラスルーフとしたルックスは、今見るとシューティングブレークとでも呼びたい雰囲気で、なかなかカッコイイ。だが斬新で個性的とはいえ、先代までのクーペとはあまりにも方向性が違うスタイルに戸惑う声も少なくなかった。
エンジンは547cc直列3気筒SOHC 12バルブ。新開発ユニットを同年に世代交代を予定していた「アルト/フロンテ」に先駆けて搭載したものだが、なぜか自然吸気版のみ。さすがに「アルト ワークス」用のDOHCターボはキャラクターには不似合いだろうが、SOHCターボや自然吸気のDOHCといった高性能ユニットも不思議なことに用意されなかった。そんなこんなで、市場での人気は低迷。発売からちょうど2年後の1990年1月に軽規格が660ccに拡大されるが、セルボはそのまま半年ほどつくられた後、2年半という短いモデルライフで生産終了した。ちなみに後継の「セルボモード」は、スペシャルティーカー路線を捨てて平凡な姿になってしまった。
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【アメリカではウケたのだが】
カルタス コンバーチブル
1983年に「フロンテ800」以来14年ぶりとなる小型乗用車として誕生した「カルタス」。イメージキャラクターに起用した舘ひろしに「オレ・タチ、カルタス。」と言わせた駄じゃれコピーで記憶されるモデル(?)だが、1988年に世代交代した2代目は格段にスタイリッシュになった。その2代目カルタスの、主に北米市場向けとしてつくられたコンバーチブルが、1992年から日本でも販売された。
1984年に久々の国産オープンカーとして登場した「ホンダ・シティ カブリオレ」を皮切りに、ハッチバックやクーペのルーフを取り払ったモデルがちょっとしたブームになっていた。それらのほとんどが4シーターだったのに対して、(「ジムニー」などを除くと)スズキ初のオープンモデルである「カルタス コンバーチブル」は思い切りよく2シーター化していたのが特徴で、軽快でキュートなスタイリングを実現していた。エンジンは1.3リッター直列4気筒SOHC 16バルブで、変速機は5段MTのほかスズキ初となるCVTも用意。決してスポーツカーではなく、気軽にオープンエアドライビングを楽しむためのモデルだった。
新車当時、クルマ好きで知られるテリー伊藤氏が、“マイアミのレンタカー”をイメージしたという淡いサックスブルーにオールペンしたカルタス コンバーチルを自動車専門誌で披露していた。とてもイカしていたが、そんな遊び方ができる通好みのクルマであるいっぽう、一般ユーザーには魅力がわかりづらいかも、という気もした。実際、「GEO METRO CONVERTIBLE」の名で売られた北米では好評を博したが、日本ではスポーツカーではないのに2シーターなのがデメリットとなってしまった感もあり、パッとしないうちに1994年には生産終了した。
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時には失敗することもあるけど……
【ユニークすぎたクロスオーバー】
X-90
別体式フレームを持つSUVである初代「エスクード」のシャシーに、着脱可能なガラス製のTバールーフを備えた2座クーペボディーを載せたモデルが「X-90」。1993年の東京モーターショーにコンセプトカーとしてデビュー、海外のショーでも好評だったために市販化され、日本では1995年に発売された。中身もエスクードに準じており、1.6リッター直列4気筒SOHCエンジンを搭載。駆動方式はパートタイム4WDである。
オープンエアも楽しめる2座クーペとSUVのクロスオーバーというコンセプトは、今日の目で見ても斬新だが、裏を返せば市場があるとは思えないため誰もやらなかった、とも言える。特に国内市場では、かつての「カルタス コンバーチブル」と同様に2人乗りであることが弱点だったようだ。ちなみにパッと見では似たようなスタイルを持つ、ほぼ同時代の「スバル・ヴィヴィオ Tトップ」は、軽ながら小さな後席を備えた2+2だった。
新車当時、知り合いの自動車専門誌記者が広報車を試乗中に都内で信号待ちをしていたところ、歩道にいた女子高生から「ヘンなクルマ~!」と指を差され笑われたという。たしかに見た目はマンガチックというか、玩具チックというか、いささかスケールがおかしい感じは否めなかった。結局、発売当初の月販500台という強気な目標とは裏腹に、約2年間の販売台数はおよそ1300台にとどまった。
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【幻のフラッグシップ】
キザシ
2007年のフランクフルトショーに出展された「キザシ コンセプト」に端を発する、「世界の市場に向けて新しいクルマ作りに挑戦する“兆し”の意味から名付けた」という車名を冠したセダン。その名のとおりスズキとしては未知の分野に挑んだフラッグシップで、全長×全幅×全高=4650×1820×1480mmという、歴代モデル中最大サイズのボディーに、「エスクード」用の2.4リッター直列4気筒DOHCエンジンを搭載。国内仕様の変速機はCVTで、駆動方式はFFとパートタイム4WDが用意された。
2009年の東京モーターショーで初公開されると同時に完全受注生産で国内販売を開始。偉大な経営者である鈴木 修会長兼社長(当時)が、後席にふんぞり返ることもできる自社製モデルがようやく……などと筆者は勝手に祝福した。それはともかく、グローバルモデルということで追って北米、欧州、そして中国市場でも販売された。だが折あしく、メインターゲットだったはずの北米市場はリーマンショックの渦中で販売は伸びず、2012年にはスズキは北米における四輪事業から撤退。計画は見直され、後継モデルもなく2015年には生産終了した。
国内登録台数は3379台にとどまるが、うち4分の1を超える900台以上が警察への納入車両であることが明らかになっている。その多くが捜査用のいわゆる覆面パトカーであることから、一部のクルマ好きの間では「キザシ=覆面パトカー」説が定着してしまった。ちなみに、普通のキザシと覆面パトカー仕様を簡単に見分けるポイントもあるそうだ。
(文=沼田 亨/写真=スズキ、CG Library、沼田 亨/編集=堀田剛資)

沼田 亨
1958年、東京生まれ。大学卒業後勤め人になるも10年ほどで辞め、食いっぱぐれていたときに知人の紹介で自動車専門誌に寄稿するようになり、以後ライターを名乗って業界の片隅に寄生。ただし新車関係の仕事はほとんどなく、もっぱら旧車イベントのリポートなどを担当。
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