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第82回:スーパーカーを革新した「NSX」
常に変化を志向するホンダイズムの体現者

2020.08.27 自動車ヒストリー 鈴木 真人 スーパーカーの在り方を根底から覆したホンダの名車「NSX」。高い動力性能と快適さを両立する“人間中心のスーパースポーツ”は、どのような経緯で誕生したのか? 衝撃をもって迎えられた和製スーパーカーの歴史を振り返る。
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“忍耐=美徳”という価値観を打ち破る

1989年は日本車のヴィンテージイヤーといわれている。「日産スカイラインGT-R」「ユーノス・ロードスター」「トヨタ・セルシオ」が発売された年だからだ。いずれも世界的に高い評価を受けた名車である。1980年に自動車生産台数でトップに立っていた日本は、品質と性能でも世界をリードする存在になった。快進撃はまだ続く。翌年にホンダNSXが発売されたのだ。これまで日本が足を踏み入れることのなかったスーパーカーのジャンルでデビューを果たし、世界を驚かせたのである。

NSXは、スーパーカーの概念そのものを変えてしまった。速く走ることができるエキゾチックなクルマは、それまでにも多くのメーカーがつくっている。どのモデルもスピード最優先の設計で、乗りこなすには高度なスキルを要するのが常識だった。マシンの性能を引き出すための忍耐は、ドライバーにとっての美徳と考えられていたのだ。

ホンダは従来のスーパーカーが前提としていたこうした条件を、すべて取り払うことから開発をスタートさせた。開発責任者の上原 繁は語っている。

「スーパースポーツカーだからといって、ドライバーが我慢する必要はない。われわれはNSXでスポーツカーの近代化を図る」

スポーツカーはスパルタンでなければならず、ドライバーは不屈の精神でマシンに立ち向かい、努力を積み重ねて常人には到達できないスピードを手に入れる――広く共有されてきた考え方だ。しかし、それはエンジニアの言い訳にすぎないとホンダは解釈した。当時のホンダはF1で飛び抜けた好成績を挙げていた頃で、ドライバーが「乗りやすいクルマでないと速く走れない」と主張するのを知っていた。ならばF1マシンを2シーターにしてエアコンを付ければいい、と上原は考えたのだ。

スーパーカーの歴史を変えたとも評される「ホンダNSX」。1990年9月13日に発表、翌9月14日に販売が開始された。
スーパーカーの歴史を変えたとも評される「ホンダNSX」。1990年9月13日に発表、翌9月14日に販売が開始された。拡大
広々としたガラスエリアが目を引くキャノピー型のキャビンは、水平方向311.8°という全方位視界を実現。ドライバーにストレスを感じさせない快適性が、「NSX」の身上だった。
広々としたガラスエリアが目を引くキャノピー型のキャビンは、水平方向311.8°という全方位視界を実現。ドライバーにストレスを感じさせない快適性が、「NSX」の身上だった。拡大
強力なエンジンの提供を通し、ウィリアムズやマクラーレンにあまたのタイトルをもたらしたホンダ。「NSX」の開発では、アイルトン・セナもハンドルを握ったという。
強力なエンジンの提供を通し、ウィリアムズやマクラーレンにあまたのタイトルをもたらしたホンダ。「NSX」の開発では、アイルトン・セナもハンドルを握ったという。拡大
「NSX」の開発に際して作成された、「天の川チャート」と呼ばれるコンセプトチャート。同車は既存のスポーツカーの枠を超えた、よりF1に近い体験を提供するマシンとして企画された。
「NSX」の開発に際して作成された、「天の川チャート」と呼ばれるコンセプトチャート。同車は既存のスポーツカーの枠を超えた、よりF1に近い体験を提供するマシンとして企画された。拡大
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意外なところからスタートしたミドシップ車の研究

NSXにはオートエアコンはもちろん、電動パワーシート、BOSEサウンドシステムが装備されていた。5段MTに加えて4段ATも用意され、AT版には電動パワーステアリングが与えられる。洗練されたインテリアには高級感があり、革張りシートは豪華なしつらえだった。これらの高品質な快適装備については、軟弱だと非難する声もあった。ABSやトラクションコントロール、SRSエアバッグについても、不必要とする意見が少なくなかったという。“硬派”なスポーツカー好きにとっては、過剰な装備だと感じられたのである。

NSXの方向性が正しかったことは、時間が証明する。スポーツカーにも高級感が求められるのが普通になり、スピードのためにドライバーが忍耐を強いられることをよしとする風潮は過去のものになった。ユーザーの目が厳しくなったことで、自動車メーカーは品質向上に力を注いだ。かつて非常識だったNSXの思想が、今では常識になったのである。

もっとも、彼らははじめから快適で高級感のあるスーパーカーの開発を目指したのではない。発端は、まったく別のプロジェクトだった。

1984年、ホンダ内に「UMR」という研究会が発足する。「アンダーフロアミドシップのパッケージングを検討する」という趣旨だった。ホンダは1963年に「T360」と「S500」というFR車で四輪事業に参入したが、商業的な成功を収めたのはFF車の「N360」である。以来ホンダはほぼ“FF専業メーカー”となっていたが、新世代に向けて、新しい小型車のパッケージを研究する必要があると考えていたのだ。

UMRでは、コンパクトカーの「シティ」を改造して、床下にエンジンを横倒しで搭載した実験車を製作する。これでさまざまなテストを繰り返したが、半年ほどでFFを上回るパッケージングにはならないことが判明した。重量や熱、音の問題を解決できなかったのである。ただ、操縦安定性については高い水準を実現できるということもわかった。プロジェクトはテーマを操縦安定性に変えて継続されることになり、「CR-X」をベースにした実験車もつくられた。

車内は広々とした視界と窮屈さを感じさせない各部の設計が特徴で、さまざまな体形のドライバーが自然な姿勢で運転できるよう、ステアリングにはチルト&テレスコピック調整機構が備わっていた。
車内は広々とした視界と窮屈さを感じさせない各部の設計が特徴で、さまざまな体形のドライバーが自然な姿勢で運転できるよう、ステアリングにはチルト&テレスコピック調整機構が備わっていた。拡大
ホールド性はもちろん、快適性も重視されたシート。上質な本革製で、電動のリクライニング/スライド調整機構が備わっていた。
ホールド性はもちろん、快適性も重視されたシート。上質な本革製で、電動のリクライニング/スライド調整機構が備わっていた。拡大
トランスミッションには5段MT(後に6段に多段化)に加え、ホールド機構付きの電子制御4段ATも採用。当時のスーパースポーツでは、2ペダル仕様の設定は非常に珍しいことだった。
トランスミッションには5段MT(後に6段に多段化)に加え、ホールド機構付きの電子制御4段ATも採用。当時のスーパースポーツでは、2ペダル仕様の設定は非常に珍しいことだった。拡大
1967年に登場するや、軽乗用車のベストセラーとなった「ホンダN360」。同車以降、ホンダはパッケージングに優れるFFの駆動レイアウトを幅広いモデルに採用していった。
1967年に登場するや、軽乗用車のベストセラーとなった「ホンダN360」。同車以降、ホンダはパッケージングに優れるFFの駆動レイアウトを幅広いモデルに採用していった。拡大

運転姿勢に見る“人が中心”という思想

機を同じくして、ホンダではスポーツカーをつくろうという機運が盛り上がりつつあった。せっかくF1で頭角を現しはじめたのに、そのイメージを生かせるスポーツカーがホンダにはなかったのだ。欧州では1984年のトリノショーにコンセプトカーの「HP-X」を出品してスポーツイメージを強調。アメリカでは1986年に高級車ブランドのアキュラが発足することが決まっており、こちらでもラインナップにスポーツカーを加えたいと考えられていた。操縦安定性を研究していたUMRに白羽の矢が立ち、「新しいスポーツカーで新しい価値をつくれ」という指令が下される。

FRや4WD、FFも検討されたが、早々にミドシップが最適であるという結論に至った。操縦安定性に優れるだけでなく、制動や加速の面でも理想的であるということが判明していたからである。エンジンが縦置きでなく横置きとされたのは、小さく軽くつくれることでパッケージングが有利になるという理由だ。トランスミッションも含め重量物を車軸間に入れることができるので、操縦性の面でもメリットがある。ターボを採用しなかったのは、重量増を抑えたかったからだ。

アルミボディーの採用も、早い段階で決まった。スチールでつくるより、ボディーだけで140kg、車両全体では200kg軽くなる計算だ。UMRではCR-Xや「アコード」をアルミで試作し、製品化が可能であることを検証している。「プロトI」と呼ばれるNSXの原型もつくられ、大まかな方針が定められた。V6エンジンをミドに搭載したアルミボディーのスポーツカーをつくる。操縦安定性に加え、衝突安全性と快適性にも心を配る。誰にでも乗れる近代的で民主的なスーパーカーということだ。

人間をどんなポジションで座らせるかを考え、ペダル配置やステアリングホイールの位置、メーターの場所などを決めていく。エンジンやサスペンションが優先され、人間がオフセットして座らされていたそれまでのスーパーカーとは逆の発想である。NSXのドライバーが自然なドライビングポジションをとれるのは、最初から決まっていたことなのだ。最新技術を盛り込んだ「プロトII」がつくられ、新しいコンセプトが成立する条件が詰められていった。

1989年になると、試作車がニュルブルクリンクに持ち込まれる。荒れた路面と激しいアップダウンが特徴で、ブラインドコーナーが多い難コースだ。フルブレーキングとフル加速を繰り返す過酷な状況で走らせると、それまでのテストではわからなかった弱点が浮かび上がってきた。1年かけて問題を洗い出し、世界に通用するレベルの性能を追求していった。

ホンダは1986年に米国でプレミアムブランドのアキュラを設立。「レジェンド」や「インテグラ」に続き、スーパースポーツのラインナップ追加が期待されていた。
ホンダは1986年に米国でプレミアムブランドのアキュラを設立。「レジェンド」や「インテグラ」に続き、スーパースポーツのラインナップ追加が期待されていた。拡大
さまざまな駆動レイアウトが検討された「NSX」だが、UMRの研究結果もあり、早々にミドシップの採用が決定。パッケージングのよさを考慮し、パワートレインは横置きに搭載された。
さまざまな駆動レイアウトが検討された「NSX」だが、UMRの研究結果もあり、早々にミドシップの採用が決定。パッケージングのよさを考慮し、パワートレインは横置きに搭載された。拡大
ボディーには量産車では世界初となる総アルミモノコックを採用。神戸製鋼所をはじめとする材料メーカーの協力もあり、軽量・高剛性なボディーが実現した。
ボディーには量産車では世界初となる総アルミモノコックを採用。神戸製鋼所をはじめとする材料メーカーの協力もあり、軽量・高剛性なボディーが実現した。拡大
開発に際しては、ドライバーの乗車位置や、ペダル、ステアリングホイール、メーターなどのレイアウトについても吟味。自然なドライビングポジションで、リラックスして走りを楽しめる環境が追求された。
開発に際しては、ドライバーの乗車位置や、ペダル、ステアリングホイール、メーターなどのレイアウトについても吟味。自然なドライビングポジションで、リラックスして走りを楽しめる環境が追求された。拡大
ドイツのニュルブルクリンクを走行する「NSX」の試作車。テストは速度無制限の高速道路、アウトバーンなどでも行われた。
ドイツのニュルブルクリンクを走行する「NSX」の試作車。テストは速度無制限の高速道路、アウトバーンなどでも行われた。拡大

デザインモチーフはジェット戦闘機

アウトバーンでのテストも行った。ヨーロッパでは高速での長距離移動が日常で、緊張せずに走れることが重要な要素になる。空力性能を高めるため、風洞実験も行われた。ミドシップカーは横風に弱い。重心が後部にあるため、風圧を受ける中心点もなるべく後ろに持ってくる必要がある。必然的にボディーはロングテールデザインとなり、副産物としてゴルフバッグ2個が入るトランクスペースも得られたが、それが「スポーツカーとしては不純だ」として批判の的になった。

デザインモチーフとなったのは、「F-16ファイティングファルコン」である。鋭い先端部の直後に見晴らしのいい操縦席が位置するジェット戦闘機で、マッハ2のスピードを誇る。NSXがキャノピー型の運転席を持つのは、F-16からインスピレーションを得たフォルムだ。視界が悪いのが当然だったスーパーカーの常識を覆し、良好な全方位視界を手に入れた。テールランプの造形も、F-16の噴射口がヒントになっている。

パワーユニットは「レジェンド」用の2.7リッターV6 SOHCエンジンをチューニングして使うことになっていたが、開発終盤になって可変バルブタイミング・リフト機構のVTECが完成する。最先端の技術は、NSXにこそふさわしい。エンジンの変更が決定したのは自然な成り行きだった。3リッターV6としては超高回転型で、MT仕様では7300rpmで最高出力の280PSを絞り出した。レッドゾーンは8000rpmである。

ボディーサイズは全長×全幅×全高=4430×1810×1170mmで、現在の水準からすれば意外なほど小さい。無駄に大型化しないことは、エンジニア陣が常に意識していた約束事だ。大きく重くなれば、理想のスポーツカーからどんどん離れていってしまう。アルミボディーによる軽量化の恩恵もあり、0-100km/h加速はMT車で5秒、AT車で6秒8という優れた値を示した。最高速度は270km/hに達する。

価格も衝撃的だった。MT車が800万3000円、AT車が860万3000円である。当時の日本車では最高額だったが、高くて驚かれたのではない。あり得ない安さだったのである。同等の性能を持つライバル車は、軒並み2倍を超えるプライスタグを付けていた。誰にでも乗れるスーパーカーという理想は、価格面でも追求されたのだ。

1989年2月時点における「NSX」(プロトタイプ)のデザインスケッチ。キャノピー型のキャビンをはじめ、そのデザインは米軍の戦闘機「F-16ファイティングファルコン」をモチーフにしたものだった。
1989年2月時点における「NSX」(プロトタイプ)のデザインスケッチ。キャノピー型のキャビンをはじめ、そのデザインは米軍の戦闘機「F-16ファイティングファルコン」をモチーフにしたものだった。拡大
プロトタイプのリアまわり。「NSX」の長いテールは横風への耐性を考慮したもので、副産物として、ミドシップのスーパーカーとしては大きなラゲッジスペースも実現した。
プロトタイプのリアまわり。「NSX」の長いテールは横風への耐性を考慮したもので、副産物として、ミドシップのスーパーカーとしては大きなラゲッジスペースも実現した。拡大
プロトタイプに搭載されたV6 DOHCエンジン。バルブ1カ所につき複数のカム山が設けられたカムシャフトに注目。「NSX」には可変バルブタイミング・リフト機構のVTECが採用されていた。
プロトタイプに搭載されたV6 DOHCエンジン。バルブ1カ所につき複数のカム山が設けられたカムシャフトに注目。「NSX」には可変バルブタイミング・リフト機構のVTECが採用されていた。拡大
栃木・高根沢工場をラインオフする「NSX」。ホンダはNSXを生産するにあたり、専用の生産拠点として高根沢工場を新設。同工場では、後に「S2000」なども生産された。
栃木・高根沢工場をラインオフする「NSX」。ホンダはNSXを生産するにあたり、専用の生産拠点として高根沢工場を新設。同工場では、後に「S2000」なども生産された。拡大

常に独創性を求められるホンダの宿命

NSXの登場は、ホンダのイメージを劇的に向上させた。F1で培われた技術力は、市販車にも通じるものだということが知られるようになる。当時はホンダらしさが薄まったと評されることも多くなっていて、ブランド力にも陰りが見えていた。NSXはホンダ健在を示す格好の広告塔になったのである。

ただ、ホンダらしさについて議論になったのは、この時期だけではない。1994年に発売した「オデッセイ」が大ヒットした時も、ミニバンをつくるのはホンダらしくないと批判された。今も、ホンダはスポーツカーに力を注ぐメーカーだという認識は根強い。確かにホンダは1959年から二輪の世界最高峰レースであるマン島TTレースに挑み、3年後にチャンピオンに輝いた。四輪事業参入と同時期に四輪レースのF1に参戦し、2年目にして初優勝を遂げている。

ただ、市販車でスポーツカーをラインナップしていたのは「Sシリーズ」があった1970年までで、NSX登場までは空白の期間である。NSXの生産が2005年に終了した後には「S2000」も2009年で姿を消し、再びスポーツカー不在になった。2代目NSXが登場したのは、2016年。実に11年ぶりの復活である。ミドシップレイアウトは変わらないが、エンジンは縦置きとなり、パワーユニットはハイブリッドになった。システム全体で581PSという高出力で、ハイパワーと環境性能を両立させる新時代のスーパーカーに生まれ変わったのだ。

ホンダの宿命は、常に他メーカーとは異なる独創性や新規性を求められることだ。1967年発売のN360は軽自動車の世界にパワー競争を持ち込んだ。1972年には世界に先駆けてマスキー法をクリアする環境エンジンのCVCCを発表する。1981年発売のシティは「トールボーイ」という新鮮なスタイルを持っていたし、その翌年にデビューした2代目「プレリュード」は、デートカーというジャンルを開拓した。2000年には二足歩行ロボットの「ASIMO」を発表する。

NSXは単に高性能なスポーツカーとして称賛されたわけではない。常識にとらわれず、まったく新しいスーパーカーの姿を示したことに価値がある。ホンダイズムとは、常に変化を志向しチャレンジを続ける姿勢のことなのだ。

(文=webCG/イラスト=日野浦剛)

ホンダのスポーツイメージを一身に担って登場した「NSX」。1992年には、「タイプR」の名を冠する初のモデル「NSXタイプR」が追加された。
ホンダのスポーツイメージを一身に担って登場した「NSX」。1992年には、「タイプR」の名を冠する初のモデル「NSXタイプR」が追加された。拡大
「NSX」はタルガトップ仕様の追加や1997年と2001年の大幅改良などを経て、2005年まで販売された。写真は「III型」と呼ばれる2001年登場の後期モデル。
「NSX」はタルガトップ仕様の追加や1997年と2001年の大幅改良などを経て、2005年まで販売された。写真は「III型」と呼ばれる2001年登場の後期モデル。拡大
高い動力性能を誇る「NSX」はモータースポーツでも活躍。1995年にはルマン24時間耐久レースで総合8位、GT2クラス優勝という成績を挙げた。
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2015年には年初の北米国際自動車ショーで2代目「NSX」が世界初公開。初代の生産終了から10年の時を経て、ホンダのスーパースポーツが復活することとなった。
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2代目「NSX」は、フロントに左右前輪を個別に駆動する2基のモーターを備えた3モーターハイブリッドシステム「スポーツハイブリッドSH-AWD」を採用。独創性を追い求める姿勢は、初代から受け継がれている。
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鈴木 真人

鈴木 真人

名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。

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