第222回:子供だってトラックとワゴンの違いはわかります
『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』
2020.08.06
読んでますカー、観てますカー
愛称ではないディック
男たちがガレージでバンドの練習をしている。ジーク(マイケル・アボット・ジュニア)、アール(アンドレ・ハイランド)、ディック(ダニエル・シャイナート)の3人だ。演奏はあまりうまくない。“ピンク・フロイト”なんてバンド名を付けていることからして、本気で音楽に取り組んでいないことがわかる。お楽しみは、練習の後に始まるのだ。怪しい煙を吸いながらビールを浴びるように飲み、花火を打ち上げて銃をぶっぱなす。奥さんや彼女のことは忘れ、男だけでじゃれ合う至福の時間だ。
バカ騒ぎから一転、シリアスな状況に。ジークとアールは、クルマの後席にディックを乗せて運んでいる。病院に到着すると、ぐったりしたディックを入り口の前に置いて逃走。ディックの手当てをしてほしいが、自分たちが関わっていることは知られたくないのだ。彼が負傷した原因に、ちょっとした問題があるらしい。
『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』というタイトルでわかるように、治療のかいなくディックは死んでしまう。担当した医師は、あまりにも異常な死に方に疑問を抱く。保安官は事件であると判断し、捜査を始めた。アメリカ南部ののどかな田舎町は騒然とする。殺人鬼が野放しになっているかもしれないのだ。ジークとアールは、彼の死の真相をなんとしても隠さなければならない。
もちろん、この映画はコメディーである。そもそも、ディック・ロングという名前がどうかしている。ディックというのはリチャードの愛称だが、ほかにも意味がある。お笑いコンビのどぶろっくが「大きな○○をください♪」と歌ったアレのことだ。往年の人気歌手ディック・ミネの芸名の由来としても知られている。
血まみれのクルマで娘を学校へ
冒頭のシーンでは、ディックが股間から花火を打ち上げていた。自分のディックがロングであることをアピールしていたように見えるが、そうではない。ディック自身のディックについては、映画の中で特に言及されないのだ。彼が死ななければならなかった原因に関係するのが、ほかの特別なディックなのである。
ディックを演じているダニエル・シャイナートは、この映画の監督でもある。ステキなキャラクターとは言い難いので、引き受けてくれる俳優が見つからなかったそうだ。前作『スイス・アーミー・マン』では、『ハリー・ポッター』シリーズのダニエル・ラドクリフに死体役をやらせていた。今回のほうがまだマシである。
ジークとアールだって、決して肯定的な人物像ではない。はっきり言えば、ぼんくら男である。トラブルに際して適切な判断ができずに場当たり的な行動をとったのは、今までもそうやって生きてきたからだ。精神が子供のままなのである。しかし、実際にはいい年であり、妻と子供がいる。遊びの時間が終われば、日常の生活に戻らなければならない。
ジークが浅い眠りから覚めると、娘のシンシアが学校に行く時間だった。妻から送っていくように言われてクルマを取りに行くと、リアシートは血まみれ。ディックは大量に出血していたのだ。布をかけてごまかそうとするが、だんだん赤い液体が染み出してくる。洗っても痕跡が残ってしまう。見つかれば、ディックを乗せていたことがバレてしまうに違いない。
自動車泥棒をでっち上げ
彼が思いついたのは、またしてもその場しのぎの方法だった。クルマを池に沈めてしまえばなかったことにできるという、あまりにも浅はかな考えだ。突然クルマが消えてしまったら、その理由を説明しなければならなくなる。パニックに陥っている彼は、そんな当たり前のことにすら気づかない。
妻に問い詰められて、ジークはクルマが盗まれたととっさにウソをつく。犯罪が発生したのだから、彼女が警察に通報するのは当然だ。かくして、ディック・ロング殺害事件を捜査中の保安官を家に呼び寄せてしまうことに。ひとつウソをつくと、つじつまを合わせるためにどんどん矛盾が大きくなっていく。ジークには、もっともらしいストーリーをでっち上げる知恵はない。
事件らしい事件の起こらない町だから、保安官だって捜査には不慣れだ。2人とも女性で、慎重なおばあちゃんと元気なぽっちゃり娘のコンビ。凶悪犯罪が発生したことに戸惑っている。いっぱいいっぱいのはずだが、自動車泥棒事件にも対応してくれる。住民の安全を守ることに使命を感じているのだろう。
敏腕捜査官という感じではないが、彼女たちは次第に真相に迫っていく。男たちがあまりにもバカで、言っていることに一貫性がない。挙動不審なのは何かを隠しているからだと考えるのは当然である。
またしてもA24
事件の夜にクルマが盗まれたことにしたのが致命的だった。翌朝ジークは娘をそのクルマで学校に送り届けている。彼はアールにクルマを借りて娘を乗せたと言い張るが、当の娘がそうじゃないと言う。ジークのクルマは「マーキュリー・セーブル」である。アールが乗っているのはピックアップトラックだ。小さな娘でも、トラックとワゴンの違いがわからないはずがない。
ミステリー仕立てのダークなストーリーではあるが、この映画はセクシュアリティーをめぐる事情を描いてもいる。ダメ男たちの悲哀に満ちた生活を描くことで、扱いづらいテーマを巧みに作品へと昇華させた。ジャンルを限定せず、さまざまな解釈に開かれた構造だ。ダニエル・シャイナート監督は、ひとつ上のステージに進んだのだと思う。
映画史に残る超傑作というわけではないが、間違いなくオンリーワンの作品だ。小ぶりだが質の高い映画を世に送り出すことができる状況が尊い。製作は、イキのいい作品を量産しているA24。この欄でも『オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分』『ヤング・アダルト・ニューヨーク』『ヘレディタリー/継承』『アンダー・ザ・シルバーレイク』を紹介してきた。
A24が関わった作品なら、取りあえず観ておいて損はない、というのが映画好きの間では了解事項となっている。この後も、ジョナ・ヒルの初監督作品『mid90s ミッドナインティーズ』や超スタイリッシュな『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』の公開も控えている。当分は快進撃が続きそうだ。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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