第442回:イタリアのスバル販売店訪問!
これはクルマ界の「名曲喫茶」だ
2016.03.25
マッキナ あらモーダ!
80歳の現役スバル販売店長
ボクが住む街シエナには、スバルの販売店がある。県内唯一のスバルディーラーだ。気がつけば、この街に20年近くも住んでいながら訪れたことがなかった。なぜなら、スバルの最新モデルには東京モーターショーなどの取材で接することができるからである。足が遠のく理由は、もうひとつあった。他ブランドのセールスマンたちが、そのスバル販売店オーナーを畏れているのである。
どんなオーナーなのか、逆に気になってきたボクは、いてもたってもいられなくなり、勇気をもって訪ねてみることにした。
「アウトサローネ・モンテカルロ」というそのスバル専売店は、旧市街から少し出た街路沿いにある。ガソリンスタンドと薬局にはさまれた古い6階立てアパートの1階だ。外には3台分の中古車展示スペースが設けられている。クルマの間をすり抜けて、「ボンジョルノ」とボクがドアを開けると、奥からひとりの白髪の紳士がやってきた。
彼こそオーナーであった。
来訪の意を告げると、「こちらでお話ししましょう」と、中2階状になった奥の事務所兼商談コーナーに案内された。オーナーで社長のニコロ・マージさんは1936年生まれ。日本でいえば昭和11年だ。なんと80歳の現役である。これは他店の若手セールスたちから畏れられるわけである。
ボクの気配を察したのだろう、マージさんの愛犬が昼寝から覚めて動き出した。イタリアでは自動車販売店オーナーのペットがショールーム内をうろうろしているのは珍しくないことだ。なじみ客の中には、彼らと会うのを楽しみにしている人もいる。よいアイキャッチなのである。
マージさんの店の年間販売台数は約60台。目下の最多販売車種は「フォレスター」という。
ショールームは200平方メートル。4台の展示車がぴっちりと収まっている。いっぽう車両販売とともに店の収入を支えるサービス工場は、少し離れたところにあって、こちらは1000平方メートル。その日はすでに夜だったのでマージさん社長ひとりだったが、他に2人の息子さん、夫人そして2名の従業員も彼を手伝っている。
店長、“無名時代”の苦労を語る
参考までに言うと、スバルのイタリア法人である「スバル・イタリア」は1985年の設立。新生ブガッティ設立で中心的役割を果たした実業家ロマーノ・アルティオーリ氏が営んでいたスバルのインポーターを引き継ぐかたちで発足した。2000年にはオーストリア、スロバキア、スロベニア、クロアチア、2013年にギリシア、続いてブルガリアの販売も管理下におさめている。その2013年には、登記上の本社と物流拠点をアルティオーリ氏時代の創業地である北部トレントに残しつつも、業務上の本社をミラノに移転した。2015年10月には創立30周年を祝った。2015年のイタリアにおけるスバル国内登録台数は、前年比16.79%増の3096台(UNRAE調べ)だった。
一方、マージさんのスバル店創業は1980年。「販売歴は36年になりました」と目を輝かせる。つまり、アルティオーリ時代から連綿と営んでいるのだ。見回せば、長年の研修修了証や、往年のモデルの写真が事務所のあちこちに飾られている。
「もともと私は、インノチェンティのサービス工場長でした。そこから独立するにあたり、スバルの代理権を取得したのです」。マージさん44歳の時だった。創業時代に扱った2代目「レオーネ」の写真は、今もしっかりと店の一角を飾っている。
数ある自動車ブランドの中から、スバルを選んだ理由は?
「それまで個人的にジープを愛好していて、駆動方式としての4WDの優位性を認識していたのです。そこで、早くから日本で4WDを手がけていたスバルに関心を持ちました」
創業当初の苦労も語る。
「当時“SUBARU”というブランドは、イタリアで無名でした。お客さんからは『韓国車? それとも中国車かい?』と言われる始末でした。何より困ったのは、創業するにも銀行が融資してくれないことでした。初年度のスバルの販売台数はたった1台。併設の工場で修理する他ブランド車で食いつなぎました」
マージさんは当初自分で行っていた“デモ”も振り返る。
「レオーネにお客さんを乗せてね、店の裏手にある急坂を一気に登ってみせるんです。そうするとね、意外なことに男性客以上に女性客にウケました」
イタリアのスバル乗りはリッパ
セールストークで力説されたのは、安定性だった。
「なんといっても、水平対向エンジンや理想的な前後・左右重量配分によるスタビリティーです」
スバルと他車との違いを説明するため日本で製作された模型は、いつもマージさんの机に置かれている。
「近年は他の4WD車と比較する顧客が多いですが、そうしたときも、この模型を活用していますよ」
年配客には、往年の「アルファ・ロメオ・アルファスッド」のエンジンから水平対向ユニットを説明する。「そして今や、四輪車ではポルシェとスバルしか採用していない高価なエンジンです、と話すんです」
その傍らで、小さな「ジャスティ4WD」も、スバルの知名度向上に貢献したという。
「地元の人々の趣味であるハンティングの足として、よく売れたんですよ」
しかし次なる苦労がやってきた。2000年代に入ってイタリアに到来したディーゼルブームである。「ドイツのプレミアムブランドが早くからディーゼル車をラインナップしていたのに対して、スバルは長年ガソリン車中心だったのです。特に3リッターのガソリンエンジン車は売るのに苦労しました。後年、ようやく国情に合ったLPG仕様車が追加されて、市場のニーズに合致しましたね」
マージさんは続ける。「スバルがWRCに参戦したのも、イメージ向上に大いに貢献しました。さらに、スバルがイタリアの軍警察、高速警察、そして森林警備隊に採用されたことが知名度向上の大きなきっかけになったのは、まぎれもない事実ですね」
今日イタリアでスバルの顧客は、どういう人なのか?
「確たる社会的階層の人々が大半です。下取り車にアウディ、メルセデス・ベンツ、BMW、レンジローバーなどが含まれていることも、ユーザーの社会的地位を示しています」
その一例も挙げてくれた。
「『フォレスター』を買った、あるワイナリーの社長さんです。一時期ドイツブランドのSUVに“浮気”してしまったのですが、その重量配分や悪路走破性、そして制動安定性に不満を持ち、わずか1年で手放して、再びフォレスターを購入されました」
そのムード、まるで日本の販売店
スバル販売店を36年続けられた秘けつを、マージさんに聞く。
「年々、既存顧客が他の顧客を連れてくるようになったことです。私は一時、ある韓国ブランドも併売していましたが同様のことは生じなかった。これは両ブランドの大きな違いです」。そしてマージさんは付け加える。「実はね、銀行の融資の話も、支店長さんがスバルを買って満足したことがきっかけで、一気に店への信用が高まったんです。顧客の満足と口コミが、スバルの販売を支えてくれたのです」
最近は米国でのスバル車の販売好調で、人気車の納車が遅くなることもあるという。
「ボディーカラーなどによっては、最大半年待ちになることもあります。でも、幸いスバルのお客さんは辛抱強いんです」
マージさんは、スバル・イタリアの創業時の日本人役員はもとより、スバルの世界販売をサポートしてきた三井物産のイタリア駐在員まで大変よく記憶していて、懐かしそうに話す。ディーラー数が全国を合わせても数十店規模であることも、逆にスバル・イタリアや同業者間の結束を強くしているという。
ボクの少年時代、日本のスバルの販売店というと、少々敷居が高いイメージがあったものの、セールスマンは商品知識が豊富で、ブランドや商品にとことんほれ込んでいた。
マージさんの店は、あの頃のスバル販売店をほうふつとさせる。一見さんはちょっとビビりそうだ。他の日本ブランドの店にあるような「コーヒーコーナー」「子供用スペース」といった近代的おもてなしも見当たらない。しかし、マージさんのような商品に精通したオーナーが、いつでも待っていてくれる。これはセールスマンの離職率が決して低くないイタリアで、とても大切なことだ。
食堂に例えれば、「名曲喫茶」か。そんなことを考えながら、事務スペースの階段を下りると、なんとその下に「アルシオーネ」がおさまっていた。イタリアで見るのは初めてだ。
マージさんは「イタリアに2台輸入されたといわれるうちの1台です。新車で扱われたころ銀行の支店長に販売したものを、買い戻したんですよ」とうれしそうに説明してくれた。
「このフルトヴェングラーの録音はね、今や希少版でしてね」と、マスターからレコードを見せられたような感じ。やはりイタリアのスバルディーラーは名曲喫茶だ。
(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、25年間にわたってリポーターを務めあげる。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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