第779回:謎の巨大スクールバスに遭遇 その乗員は「さまよえるオランダ人」だった!
2022.10.20 マッキナ あらモーダ!あまりに場違いなクルマ
2022年9月の、雨上がりの朝のことである。シエナの公共駐車場で、とんでもない車両の姿が筆者の目に飛び込んできた。スクールバスである。イタリアのものではない。米国のそれである。
米国式スクールバスといえば、筆者が幼年時代を送った1970年代、近所にあった米軍横田基地の周辺でたびたび目にしていた。だがイタリアに住み始めて四半世紀の間に、それを目撃したことは一度もなかった。
奇抜なプロモーション用にチャーターされた車両か? だが、それを匂わせるような社名や商品名は車体に見当たらない。次に気づいたのは、前後のナンバープレートがオランダのものだということだった。さらに観察してみると、またあることに気がついた。窓が曇っているのだ。朝7時台である。誰かが車中泊していたに違いない。
脳裏に浮かんだのは、リヒャルト・ワーグナーが1842年に作曲したオペラ『さまよえるオランダ人』だった。登場する幽霊船のオランダ人船長は、悪魔ののろいによって死を許されないばかりか、上陸が許されるのは7年に一度。そのため、ひたすら海をさまよい続けていた、というストーリーである。
イタリアの風景にはあまりに不釣り合いなこのスクールバスも、その巨体ゆえ停泊(駐車)場所に窮し、大洋ならぬ欧州大陸を彷徨(ほうこう)し続けているのでは、といった想像が膨らんだ。同時に、それを発見した筆者は、劇中で幽霊船に遭遇し、オランダ人船長に声をかけたノルウェー船の船長ダーラントのような心境に陥った。
その正体は?
とはいっても、いきなりドアをたたくのは気が引ける。そこで正体を確かめるべく、隣接する公園で1時間ほど待ち伏せすることにした。やがて遊具のそばに、父親と幼い子ども2人と思われる人影が現れた。父親の高い身長からして、オランダ人に違いない。近づいて声をかけてみると、やはりスクールバスのオーナーだった。30代とおぼしき彼にクルマのことを尋ねると、「キャンピングカーに使おうと、昨年購入したばかりです」と教えてくれた。
「バスは米国のブルー・バード社による1997年式です」
ブルー・バードの公式ウェブサイトによると、スクールバスの車体製造では90年の歴史をもつ。初期の車両はミシガン州ディアボーンのヘンリー・フォード博物館にも収蔵されている。今日ではジョージア州メーコンに本拠を置いている。
彼の車両はフォード製シャシーをもつ。エンジンは商用車用として長年にわたって高い人気を誇ってきたカミンズ製5.9リッター6気筒12バルブ ディーゼル、変速機はこちらも大型車用として定評のあるアリソン社製3段ATだ。購入時の走行距離は、19万8270マイル(約31万9000km)だった。
オーナーは、アムステルダムの北140kmの町、グラウにある自動車整備工場兼並行輸入業者を通じて購入した。「ただしその前は、ここにあったものです」とスマートフォンで見せてくれたのは、米国フロリダ州にある中古スクールバス専門業者のウェブサイトだった。2022年10月現在、安いものだと7650ドル、高いものだと4万ドル台で売り出されていて、「現金特価」といった勢いのよい文字まで躍っている。どの自動車のジャンルにも、販売のプロというのはいるものだ。車体に残る現地の公安委員会スクールバス担当のステッカーを見ると、2021年10月に最後の車検が実施されている。
こういう家庭に生まれたかった
筆者はこれまでの人生で、印象的なキャンピングカーにたびたび遭遇してきた。再び1970年代の東京郊外での回想をお許しいただければ、米軍基地の真横にはカネショウという並行輸入業者があった。駐車場には、マジシャン(初代)引田天功のために彼らが提供した米国製のモーターホームが置かれていて、その大きさに目を奪われた。イタリアに住んでからは、目的地への足がわりとしてクルマ丸々1台をトレーラーでけん引したキャンピングカーを何度か目撃した。デュッセルドルフの専門ショー「キャラバンサロン」では、クルマを床下に収納できるキャンピングカーも取材したことがある。
しかしインパクトという点では、彼のスクールバスは、それらをはるかに上回っている。服やひもが車両に巻き込まれることへの注意喚起をはじめ、ドライバーに対する運転中の携帯電話禁止、さらには「運転士や学校関係者の許可なく車内に乗り込んだ場合、2500ドルの罰金もしくは懲役の可能性があります」など、本来の用途に供されていたときの注意書きの痕跡が生々しく残っていることも、そのムードを増幅している。
オランダの住まいからシエナまでの走行距離は、1400km以上だったという。エンジンこそ思いのほか小さいが、やはり巨体を引っ張る必要がある。筆者が恐る恐る燃費を聞いてみると、オーナーは一瞬間を置いてから「……知りません!」と笑った。おおらかな心がないと、こうした趣味を敢行することはできないのだろう。
その日、駐車場では乗用車6台分のスペースを占有してしまっていた。
「全長は11mを超えます」
後日筆者が調べたところによると、正確な全長は11.59m(38フィート)。オリジナルのスペックでは、子どもなら72人が、大人なら48人が乗車可能だ。室内長×室内高も8.66×1.87mある。筆者がこのバスを発見した前日までは大雨だったが、彼の子ども2人は、車内を前後に走り回るだけで、十分楽しかったに違いない。東京臨海部を走る新交通システム「ゆりかもめ」の一両(全長9m。出典:三菱重工)に限りなく近いのだから。子どもたちが小さすぎて聞けなかったが、彼らとしてはフェラーリやロールス・ロイスが家にあるより何十倍も楽しいことだろう。
スクールバスは、幽霊船どころか家族の幸せなクルーザーだった。筆者も、「こういう破天荒なクルマ選びをする家庭で少年時代を過ごしたかった」とうらやましくなった、雨上がりの朝であった。
(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/編集=藤沢 勝)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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