第1回:フェラーリが映しだすセレブ俳優の孤独 − 『SOMEWHERE』
2011.04.15 読んでますカー、観てますカー第1回:フェラーリが映しだすセレブ俳優の孤独『SOMEWHERE』
ワークブーツで「モデナ」に乗る男
映画が始まっても、スクリーンはまだ真っ暗のままだ。闇の中から、エンジン音らしきものが響いてくる。耳を澄ませば、それがフェラーリ8気筒の奏でる特徴的なエグゾーストノートであることがわかる。
映像が現れると、そこは荒野だ。小さなサーキットのような道があり、黒い「フェラーリ360モデナ」が周回を重ねている。たいしたスピードではなく、限界の走りにはほど遠い。カメラの位置は固定されていて、映るのは道の一部だけだ。フレームからクルマが外れていってしばらく音だけが聞こえ、しばらくすると戻ってくる。これを3、4度繰り返し、フェラーリを停めて男が降りてくる。足元を見ると、ワークブーツのようなゴツい靴を履いている。スポーツドライビングに適したものではない。
フェラーリのオーナーにも、さまざまなタイプがある。レースでの栄光の歴史に敬意を表し、自分もその伝統に連なりたいと考える人もいるだろう。精緻なメカニズムとスピードに惚れ込む場合もあれば、何よりもデザインに意義を見出す人もいる。金を持っているからとりあえず有名なフェラーリでも買っておくか、そんな動機でオーナーになるケースも残念ながらあるのだ。そして、この映画の男がその典型であることを、ソフィア・コッポラ監督は、最初のシークエンスで浮かび上がらせた。見事である。
カメラすらその男には冷淡
スティーヴン・ドーフが演じるこの男の名は、ジョニー・マルコ。ハリウッドの人気俳優で、セレブの集うホテルとして知られるシャトー・マーモントで暮らしている。パーティー、酒、女。絵に描いたような自堕落生活だ。フェラーリも、彼の虚飾のひとつのアイテムにすぎない。
酔っ払った末に階段から転げ落ちた彼は、左腕を骨折する。それでもおとなしく療養生活を送らないのだから、不品行ぶりは筋金入りである。部屋のベッドに寝転がりながら見ているのは、金髪の女二人のポールダンスだ。ピンクのワンピースに赤いハイヒールというおそろいの衣装で、音楽に合わせて扇情的に踊る。終わった後は、折りたたみ式のポールを片付けてバッグに詰めて撤収する。実際にはこんなサービスはないらしいが、ハリウッドが舞台だと、こういう馬鹿げたゴージャス商売がありそうにも思えてしまう。
連夜のご乱行に疲れたジョニーがベッドでまどろんでいると、左腕のギプスに「cleo♡」と書く指が現れた。元妻のもとで暮らす11歳の娘が部屋を訪れたのだ。このクレオを演じるエル・ファニングが、「少女性」を全身から発していて素晴らしい。少女役では天才と言われた姉のダコタ・ファニングは、今や『ランナウェイズ』で下着姿で歌っていたりするのだが……。
ジョニーは元妻からクレオをフィギュアスケートのレッスンに連れていくように頼まれたのだ。スケートリンクに着いても手持ち無沙汰げにスマホをいじっていたが、娘のスケーティングを見るうちに引きこまれ、演技が終わると客席から全力の拍手で祝福する。
ここまでカメラは、ジョニーを撮る際に冷淡さを隠そうともしなかった。位置は常に固定され、彼がフレームから外れようとも関心を示さない。クレオを追うカメラは、一転して愛に溢れた視線を持つ。彼女の伸びやかな肢体を一瞬たりとも逃すことがないように、揺れながら動きを捉え続けるのだ。かくして、そこに湧き上がる幸福感を、観客はジョニーと共有することになる。
フェラーリに価値を与えるものとは?
クレオを家に送り届けると、ジョニーはまた荒んだ生活へと戻っていく。隣室の女のもとで夜を過ごし、自分の部屋に帰ろうとすると、ドアの前でクレアが待っていた。元妻が長期間家を空けることになり、しばらくの間一緒に生活するというのだ。TVゲームに興じたり、プールで泳いだり、父娘は久しぶりの幸福な日々を過ごす。
娘が穏やかな感情を与えてくれることは、自分のだらしなさを逆照射することになる。少女を基準にすると、汚れた心があらわになる。クレオがつくる料理、クレオが口ずさむ歌、何気ないけれどかけがえのない出来事があまりにも美しい。そして、ジョニーはそれに匹敵する何をも持っていない。
ジョニーは、フェラーリを「ヴィッツ」並みに扱っていた。クルマに限らず、モノの価値はそれ自身で決まることはない。空っぽな人間が乗っている限り、フェラーリですら意味を持たない。だから、彼は最後にある突飛な行為に出たのだ。新たな歩みを始めるために。
フェラーリは損な役回りを負わされてしまったようだけれど、もちろんただの悪役ではない。ソフィア・コッポラは、このクルマを選んだ理由について、「セクシーなクルマだから」と話している。誰もが理解する記号性を帯びているからこそ、スクリーンで俳優に拮抗する存在感を示すことができたのだ。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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