第666回:“ペルシャ国王”から“スズキのマー坊”まで クルマにつけられた人の名前
2020.07.31 マッキナ あらモーダ!作者が意図せぬ標題
第664回では「スズキ・ジムニー」がイタリアで「スズキーノ」の愛称で親しまれていることを書いた。それにちなんで今回は、人名のニックネームがついた自動車の話を少々。
誰もが知っているベートーベンの『交響曲第5番』の『運命』は、作曲家本人が命名したものではない。
簡単に言うと、彼が弟子と交わした問答の中で「運命」という言葉があったとされることに由来するものだ。
ついでに言えば、筆者が知る限り欧州各国では、日本で呼ぶ『運命』に相当する標題がついているのを見たことがない。『交響曲第5番』のみである。
レンブラントの有名な絵画『夜警』は1642年に制作されながら、題名がついたのは19世紀になってからである。
同じく17世紀のオランダの画家、テル・ポルフによって1654年ごろに描かれたとされる作品には、題名についてより興味深い逸話が残されている。
父母が年ごろの娘を諭しているように見えることから、後世の人々によって『父の訓戒』という名前がつけられた。かのゲーテも道徳的な絵画として著作の中で触れている。
しかし後年それは、父と娘ではなく値段交渉をする客と娼婦であり、母とされたのは日本で言うところの「やり手ばばあ」と解釈されるようになり、今日に至っている。
自動車の世界にも、つくり手の意図とは別に、標題ならぬニックネームが与えられてしまった例が数々ある。
それについては第504回で少し記したので、今回は特に擬人化された、もしくは人名にちなんだモデルに絞って振り返りたい。
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それは首相の名前です
筆者が知る限り、自動車史上、最初に擬人化したニックネームがつけられたのは、1908年の「T型フォード」である。その愛称は「ティン・リジー」であった。
きっかけは1922年、コロラド州パイクスピークのレースに現れたある参加者のT型だった。参加者がつけたニックネームは「オールド・リズ」であった。
しかし未塗装かつフロントフードを装着していなかったため、人々は「オールド・リズ」ではなく、「ブリキのリズちゃん(tin Lizzie、もしくはtin Lizzy)」と呼ぶようになった。
T型の発売は1908年だから、14年後についた愛称ということになる。筆者が考えるに、街を走るT型の車体色の大半は黒であったこと、経年変化で独特の風合いが出ていたことが背景にあろう。さらに1920年代に入ってからはライバルのゼネラルモーターズ(GM)による華やかな新車攻勢もあり、T型は古くさくなってしまった。その素朴さがある意味人々の目におかしく映ったことも、「ブリキのリズちゃん」が広まるきっかけになったに違いない。
意外なことに、あのメルセデス・ベンツにも、人名のニックネームを、それも複数発見することができる。
まずは「300SLR」の1モデルだ。1955年、ダイムラー・ベンツは来シーズンに向けて300SLRのクローズドボディー仕様を開発していた。しかし同社はルマンでの大事故をきっかけにモータースポーツ活動を急きょ停止することになった。そのためこの車両は当時テスト部門長であったルドルフ・ウーレンハウトにカンパニーカーとして供されることになり、“ウーレンハウト・クーペ”と呼ばれるようになった。
次いで今日の「Sクラス」の祖先にあたる1951~1962年の「300」(W186およびW189)だ。第2次世界大戦後にドイツ連邦共和国の初代首相を務めたコンラート・アデナウアーが愛用したことから“アデナウアー・メルセデス”と呼ばれている。ダイムラーによると、元首相は1951年から6台の300に乗っている。引退直前の1963年には最後の公用車を買い取り、リタイア後はこの世を去るまで運転していたという。まさにニックネームにふさわしいヒストリーである。
クルマそのものではないが、メルセデス・ベンツといえば、1980年のSクラス(W126)に初採用されたボディーサイド下部のプラスチック製パネルにも愛称があった。
当時のデザインダイレクター、ブルーノ・サッコにちなんで、“サッコプレート”と呼ばれるようになった。その愛称は、のちに同様のパネルが「Eクラス」(W124)や「190」(W201)などにも採用されるにしたがって、愛好家の間でより一般的なものとなった。
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日本に見当たらないのが惜しい
イタリア車が持つ最も輝かしいニックネームのひとつは、1959年「マセラティ5000GT」の“シャー・ディ・ペルシャ”であろう。
1958年、当時のイラン国王(シャー)パフラヴィー2世は、マセラティに「世界最速のクルマを」と注文する。メーカーは既存の「3500GT」のチューブラーフレームに、レーシングモデルである「450S」のエンジンを搭載。カロッツェリア・トゥリング・スーペルレッジェーラ製ボディーを載せて完成させた。これが“シャー・ディ・ペルシャ”である。
政治的にも文化的にも西欧化を目指したパフラヴィー政権だが、国内における貧富の差は拡大し、宗教界からも強い批判が上がった。その結果、1979年に失脚。本人は国外に亡命する。
だが、彼がオーダーした自動車は今日でもたびたびコンクール・デレガンスやオークションに登場する。“シャー・ディ・ペルシャ”は、クルマに高い見識を持つパフラヴィー2世を象徴する1台である。
ちなみに、今日存在する新生カロッツェリア・トゥリング・スーペルレッジェーラはオリジナルへのオマージュとして、2018年と2019年に、「シャーディペルシャ」と名づけた少量生産車を制作している。
米国や欧州には、かくも特色ある経緯に基づくニックネームを持つクルマが存在する。
いっぽう、日本車に同様の例が見られないのは残念である。「ホンダN360」の“Nコロ”も、人間ではなく“犬コロ”から派生したものであろう。
また、前述したドイツのアデナウアー元首相の勧めで購入した吉田 茂元首相愛用の1963年「メルセデス・ベンツ300SEラング」も、“吉田ベンツ”などと呼ばれるには至っていない。
加えて、メーカーによる作為的なニックネームは、どうやら普及に限界があるようだ。その好例は、1983年にスズキから発売された軽自動車「マイティボーイ」だ。限りなくリーズナブルな価格でスタイリッシュなピックアップをつくるというコンセプトや、「金はないけどマイティボーイ」という自動車業界の常識を打ち破るCMソングの歌詞を筆者自身は高く評価していた。
しかし、そのキャッチ「スズキのマー坊とでも呼んでくれ」にうたわれた「マー坊」は、自動車史の一部として記すには及ばない。
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スプリンター“森昌子”トレノ
個人的に、人名ネックネームのついたクルマで思い出すのは小学生時代の通学路だ。
ある家庭のガレージに収まっているクルマを見て、同級生が「(歌手の)森昌子に見える」と言った。
そこにあったのは「トヨタ・スプリンタートレノ」(TE27型)だった。聞けば「顔が森昌子に似ている」と指摘する。
確かに、ヘッドランプのトリム形状は、森昌子の垂れ目に近似していた。
1950年代の黄金期におけるGMのデザイナーたちは、過重労働で異性とのデートもままならなかった。彼らはそのリビドーを発散すべく、女性の体を車両に投影していった(「GMデザインの黄金時代とハーリー・アール ~50年代のアメリカ車はいかに生まれたか」大川 悠訳 『SUPER CG』第7号 1990年)。
TE27が開発された当時の日本は第1次石油危機直前。トヨタと日産が「カローラ」(および「スプリンター」)と「サニー」で熱い戦いを繰り広げていた時代である。
残業に残業を重ねたトヨタのデザイナーが意図的に、もしくは気がつけば森昌子をトレノに投影していた、というファンタジーにふけることもできる。
しかし当時を振り返れば、以後『自動車ガイドブック』でTE27型スプリンターを見るたび、『せんせい』の歌詞が浮かぶようになってしまった。
同級生の間でも、いくら筆者が「あれはスプリンターというクルマだ」と教えても、「森昌子」派が多数を占めるようになり悲しかった。
あのスプリンター“森昌子”トレノがあった家のガレージには、今や高齢となったオーナーによって、トヨタオート店改めネッツ店で買った「プリウス」あたりが収まっているのだろうか。
(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=Akio Lorenzo OYA、スズキ、トヨタ自動車/編集=藤沢 勝)
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大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、25年間にわたってリポーターを務めあげる。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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