第605回:根底に流れるのは陸・海・空!
20世紀アートとフィアットの意外な関係
2019.05.24
マッキナ あらモーダ!
未来派の「フィアット500X」
FCAジャパンが2019年5月9日、「フィアット500X」のマイナーチェンジモデルを発表したことは、本サイトのニュースページで報じられているとおりだ。
本国イタリアで、フィアット500Xの販売は依然好調である。2019年1月~4月のクロスオーバー新車登録台数において、1位(1万5430台)の座にある。参考までに、2位は「フォルクスワーゲンTロック」(1万4425台)、3位はルノー系サブブランドの「ダチア・ダスター」(1万4397台)である。
さて、日本で自動車の記者発表会といえば、「製品開発主査の○○でございます」「マーケティング本部長の△△でございます」といった形式的なあいさつのあと、長い商品解説が定例である。
Appleのティム・クックやテスラのイーロン・マスクのプレゼンテーションに倣って、なぜもっと簡略かつ刺激的なステージが演出できないのか不思議である。十年一日のごとく変わらない。登壇する方々も、あえて言わせていただければ、髪型や服装、メガネから、時には表情までみんな一緒に見えて退屈だ。
しかし、今回のイベントは、招待状からして、やや異なる雰囲気を漂わせていた。「500Xの世界観を感じるFuturismo(フトゥリズモ:未来派)なコンテンツをご用意しております」という一文が付されていたのだ。
イタリアで「未来派」といえば、20世紀初頭の芸術運動のことである。不思議に思った筆者は、東京・港区の複合施設「TABLOID」で行われた商品発表会に赴いてみた。
幸い、その晩のFCAジャパンによる新型500Xのプレゼンテーションは、前述の典型的な自動車発表会とは対照的に、テンポ良く、かつ要領を得たものだった。スピーチに立ったメンバーも、同社のマーケティング本部長ティツィアナ・アランプレセ氏以下、個性的なキャラクターの人々ばかりである。パーティーの半ばでは、駐日イタリア共和国大使のジョルジョ・スタラーチェ氏もスピーチを行った。
ところで、肝心の「未来派なコンテンツ」とは?
前衛の時代・フィアットの時代
その晩の「未来派なコンテンツ」とは、バーチャルリアリティー(VR)アーティストせきぐちあいみ氏のライブ・ペインティングであった。
彼女が駆使するのは、Googleが開発した描画VRイラストレーションアプリ「Tilt Brush」である。実際にアプリを操作するインターフェイスは、ヘッドマウントディスプレイとコントローラーで構成されたVRデバイス「HTC Vive」だ。
コントローラーの形状は、両手ともいわばジョイスティック風のものにすぎない。だが、ディスプレイ上では、パレットと筆、もしくはピクチャーのパーツを投げるガンの役目を果たす。
ビートの効いたBGMが流れる中、制作中のせきぐち氏の姿も、プロジェクターから投影される作品と合成して映し出される。ビジュアル的にも極めて斬新だ。
いっぽう、歴史におけるイタリア未来派とは何だったのかについては、前述のアランプレセ本部長が簡潔に解説していた。
1909年、イタリアの詩人フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティ(1876-1944)がフランス紙『フィガロ』に掲載した「未来派宣言」がその始まりである。古代への信仰やアカデミックな形式を打破するなど、過去の芸術的観念と決別することを目指した。
ウンベルト・ボッチョーニやジャコモ・バッラ、ジーノ・セヴェリーニといったアーティストがそれに賛同した。
「サモトラケのニケ」より美しい
しかし未来派には、さらなる顔がある。以下はイベントとは別の、筆者によるおさらいと論考である。
既存の芸術を打破しようとする未来派のアグレッシブ性は宣言当初から戦争を賛美し、ベニート・ムッソリーニが1922年にローマ進軍を果たすとファシズム礼賛へと結びついた。
同時に未来派は、近代科学によって誕生した機械への礼賛を惜しまなかった。
作品のモチーフには機関車をはじめ、さまざまな機械が多く取り上げられた。さらに、彼らの中では体も機械の一部であるという概念さえ芽生えた。
その機械礼賛は、やがて飛行機やそのキャノピーから見た視覚を題材とした航空絵画(アエロピットゥーラ)にも発展してゆく。
その傍らで、小さなコンポーネンツにまで目を向けているのも筆者としては面白い。例えば、彼らの会報は『ディナモ・フトゥリスタ(未来派のダイナモ)』と名付けられ、実際表紙にはモーターが描かれていた。
自動車についても、ふんだんに賛美されている。前述の「未来派宣言」の第4節には「機銃掃射の上を走るがごとく咆哮(ほうこう)をあげるクルマは『サモトラケのニケ』より美しいのだ」とある。サモトラケのニケとは、ギリシアで発掘された勝利の女神像である。
続く第5節には、「われわれはステアリングを握る男をたたえたい」と、しっかりとうたわれているのである。
そうした彼らに、フィアットはインスピレーションを与え続けていたに違いないと筆者は考える。事実、未来派を宣言したマリネッティは1924年にフィアットのリンゴット工場を訪問、のちに施設を「第一の未来派的発明」と評価している。
1899年に創業したフィアットは、創業5年目の1903年には船舶エンジンを製作、18年目の1916年には、既存企業SIAのライセンスを取得するかたちで航空機事業に進出、翌1917年には鉄道車両の開発にも着手している。
第2次大戦中には「Terra Mare Cielo(陸・海・空)」という有名なキャッチが用いられた。
フィアットはまさに拡張期にあった。また、その本拠地であるトリノは未来派の主たる活動拠点でもあった。したがって、フィアットのさまざまなプロダクトが、アーティストの創作意欲を直接的・間接的に刺激したということが容易に想像できるのだ。
参考までに、当時とは直接関係ないが、フィアット創業家出身の故ジョヴァンニ・アニェッリ元名誉会長(1921-2003)およびその妻マレッラのコレクションを収蔵したトリノ・リンゴットの絵画館には、ジャコモ・バッラの代表作『抽象的な速度』(1913年)が収蔵されている。
身近な“未来派作品”
未来派は賛同した作家の大半がファシズムに好意的であったこと、そして「退廃芸術」を排除したドイツとは対照的に、イタリアのファシスト政権が創作活動の多様性に寛容であったことから、第2次大戦中も活動が続けられている。
未来派を導いたマリネッティは1944年に世を去るが、第2次大戦後も、未来派が目指したものはさまざまなアーティストによって、表現方法を変えて引き継がれた。
たとえミュージアムに行かなくても、私たちの身のまわりには数々の未来派の面影がある。
イタリアで有名な祭りのひとつ、ヴィアレッジョのカーニバルにおけるマスコット「ブルラマッコ」は、未来派画家ウベルト・ボネッティによる1931年の作である。ちなみに彼は、1930年代に描いた作品中で、明らかにアルファ・ロメオと判別できるクルマを登場させている。
より身近なものは、2002年からヨーロッパで流通している20セント硬貨のイタリア版であろう。裏面には、ボッチョーニの代表作『空間の中の連続性の形態』(1913年)が記されている。欧州旅行のときの小銭が、いまだにタンスの中にあるという方は、確認してみるといいかもしれない。
また日本でも有名な食前酒「カンパリソーダ」が入った円すい形の瓶は、これも未来派アーティストのひとり、フォルトゥナート・デペーロによる1932年のデザインである。
あの世で泣いて悔しがる?
往年の未来派は、美術やデザインのみにとどまらず、建築や音楽にまでその実験のフィールドを広げていた。
未来派の歴史を克明に記したクラウディア・サラリス著『Storia del futurismo(ストーリア・デル・フトゥリズモ)』によると、未来派は料理にまで変革を試みている。
1931年にトリノのレストランで催された食事会は、イタリア人の食生活にとって今日でも必須であるパスタを否定した。独特のスパイスを用い、料理と料理の間には、これまた未来派音楽による演出を行ったという。そもそも、フォークとナイフも捨てている。
いっぽう今回FCAジャパンが催した500Xのイベントで、特色ある食べ物といえば、「500X」のロゴがスタンプされたマカロンにとどまった。
しかしその晩、あの世の未来派アーティストたちは雲の上から、せきぐち氏によるスタイリッシュなパフォーマンスを、「ああ、俺たちの頃にもVRがあれば」と、泣いて悔しがりながら眺めていたに違いない。
(文と撮影=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/編集=藤沢 勝)
■せきぐちあいみ氏によるVRライブ・ペインティングの様子

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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