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第703回:絵画も音楽も自動車も 進化の原動力は“見せびらかし”だ!

2021.04.22 マッキナ あらモーダ!

マスコットが消滅

今週はクルマを「見せびらかす」という行為について考えてみたい。

その前に、最新の話題から。

2021年4月15日、メルセデス・ベンツの新型電気自動車(EV)「EQS」が発表された。グレードとしては「Sクラス」に相当する最高級EVである。

そのデジタルワールドプレミアを見ながら思い出したのは、1991年登場のメルセデス・ベンツSクラス=W140型である。

その発表後、筆者は当時在籍していた自動車誌『Super CG』の取材で、『カーグラフィック』誌創刊編集長の故・小林彰太郎氏と一緒に、シュトゥットガルトのダイムラー・ベンツ(当時)本社に赴くことになった。

11年にわたって製造された名作W126の後継だっただけに、当初からかなりの期待が寄せられていた。

出発前、編集部の先輩は真剣な顔で「最後のガソリンエンジン搭載Sクラスになるかもしれないから、しっかり取材してくるように」と筆者に告げたものだ。

実際には今回のEQS登場まで、3代(現行型も含めると4代)・30年を要したことになる。

それはともかく、EQSの外観で注目すべきは、Sクラス相当の最高級車でありながら、「スリーポインテッドスター」のマスコットがないことである。

マスコットはラジエーターグリルのふたという当初の役目を終えたあとも、車線の中心を走るための目安という理由で自動車の一番目立つ位置に装着されてきた。

しかし、実際にはメルセデス・ベンツのマスコットは、「見せびらかすためのものであった」と書いて正しいだろう。

レーンキーピングアシストシステムがある今日、車線の中心を走るためなどという説明は、完全に言い訳になってしまった。

そういう筆者自身の思い出を告白すれば、ワーグナーの『ニーベルンクの指環』を聴きながら、実家にあったW124のスリーポインテッドスターに導かれて走るのは、自分が持っていた「フィアット・ウーノ」で走る軽快感とは別次元の悦楽があったものだ。

メルセデス・ベンツのマスコットは、ロールス・ロイスの「スピリット・オブ・エクスタシー」と並び、たとえ自動車に詳しくない人に対しても、それが高級車であると分からせる、強力なアイコンであった。

メーカーもユーザーが見せびらかしに用いることとそのバリューを、十分に意識していたに違いない。だからこそ、1981年のコンセプトカー「アウト2000」で早くもマスコットを取り去ることを試みていたにもかかわらず、今回のEQSに至るまで40年間もそれに踏み切れなかったのである。

メルセデス・ベンツEQS
メルセデス・ベンツEQS拡大
「メルセデス・ベンツEQS」のフロントフードに、もはやマスコットはそびえ立っていない。
「メルセデス・ベンツEQS」のフロントフードに、もはやマスコットはそびえ立っていない。拡大
W140型メルセデス・ベンツSクラス(1991年)
W140型メルセデス・ベンツSクラス(1991年)拡大
メルセデス・ベンツ・アウト2000コンセプト(メルセデス・ベンツ博物館蔵)
メルセデス・ベンツ・アウト2000コンセプト(メルセデス・ベンツ博物館蔵)拡大

見せびらかしは文化だ

「見せびらかす」と書くと、なにやら低俗な響きを感じる人もあろう。読者のなかには、「俺は見せびらかすためにクルマに乗っているのではない。運転する喜びのために乗っているのである」と反論する方もおられるに違いない。

しかし「見せびらかし」の類語のひとつには「誇示」があり、決してネガティブな印象をもって語られるべきではない。

歴史をさかのぼれば、「見せびらかし」はヨーロッパの文化を進化させた。

14世紀中盤に芽生えたルネサンスの潮流が、中世のキリスト教観中心の美術を大きく変えたことは周知の事実だ。

しかし、画家たちのパトロンは依然として貴族や教会であり、真の意味で美術が人々の間に行き渡ったとはいえなかった。

本当に民衆に近くなったのは1517年の宗教改革を経たあとの、17世紀オランダである。富裕層が、宗教から解き放たれたあらゆる題材の絵を注文するようになったからだ。その多くは自邸を飾るのが目的だった。つまり見せびらかしだったのである。

そうした潮流は画商や美術市場も生んだ。

1789年に起きたフランス革命による旧体制の崩壊と、その副産物であるルーヴル美術館もしかりである。後年、ナポレオンがイタリアをはじめさまざまな国から収奪したものを陳列することにより、ミュージアムという新たな見せびらかしのスタイルを形成した。

こうして繰り返された見せびらかしによって、美術が一般の人々に広まったのである。作品が多くの人の目に触れるようになったことで、評価される機会が増加し、ひいては領域が限りなく広がっていったといえる。

音楽の世界についても記そう。教会や宮廷の庇護(ひご)によって生活できた時代が終焉(しゅうえん)を迎えると、音楽家は劇場で演奏会を開催し、より広い聴衆に向けて作品を発表する必要が生じた。

ルートヴィッヒ・ファン・ベートーベン(1770~1827年)は、今日の言葉を用いれば、著名な作曲家のなかで初めてフリーランスとして活動した人物である。

しかし「見せびらかし」という観点においては、もう少し時代を下ったジャコモ・プッチーニ(1858~1924年)が秀逸であった。

アメリカを舞台にした『西部の娘』、日本をテーマにした『マダム・バタフライ』といった近代的エキゾチシズムあふれる台本を次々と取り上げて人気を博した彼は、自身のいでたちも常にダンディーであるように留意していた。

生誕地であるイタリア・ルッカにあるジャコモ・プッチーニ博物館のジョルジョ・デル・パーパ氏は、筆者が訪れた際、「プッチーニは、写真や肖像画に収まる際、自分を意識していた。帽子のかぶり方やステッキの持ち方、葉巻の角度にまでこだわっていた」と解説してくれた。

その小道具として、自ら運転する自動車も大いに役立てていた。

「視覚的に粋で、目新しいものを取り入れることがアーティストの華になると考えていたからだろう」と彼は考察する。いわば、ビジュアル系アーティストの草分けである。

セレブリティーが集まる温泉保養地にもたびたび登場。女性ファンも多く、夫人の心配は絶えなかった。

彼の「見せびらかし」のおかげで、オペラファンの裾野は、ひとつ前の世代にあたるジュゼッペ・ヴェルディと比べて大きく広がったのである。

ジャコモ・プッチーニ像。イタリア・トスカーナ州ルッカの生家前で。
ジャコモ・プッチーニ像。イタリア・トスカーナ州ルッカの生家前で。拡大
本人の別荘があったマッサチュッコリ湖に立つプッチーニ像。
本人の別荘があったマッサチュッコリ湖に立つプッチーニ像。拡大

自動車史と見せびらかし

自動車も見せびらかすことで発展を遂げてきたと言っても過言ではない。

1908年の「フォードT型」は、世界で初めて量産化に成功したばかりか、価格の大幅な低減も実現した。

しかし19年間にわたって生産され、デザインの変化に乏しく、カラーバリエーションも少ないままだったT型は、それらを充実させたゼネラルモーターズのシボレーをはじめとするモデルに市場で負けてしまう。T型オーナーは、愛車と同じクルマが路上で爆発的に増殖するにしたがい、「見せびらかせる」価値が下がったことに気づいて愛想を尽かしたのである。

ただし、自動車界における最も華やかな「見せびらかし」は、コンクール・デレガンスである。

1920年代にヨーロッパ各地で始まったそれは、当時の高級車の購入方法と強い関連性をもっていた。オーナーはメーカーからシャシーのみを買い、好みのボディー製作業者(カロッツェリアもしくはカロスリ)に架装させていた。自身のセンスを同好の士に見せびらかす好機がコンクール・デレガンスであったのだ。

そうしたなかで誕生した代表的なものがルネ・ラリックのガラス製マスコットである。そればかりか、ガラスのステアリングホイールといった、非実用を通り越してある種危険なものまで登場した。

ボディースタイルに目を向ければ、フロントホイールを覆うスパッツまでもがつくられた。ステアリングの切れ角という観点から全幅を拡大せざるを得ず、実用性を考えれば、ほとんど意味のないことだった。また、空気力学的にはそれほど貢献しなかったといえる。

しかし、1930年代、流線形のあるべき姿が模索されていたとき、コンクール・デレガンスで提案された優雅なデザインは、どのような形態がより人々に受け入れられるかを考える好機になったと筆者は考える。

実際、コンクールの文化とはほど遠かった米国で、クライスラーとデソートがリリースした「エアフロー」(1934年)は、せっかく流線形をいち早く提案したにもかかわらず、スタイリッシュではないという評価から市場で失敗している。

見せびらかしを意識しなかった結果といえる。

かつては国家首脳が乗る自動車も、見せびらかしの象徴であった。

その一例として、フランスのジョルジュ・ポンピドー大統領用にカロスリのアンリ・シャプロンが仕上げた「シトロエンDS21」(1968年)がある。その全長は、当時のアメリカ大統領専用車「リンカーン・コンチネンタル」よりも長い6.53mであった。大西洋を挟んだ冷戦時代の、国の威信をかけた見せびらかしといえる。

往年のフランス製高級車であるドラージュと、ルネ・ラリックによるマスコット。
往年のフランス製高級車であるドラージュと、ルネ・ラリックによるマスコット。拡大
フィゴーニ・エ・ファラシのコーチワークによる1939年の「ドラージュ・タイプD8-120」(トヨタ博物館蔵)。
フィゴーニ・エ・ファラシのコーチワークによる1939年の「ドラージュ・タイプD8-120」(トヨタ博物館蔵)。拡大
スイスのギア・エイグルがボディーを手がけた「ドライエ135MSクーペ」(1949年)。前後輪のスパッツを上げたところ。
スイスのギア・エイグルがボディーを手がけた「ドライエ135MSクーペ」(1949年)。前後輪のスパッツを上げたところ。拡大
クライスラー・エアフロー(1934年)
クライスラー・エアフロー(1934年)拡大
フランス大統領府にカロスリのアンリ・シャプロンが納品した「シトロエンDS21」(1968年)。全長は当時のアメリカ大統領専用車よりも長かった。
フランス大統領府にカロスリのアンリ・シャプロンが納品した「シトロエンDS21」(1968年)。全長は当時のアメリカ大統領専用車よりも長かった。拡大

見られることがビタミンになる

その後も、計画的陳腐化というストラテジーに後押しされたとはいえ、世界の市販車が見せびらかせる魅力を競いながら市場を拡大してきたのは、まぎれもない事実である。

今の筆者が興味深いのは、近未来だ。

報道されているとおり、ヨーロッパ各国は純粋な内燃機関車の販売を禁止する年を、相次いで示している。

そうしたなかアストンマーティンのローレンス・ストロール会長は2020年12月、2030年に英国で純粋な内燃機関車の販売が禁止された後も、他国のペトロールヘッド(ガソリン車ファン)のために供給を続けると語った。

筆者が思うに、内燃機関を搭載したスーパーハイパフォーマンスカーは、徐々にサーキット専用になっていくだろう。

すると、各国のホモロゲーションを通過させるための細かい保安基準をかなり無視できるようになることから、自由度の高いデザインが可能になると思われる。

ただし、ごく限られた愛好者の間で見せびらかし、評価し合うようになるから、普遍的なカーデザインの美とは異なり、かなりとっぴなものに発展していく危険性もある。

同時に、街なかにあるクルマも変わっていくだろう。

それを後押しするのは「所有」から「共有」へのトランジションだ。先に断っておくが、筆者自身は、自動車の共有化が進むことに何のためらいもないばかりか、都市においてはそうあるべきだと考えている。シェアリング時代のカーデザインに対する可能性にも期待している。

だが、使用者と所有者が異なるということは、使用者からの「こうしたデザインであってほしい」という強い意志を、クルマが反映しないことになる。同時に、所有していない人が乗ることになるので、見せびらかそうという気持ちが減退するのも間違いない。つまり、自動車デザイナーは所有欲をかき立てるようなデザインを考える必要がなくなるということでもある。

クルマが人から見られないようになり、デザイナーがデザインする意欲を失ってしまったら、どこか画一化された、潤いのない路上風景になってしまいそうな気がするのだ。

製造コストや安全基準を考えながらそれをデザインしている人には大変失礼な話だが、東京を訪れるたびに悲しくなるのは路線バスだ。十年一日のごとく変わらない内装を目にするたび、複雑な思いを抱いてしまう。あの絶望感に似た感情が、今後は乗用車を見たり乗ったりするときにも襲ってきたら悲しいではないか。

日本のシンガーソングライターであるEPOの1983年の楽曲『う、ふ、ふ、ふ』のなかに、「見られることが(中略)ビタミンになる」という歌詞があるが、クルマにおいても、まさにそうであろう。

蛇足ながら個人的に「人に見られない」のはよくないということに気づいたのは、先日手帳をめくったときだ。最後に自分のクルマを洗ったのは、昨2020年の10月20日であった。実に半年前である。寒い冬に洗うのが嫌であること以上に、新型コロナの影響で外出するのも客人を乗せる機会も減ったことが背景にある。人に見られる機会が減ると、きれいにせねばという気もなかなか起きない。

かつてイタリアの地を初めて踏んだとき、街のクルマを見て「きったねえなあ」と感想をもらした筆者だが、今ではしっかりその一員となっていた。

(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=ダイムラー、ステランティス、Akio Lorenzo OYA/編集=藤沢 勝)

1935年の「メルセデス・ベンツ770K“グローサー・メルセデス”プルマン・リムジン」(メルセデス・ベンツ博物館蔵)。
1935年の「メルセデス・ベンツ770K“グローサー・メルセデス”プルマン・リムジン」(メルセデス・ベンツ博物館蔵)。拡大
ジャコモ・プッチーニ像と筆者。温泉保養地のモンテカティーニ・テルメにて。さながら「そこ、どけ」と追い払われているようである。
ジャコモ・プッチーニ像と筆者。温泉保養地のモンテカティーニ・テルメにて。さながら「そこ、どけ」と追い払われているようである。拡大
大矢 アキオ

大矢 アキオ

コラムニスト/イタリア文化コメンテーター。音大でヴァイオリンを専攻、大学院で芸術学を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナ在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストやデザイン誌等に執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、22年間にわたってリポーターを務めている。『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(二玄社)、『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。最新刊は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。

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