第723回:残るはルノーのみ! パリのシャンゼリゼ通りから自動車ショールームが姿を消していく理由
2021.09.16 マッキナ あらモーダ!気になっていたシトロエンビル
20世紀のフランスを代表する映画俳優のひとり、ジャンポール・ベルモンドが2021年9月6日に死去した。88歳だった。
彼の主演作品といえば1965年の『気狂いピエロ』を真っ先に思い浮かべるが、1960年の『勝手にしやがれ』も有名である。同作の中では、自動車泥棒を演じるベルモンドが、英字新聞売りのアメリカ人少女とパリのシャンゼリゼ通りを歩くシーンが印象的だ。3分近くノーカットで、2人が会話をしながら歩く姿を捉え続けている。まさにヌーベルバーグの香りがぷんぷんと漂っている。同時に、自動車好きにとっては沿道に縦列駐車されているクルマも楽しみのひとつだ。戦前、もしくは戦中型と思われるモデルさえも映り込んでいる。
そのシーンで、ひとつ思い出したものがあった。シャンゼリゼ通りのシトロエンショールームである。
この施設は歴史が深い。開設は創業から10年にも満たない1927年にまでさかのぼる。
車両展示という本来の機能に加え、筆者がシトロエン歴史資料館の協力のもとで見つけた資料によれば、1950年代には社内美術作品展に用いられたという記録もある。
1984年の大改装では、フランスの外食チェーン、イポポタミュとの提携のもと、車両展示ブースを備えたステーキレストランのイポ・シトロエンに生まれ変わった。
やがて2004年から約3年の改築期間を経て、2007年10月に新ショールーム「C42」として再オープンした。そのときのリポートは本欄第11回を参照いただきたい。
しかし、シトロエンブランドを擁するグループPSAが経営危機に陥った2013年、この歴史的なショールームは、カタール資本に7700万ユーロで売却された。なおPSAはグランダルメー通りにあるプジョーのパリ本社およびショールームも2012年に売却している。
その後も2018年までシトロエンはテナントのかたちでシャンゼリゼのショールームを運営してきたが、2018年2月をもって営業を終了した。ブランドとしては、約90年にわたる歴史ある拠点の閉鎖だった。
その後、C42はどうなったのか? 2007年の再オープン当日、数少ない日本人ジャーナリストとして訪問しただけに、気になっていた。
そこでイタリアから、パリ在住のフランス人である知人のディディエに聞いてみることにした。
(ほぼ)みんな店じまい
返ってきた答えは驚くべきものだった。
「まだ閉鎖されたままで、工事さえ手つかずだよ」
C42の内部では、高さ30mの吹き抜けに、クルマ1台分の円形展示フロアを縦に幾重にも配置していた。そのうち来館者が実際にアクセスできるフロアはごく少数という、極めて特殊な構造だった。そのため他業種への転用が極めて困難なことも、“空き家状態”が継続している原因と筆者は確信した。
知人は、さらにショッキングなことを教えてくれた。
「もうプジョーもトヨタもメルセデス・ベンツもシャンゼリゼから撤退して、残っているのはルノーだけだよ」
彼の追加情報を交えながら整理し、凱旋(がいせん)門に近いほうから順番に、判明したかぎりの店内面積と閉鎖年を記してみる。
- プジョー・アベニュー(300平方メートル):2018年
- メルセデス・ベンツギャラリー(500平方メートル):2018年
- ランデブートヨタ(1100平方メートル):2017年
- シトロエンC42(650平方メートル):2018年
- FCAモータービレッジ(800平方メートル):2021年2月(先に2020年に併設レストランを閉鎖)
メルセデス・ベンツがシャンゼリゼに進出したのは1910年代であるから、こちらもシトロエンと同様に歴史的なショールームの閉店である。いっぽう、トヨタのオープンは1998年10月。開設時に540万ドル(参照:『オートモーティヴ・ニュース電子版』)を投じながら、わずか19年での店じまいということになる。
また、シャンゼリゼ通り以外でも、パリでは以下が閉鎖されている。
- DSワールド・パリ<フランソワ1世通り>(600平方メートル):2019年
- アウディシティー・パリ<マルシェ・サントノレ広場。オペラ通り近く>(355平方メートル):2019年3月
自動車メーカーというものは、オープンするときはにぎにぎしくアナウンスするものの、撤収・撤退するときはひっそりと行うのが常であることは承知しているが、あまりに閉鎖が連続している。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
“世界随一の散歩道”で起きていること
FCA以外は、新型コロナウイルスの感染拡大が深刻化する以前に閉鎖されていたことになる。
フランスの一部メディアは、背景として賃貸料の高騰を指摘する。
不動産会社であるクシュマン&ウエークフィールドの2018年データによると、シャンゼリゼ通りの1平方メートルあたり平均賃料は月1204ユーロ(2021年9月現在の換算で約15万6000円)。これはフランス国内平均の約100倍に相当するという。
日本の東京都中央区銀座1階店舗の賃料の平均坪単価6.7万円(2020年第3四半期データ。出典:日経不動産マーケット情報)を1平方メートルあたりに換算すると約2万円であるから、いかにシャンゼリゼの賃料が高額であるかが分かる。
昨今、電動化と自動運転に多額の投資を強いられている自動車メーカーにとって、そうした出費が、決して好ましくないものであることは確かだ。
また、2018年秋からの市民による政府への抗議活動、いわゆるイエローベスト運動の影響も無視できない。一部の過激化した参加者による、多国籍企業のショールームのウィンドウを目標にした破壊行為も、自動車メーカーに再考を促したに違いない。
往年の東京でも、商人は銀座に店を出すことを夢見た。例えば実業家の中内 功はスーパーマーケットのダイエーで一大流通帝国を築いたにもかかわらず、1980年代半ば、銀座3丁目にデパートであるプランタン銀座をオープンした。
出版人にとっては同じ東京の神田神保町に編集部を持つことが夢だった。筆者が1990年代に勤めていた出版社も、所在地を神保町にすることにこだわり続けたものだ。
だが、インターネットの普及でどこにいても同じ品物が買えるようになり、その連鎖反応として「エリア」のステータスが急激に減少、場所にこだわる人々が減少している。
それはヨーロッパでも確実に起きており、最も顕著な例がシャンゼリゼなのである。自動車メーカーがシャンゼリゼにこだわる必要はまったくなくなったのだ。
実際、テスラはシャンゼリゼではなく、マドレーヌ寺院近くに小さなショールームがあるだけだ。だが、2021年1月~7月のフランス国内販売台数で、「テスラ・モデル3」は、「ルノーZ.O.E.」や「プジョーe-208」を抑えて電気自動車のトップを快走している。
これも筆者の見解であるが、「シャンゼリゼに出店している=高級ブランド」という方程式の崩壊もある。かつてハイエンドなショップが立ち並んでいた通りには、2000年前後からGAPやZARAといった外資系ファストファッションブランドが次々と店をオープンした。それに伴い、憧れのショッピング通りというステータスは薄れていった。
筆者もしかりで、東京のJR沿線駅前と同じ店かと思うと、わざわざシャンゼリゼ詣でをする意欲が次第に消えていった。大都市パリには、観光客があまり訪れない面白スポットが山ほどある。そのため新型コロナ以前、本の執筆などの取材でパリを年に何度か訪れていたのに、この自動車ショールームの変化を察知するのが遅れた。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
すべてはここから始まった
ただし筆者にとって、シャンゼリゼの自動車ショールーム群が、フランスの自動車に関心を持つよいきっかけとなったことは間違いない。
1980年代中盤、初めてパリの土を踏んだとき、通りにはまだアルファ・ロメオのショールームがあった。今はマクドナルドがある140番地付近だったと記憶している。もらったカタログには「アルファ33」「アルファ75」といったモデルがプリントされていた。
ショールームではないが、付近にはフィアットの事務所もあって、青地に並行四辺形のFIATロゴがさんぜんと輝いていたものである。
ルノー・アベニュー(当時の名称)では、まだ「ルノー4」のリーフレットがもらえた。
締めは、前述のイポ・シトロエンでの昼食だった。シトロエンのドゥブル・シェブロン印があしらわれたナプキンやサンドイッチのピック(ようじ)といった、今考えればささいなものを丁寧にカバンにしまった。なによりうれしいことに、筆者のテーブルの真横には、発売されたばかりの赤い「AX」が展示されていた。帰りに手に入れた「2CV」のカタログには著名な漫画『タンタン』があしらわれていた。
仮に当時、パリ市中の一般販売店に飛び込んでクルマを見せてもらったり、カタログをもらったりしようとしたら、かなりの勇気を要したに違いない。いっぽう観光客にも門戸が開かれたシャンゼリゼの店では、それが不要だったのである。
しかし、それよりも大切な思い出がある。冒頭の2007年、シトロエンがC42を完成披露したときだ。プレスデーの関係者インタビューだけではつまらないので、一般人の感想を聞こうと、一般公開日に館内から出てきた家族をつかまえた。
それこそ今回シャンゼリゼの現状を教えてくれたディディエだった。その後、筆者がパリを訪れるたびに彼の自宅に顔を出すようになり、ある夏には逆に彼らがクルマを走らせて筆者が住むシエナまでやって来た。
こうした貴重な出会いがあったことを思うと、シャンゼリゼの自動車ショールーム群消滅に一抹の寂しさを禁じ得ないのである。
(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/編集=藤沢 勝)

大矢 アキオ
コラムニスト/イタリア文化コメンテーター。音大でヴァイオリンを専攻、大学院で芸術学を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナ在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストやデザイン誌等に執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、22年間にわたってリポーターを務めている。『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(二玄社)、『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。最新刊は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。