第793回:誕生40年を迎えた「フィアット・ウーノ」はクルマ界の「ネオリアリズム映画」だ
2023.02.02 マッキナ あらモーダ!始まりはランチア
往年のフィアット製小型車「ウーノ」が誕生40周年を迎えた。
ウーノは1983年1月、米国のケープ・カナベラルで報道関係者に賑々(にぎにぎ)しく公開された。1989年に後期型となり、1995年に本国での生産終了後も2014年まで旧FCAのブラジル工場でつくり続けられた。
筆者が東京でこのフィアット・ウーノを3年間にわたり所有していたことは、ブラジル生産終了を機会に、本欄第329回「『ありがとう』仕様でさよなら 『フィアット・ウーノ』は生きていた!」に紹介した。
今回は当時書き足りなかったことと、今日のイタリアにおけるウーノを記してゆこう。
実はウーノ、1970年代末の試作段階ではランチアブランドでスタートしていた。これはデザイナーのジョルジェット・ジウジアーロが過去に『クアトロルオーテ』誌に語り、イタリア屈指の自動車史家G.ボエット=コーエンの著書にも記されている。つまり、フィアットよりも一段階上の車格を目指して計画が開始されたことになる。
その後、社内体制の変化を受けてフィアットブランドに移すことが決められた。以来、グループの自動車部門で社長を務めていたヴィットリオ・ギデッラ(1931~2011年)のもと、「フィアット127」の後継車として開発が続行された。
コードネームは146。ジウジアーロと彼のビジネスパートナーであるアルド・マントヴァーニは、雨どいを内蔵するボディーなどを、果敢にウーノにも反映していった。1998年にジャーナリストのルカ・チフェーリが執筆したイタルデザインの設立30周年記念書籍によれば、それは先に「いすゞ・ピアッツァ」で試みたものを応用したという。
ちなみに開発が進められた当時のイタリアは、1978年のモーロ首相暗殺、1980年のボローニャ駅爆破事件にみられるように、暗い時代を引きずっていた。いっぽうで、社会の空気は確実に変化の兆しをみせていた。1978年にはローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が455年ぶりの非イタリア人教皇となり、1983年にはイタリア憲政史上初めて社会主義系政党から首相が誕生した。経済は回復基調をみせ、国内総生産は1978年の3040億ドルから1980年には4600億ドルへと拡大している。
かくもイタリアに一筋の光明が差してきた時代に、ウーノは誕生したのである。デビュー翌年の1984年には欧州カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。
いっぽう、今日のウーノはどのような扱いを受けているのだろうか。
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ターボが高騰しているものの……
1985年に登場した「ウーノ ターボ」は、今や類似車が少ないタイプのクルマだ。新車時のメーカーのキャッチを借りれば「ピッコラ・ボンバ=リトル・ダイナマイト」として人気なのである。2021年秋、筆者が住むシエナと同じトスカーナ州のアレッツォで開催された「ウーノ・ターボ・クラブ・イタリア」のミーティングは、旧市街の広場も使用することから参加台数を60台に限定したところ、募集直後に満員となった。
価格もまた、引く手あまたであることを示している。本稿執筆を機会に、欧州有数の中古車検索サイト『アウトスカウト24』でウーノ ターボを検索してみた。すると、1985年式・走行5万kmで5万ユーロ(約706万円)といった出品までみられる。クラブのメンバーたちが「部品取り用の個体が高くて買えない」と筆者に嘆く理由が分かる。
いっぽうで標準仕様は、3ドア・5ドアともあまり取り上げられる機会がない。今回の40周年も、自動車メディアを除き、イタリアではあまり取り上げられていない。前述の中古車検索サイトでの中心価格帯は2000ユーロ(約28万円)台である。イタリアではあまりに日常使い用のクルマだったため、回顧の対象ではないことがうかがえる。
ところでイタリアでは、国内で評価される以上に海外で評価されたため、後年になって国内でその価値に気づく文物がたびたびある。
今こそ必要なものがある
その20世紀における代表例は、ネオレアリズモ(ネオリアリズム)映画だ。それは、第2次大戦中から戦後におけるイタリア一般市民の貧しい生活を赤裸々に描いた作品群が中心である。可能な限りセットを用いず、ロケを多用しているのも特徴だ。
1943年に公開されたルキーノ・ヴィスコンティ監督『郵便配達は二度ベルを鳴らす』は、その先駆けとされる。しかし、ハリウッド映画に憧れ、民族主義的レアリズモを好んだベニート・ムッソリーニの次男ヴィットリオからは疎まれる。果ては上映禁止に追い込まれた。
戦後はロベルト・ロッセリーニ監督の1945年『無防備都市』、ヴィットリオ・デシーカ監督の1948年『自転車泥棒』など、これまた意欲作が生まれる。だが、イタリア政界からは決して好評を得ることがなかった。のちに首相となるジュリオ・アンドレオッティは、ネオレアリズモ映画を指して、「汚れた洗濯物を、洗って表に干すべきではない」と非難している。マーシャル・プランによって復興のチャンスをつかみ、輸出産業によってイタリアの対外的イメージを良くしようとしていた時期に、そうした映画の印象がマイナスに働くと考えたのであろう。
しかしネオレアリズモは、大西洋を越えたアメリカで逆に高く評価されたことから、世界的に知名度を得るようになった。
もちろんウーノがネオレアリズモ映画のような仕打ちを受けてきたわけではないし、ましてや「汚れた洗濯物」では断じてない。
しかし、ジャーナリストやイタリア人が忘れてしまったあとも、南米で一般市民に支持され続けた事実は、自動車界のネオレアリズモ映画といえまいか。
同時にウーノの存在が示すものが、もうひとつあると筆者は考える。それは昨今、電動化にまい進するあまり、ウーノのような合理的・知的なデザイン、かつ安価な乗用車の提案がみられなくなってしまったことだ。パワートレインという本質を除けば、ハリウッド映画のように、コンセプト以上の部分で気合が入ったクルマが目立つのである。
事実、ジウジアーロはウーノをデザインする際、「低価格、高機能、ユーザーを困らせる要素がない」ことを最優先にしたという。
世界各地で所得格差が拡大する今こそ、あらためてウーノのような精神を持ったクルマが必要と信じるのである。
(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/編集=藤沢 勝)
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大矢 アキオ
コラムニスト/イタリア文化コメンテーター。音大でヴァイオリンを専攻、大学院で芸術学を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナ在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストやデザイン誌等に執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、22年間にわたってリポーターを務めている。『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(二玄社)、『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。最新刊は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。