第658回:チャオ、テンプラおじさん! あるフィアットオーナーへのオマージュ
2020.06.05 マッキナ あらモーダ!怪しい出会い
2020年5月末、あるイタリアの“自動車関係者”の訃報が届いた。
残念ながら多くの読者諸氏には無縁の人物である。しかし筆者にとっては、イタリアで最初に出会った自動車関係者だ。そればかりか、彼はこの国で筆者がどう生きるかを指し示してくれた師でもあった。
彼の名はピエロ。またの名をテンプラおやじといった。
出会いは筆者がイタリアに住み始めて1年もたたない、1997年のことであった。
当時、シエナ外国人大学の学生であった筆者が、ある日の放課後に女房と散歩していると、広場でひとりの中年男性から声をかけられた。
「日本の方ですか?」
それがピエロ氏だった。カタコトの日本語で親しげに声をかけてくるというのは、外務省の海外安全情報で何度となく報じられていた、怪しい人物の典型である。
筆者は身構えた。彼は日本語を勉強していると話している。これも邦人に近づく手口の典型である。
そのあと“ぼったくりバーに誘われる”という、これまた海外安全情報で読んだ事例が頭をよぎった。
だが、そうした心配をよそに、その日の彼は「日本語を市民講座で勉強している」と話しただけで終わった。
数日後も、そのまた数日後も、筆者と女房はピエロ氏に広場で声をかけられた。
立ち話を繰り返すうちに判明したのは、ピエロ氏は自分の日本語力を試そうと、日本人学生を見つけては広場で声をかけているということだった。
切り売りピッツァなどをほお張っている相手に向けて、すれ違いざまに「よく食べるなあ」などと日本語を浴びせて驚かせるのを楽しみとしていたらしい。
とりわけ女子学生を標的にしていたようだが、そこにどこまで下心があったかは、今となっては不明だ。だがシエナの日本人にしては珍しく、いつも2人組で歩いていた筆者と女房に声がけするのは、女子学生よりも容易であったのは確かだろう。
しばらくすると、筆者と女房とピエロ氏は、彼が常連だった広場のバールで、夕方にコーヒーカップやアペリティーヴォ(食前酒)のグラスを傾けるようになった。
彼は周囲の客を見ながら、「あれは息子が通っている高校の先生、あっちの老人は、ああ見えて元は人気歌手だ」と解説し、その多くを筆者にも紹介してくれた。東京では想像できない、イタリアの地方都市独特の密なコミュニティーだった。
戦後の活気とともに
やがてピエロ氏から「今度わが家に夕食を食べにこないか」との誘いを受けた。
女房と相談すると、「まあ、こちらは2人だから大丈夫じゃない? 向こうも家族らしいし」と言う。
当日、待ち合わせ場所にいると、ピエロ氏が水色の古い「フィアット128」に乗って登場した。
すでに20年ものだった。参考までにイタリア自動車クラブは今回の新型コロナによる買い控えによって「2020年は、国内の5台に1台が車齢18年以上になる」との予想を発表した。だが、この国では当時からその程度の車齢は、決して珍しくなかった。
初対面のときよりも、ピエロ氏の素性については分かっているつもりだったが、実は別の顔を持っているかもしれない……。
何かの事件に巻き込まれた場合を想定し、女房の実家には「イタリア人の家庭に行く」旨を連絡しておいた。同時に女房とはヤバい状況に陥ったときに逃げられるよう、移動中の車内ではドアのリリースレバーに手をかけておこう、と打ち合わせておいた。
やがてフィアット128は、郊外の新興住宅地にたどり着いた。迎えてくれたのはヌンツィアという夫人と高校生の長男ルカであった。長女のキアラはエラスムス奨学生としてブリュッセルに留学中だという。
フルコースの夕食のあと、ピエロ氏とヌンツィア夫人の新婚時代のアルバムを見ながら、彼らはそれまでの人生を語り始めた。
ピエロ氏は1945年5月24日生まれ。日本で言うところの昭和20年だ。第2次世界大戦でイタリアが解放されたのは4月25日だから、そのわずか1カ月後に生まれたことになる。
その後はシエナで高校の電気科を卒業。ときは1960年代。イタリアが奇跡といわれた戦後経済成長に沸いていた時代だ。ピエロ氏は繁栄する大都市ミラノに渡り、米国系の通信企業で働き始めた。
やがて社内で電話交換手をしていたヌンツィアさんと知り合い、結婚する。ちなみに一人娘だったヌンツィアさんの実家は人気リストランテで、「芸能人が食事にくるたび、店の前にはひと目見ようとする人々が集まって黒山のようになった」という。イタリアが元気だった時代をほうふつとさせる話だ。
1970年代に入ると石油危機の影響や光化学スモッグの増加で、ミラノでは自動車の規制が始まった。ヌンツィア夫人は語る。
「ナンバープレートの末尾の数字で、奇数のクルマが走れる日と、偶数のクルマが走れる日が決められていたのよ。幸いなことに、私のチンクエチェントは偶数、ピエロのチンクエチェントは奇数だったから、お互いに乗り換えて毎日通勤に使えたのよ」
偶数と奇数をイタリア語でどう言うかに加えて、「La Cinquecento」と定冠詞を付けただけで、この国では「フィアット500」を指すことを知った。それ以上に、2人ともチンクエチェントに乗っていたというところも時代である。
やがて「第2の奇跡の経済成長時代」といわれる1980年代になると、ピエロ氏の故郷であるシエナ県も徐々に発展してきた。
夫妻は開発されて間もない新興住宅地に現在の家を購入。ピエロ氏は父親が働いていたビリヤード台製造会社に縁故入社し、2人の子どもを育てる。
参考までに、日本でビリヤード台はプールバーで楽しむものだが、イタリアでは戦後の長きにわたって豊かな家庭の定番備品だった。日本ではネガティブに捉えられがちな縁故入社も、こちらでは地域貢献のひとつであるとともに、働きやすい企業であることを示すバロメーターでもある。
その晩だけで、イタリアの戦後文化や自動車社会についていくつ学んだことか。
かくしてピエロ氏は筆者にとって、初のイタリアの知人となった。後日「失礼ながら、あの晩は128のドアに、いつでも逃げられるよう手をかけていた」という話を恐る恐る夫妻にすると、憤慨するどころか爆笑とともに聞いてくれた。
クルマ生活の指南役
ピエロ氏からは、その後も夕方のカフェでさまざまな話を聞くことができた。
時には珍問答もあった。当時のイタリアは兵役を段階的に廃止しつつあった。それについて聞くと、「兵役を拒否するのは男じゃねえ、と昔から言われてきたんだ」とピエロ氏は得意げに教えてくれた。
「じゃピエロさんの兵役は陸軍ですか? それとも?」と聞けば、彼は父親がアルバニア戦線で地雷によって片足を失ったことから、そうした子弟に適用される例にしたがって自身は兵役を免除されたという。じゃあ「男じゃねえ」とか言うなよとツッコミを入れたくなった。しかし、この問答に関連して、長いことイタリアでAT車といえば、そうした足にハンディのある人のもの、という認識があったことも彼から知った。
筆者が外国人大学の講義についてゆくのに行き詰まり、閉じこもりがちだったときも、ピエロ氏に救われた。
ちょうど日本の運転免許をイタリア(欧州)のものに切り替えようとしていることを告げると、「俺が一緒に回ってあげるから行こうぜ」と誘う。
実際ピエロ氏は市役所と実務窓口であるイタリア自動車クラブ、銀行、さらには当時書類のひとつが必要だった裁判所まで、時には仕事場を抜け出して同行してくれた。
そうするうちに、イタリアの省庁や機関、自動車行政がどう機能しているかを習得することができた。外国人大学の講義を受けるより何倍も、イタリア社会について知ることができた。
冒頭で筆者にとって“最初の自動車関係者”と記したのも、そのためだ。「語学も性教育も実践が一番だ」と言って、ピエロ氏は笑った。
滞在3年目に初めてのクルマを買うときも、ピエロ氏は指南役となった。当時、街の中古車店には「マセラティ・ビトゥルボ」「ランチア・テーマ8.32」といった『カーグラフィック』読者にとっては垂ぜんの的といえるプレミアムモデルが並んでいた。しかし、ピエロ氏は「そんなクルマに乗ったら、税金高いぞ」と忠告した。
確かにそれは正しかっただろう。ある日ピエロ氏と夕食後、公立ワイン館のテラスでレモンリキュールを傾けながら、どういう話の流れだったかは忘れたが、筆者は脇にあるレンガ壁を指して言った。「この隙間から生えたケッパーのように、イタリアにしっかり根を下ろしますよ」
大見えを切った以上、そんな手のかかるクルマに乗ってはいけないと思った。
もし手を出していたらば、滞在資金を早々に使い果たしてしまい、今の筆者はいなかったに違いない。
同時にピエロ氏のように、そこそこのクルマをさりげなく足代わりにしている人のほうが格好よく思えた。クルマにバカみたいに金をかけるより、ピエロ氏のように毎夕バールの屋外席に座り、広場に集う人を眺めている人生のほうが楽しいではないか。
ということで筆者が手に入れたのは12年落ち・走行12万8000km、当時の邦貨換算で27万円の「ランチア・デルタ1300」だった。以来ピエロ氏からは、たびたび「お宅のフェラーリは調子いいか?」とからかわれたものだ。
ミッションを教えてくれた
やがて、ピエロ氏は例のフィアット128を廃車にすると言った。1990年代末にイタリア政府は自動車需要を喚起するため、古い欧州排出ガス基準車の廃車費用を無料にするとともに、新車購入に補助金を出す制度を連発していた。
ピエロ氏の家では、ちょうど長男のルカが免許を取得した。息子のために当時の人気車だった初代「フィアット・プント」を購入する代わり、128を放出するのだと教えてくれた。
ドナドナされていく前、恥ずかしがる本人を立たせて記念撮影したのが最初のページの写真である。
ピエロ氏本人は同じフィアットの「テムプラ(テンプラ)」を購入した。簡単に説明すると「ティーポ」の4ドアセダン版である。
テンプラおじさんとなったピエロ氏の運転は、かなりアグレッシブだった。そのうえ「シートベルトなんて要らないぜ」と言って着用しようとしない。いっぽうでイタリア人ドライバーにとって定番の交通安全祈願お守りである「聖クリストフォロス」のバッジはちゃんと貼ってあるのも理解に苦しんだ。
ある日ばんそうこうをしているので聞けば、案の定追突事故を起こして頭をウインドスクリーンに強打してしまったのだという。
テムプラも前部にかなりダメージを負った。廃車にするのかと思いきや、ピエロ氏は当時の円換算で80万円近くをかけて修理した。本人は「新車を買うより安いからな」と説明したものだ。
数年後、ピエロ氏は会社を50代半ばで解雇されてしまった。人々の趣味が変わり、ビリヤードが今日で言うところの“オワコン”になってしまったのが最大の原因であろう。
不運は続くもので、しばらくするとヌンツィア夫人がガンに冒されてしまった。
それでも看病の合間の息抜きにバールにやってきては、よもやま話を聞かせてくれた。経済的にも生活的にも苦しい状況だったにもかかわらず、筆者や女房に勘定は一切払わせなかった。
数年前、そのピエロ氏に心臓疾患の症状が現れた。周囲は手術を強く勧めたが、本人がそれを恐れているうちに間に合わなくなってしまった。75年の人生だった。
ピエロ氏は、先に天国に旅立ったヌンツィア夫人と同じ墓に入ることになった。
そうした中、長女のキアラから「遺影がなくて困っている」と相談された。生前のピエロ氏は写真に撮られるのをえらく苦手としていたからだ。
イタリアで遺影は墓標に貼られる。筆者は過去に撮った写真の中から、例のバールで嫌がるピエロ氏を相手にようやく撮影した写真を探し出し、キアラに提供した。写真が入った墓の準備が整ったら、「チャオ、ピエロ」と声をかけにいこう。
ピエロ氏が「はじめの一歩」を手伝ってくれたイタリアで、筆者は例のケッパーのようになんとか生き延びている。
彼が示してくれた普通のイタリア生活の面白さ。それをつづることこそ、これからも筆者のミッションであると信じている。
(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/編集=藤沢 勝)
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大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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