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そこに熱はあったか!? プロトタイプを前に思う新型「フェアレディZ」とスポーツカーの哲学

2020.10.05 デイリーコラム 西川 淳
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あなたにとってスポーツカーとはどんな存在ですか?

“スポーツカー”はかくもクルマ好きを熱くさせる。あらためて実感する出来事があった。自らのフェイスブックを使い、ちょっとした思いつきで友人たちにこう問うてみたのだ。

貴方&貴女にとって「スポーツカーの定義」とは?

数時間のうちになんと200件近くの回答が寄せられた。クルマ好きそれぞれがスポーツカーに対して一家言あった、というわけで、まずはその事実にとてもうれしくなった。元気づけられたし、大いに刺激も受けた。考えが煮詰まり、自信も深まった。それはまるでスポーツカーに対峙(たいじ)したときの如く……。

けれども、やはり難問ではあったのだ。そこにはおよそ考えうるすべての答えがあって、そのそれぞれに「なるほど!」と納得できてしまう自分があった。具体的な成立条件から抽象的な観念論まで、すべてが否定し難い意見ばかりだった。逆に言うと、「スポーツカー」とは、便利過ぎる言葉なのかもしれない。もし、この世の中にスポーツカーという言葉がなかったとしたなら? かなり厄介な話になりそうである。

それだけスポーツカーとは観念に支配された存在だと言うこともできる。よく走り、よく曲がって、よく止まる。楽しくて速い。カッコよくて美しい。わくわくドキドキし、時折ハラハラもする。いつかは欲しいと思わせる憧れの対象だ。乗る前には気分は高揚し、乗った後には心地よく疲労する。振り返ってもう一度見たくなる。なかには、老いを感じさせないとか、一緒に成長できるという人生のパートナー的な発想もあった。実に素晴らしい存在ではないか。モテない、家族に嫌われるといった自嘲的なネガ意見も散見されたけれど。

これらはすべからく観念論だ。個人が思う基準、つまり主観にその決断を委ねている。ならば果たして、スポーツカーの定義に主観や仮象、観念に支配されない客観や実相、現実はあるのだろうか? そんな面倒くさいことをあらためて考えてみるキッカケを提供してくれたのが、「日産フェアレディZ プロトタイプ」の発表だった。

2020年9月16日に発表された「日産フェアレディZ プロトタイプ」。
2020年9月16日に発表された「日産フェアレディZ プロトタイプ」。拡大
ロングノーズ・ショートデッキのファストバックスタイルに、高さを抑えたリアエンドなど、そのフォルムは、S30こと初代「フェアレディZ」との関連性を強く感じさせるものとなっている。
ロングノーズ・ショートデッキのファストバックスタイルに、高さを抑えたリアエンドなど、そのフォルムは、S30こと初代「フェアレディZ」との関連性を強く感じさせるものとなっている。拡大
1969年に登場した初代「フェアレディZ」(左)とのツーショット。
1969年に登場した初代「フェアレディZ」(左)とのツーショット。拡大
「フェアレディZ プロトタイプ」は、「次期型フェアレディZを示唆するモデル」とアナウンスされている。
「フェアレディZ プロトタイプ」は、「次期型フェアレディZを示唆するモデル」とアナウンスされている。拡大
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Zが変わると日産も変わる

クルマそのもののことについては、もう既にいろんなところで書かれてあるし、そもそもデザインのプロトタイプだから見たまま以上のこと(例えば「果たして新型はZ34のキャリーオーバーなのか?」とか)は、想像と類推はできても事実確認はできない。

そもそも、すぐに市販モデルが登場するわけじゃなさそうだ。Z34の生産が終わるという情報は今のところない。以前の「GT-R プロト」もそうだったが、デビューまでしばらくあるとみるのが妥当である。つまり、今回の発表はナカミが煮詰まっていない段階で(ほぼ)決まったデザインのみを発表するという“異例の事態”なので、車体に関するツッコミはさておく。

それよりも筆者が気になったのは、Z プロトの存在理由であった。Z34のデビューから12年もたった(ほったらかしにされてきた)今、なぜ新型Zなのだろうか? ふと疑問に思ったのだった。

初代S30Zは、アフォーダブルなスポーツカーとして主にアメリカ市場を狙って登場し大ヒット。“ダッツン”(ダットサン≒日産)の名を広めることに寄与した。その後、GT化を繰り返しながら日産のイメージリーダーカーとして、ブランド(日産とZの両方)の名を世界にとどろかせてきた。高級路線の極まったZ32でいったんは行き詰まったけれども、わずか2年の休止で復活。Z33はカルロス・ゴーンのもと、リバイバル(あの時は)ののろしとなった。アフォーダブルなスポーツカー路線へ回帰しつつ。

つまりZは、“スポーツカー”として登場したとき、日産を“変える”力をもっていた。企業にとって飛躍や変革の象徴でもあったのだ。

しかし、ニッサンパビリオンに登場した新型Zから筆者は、そんな力を十分に感じることができなかった。それはまるで、「Zファンよ、もうこれで許してくれないか」と日産が懇願しているかのようにも見えたのだった。

時折設定される特別仕様車を除くと、すっかり忘れられた感のある現行型「フェアレディZ」。オープントップの「フェアレディZ ロードスター」は、2014年に国内販売を終了している。
時折設定される特別仕様車を除くと、すっかり忘れられた感のある現行型「フェアレディZ」。オープントップの「フェアレディZ ロードスター」は、2014年に国内販売を終了している。拡大
「フェアレディZ」の生みの親である故片山 豊氏と、氏の愛車。初代フェアレディZは、皆の手の届くアフォーダブルなスポーツカーとして誕生した。
「フェアレディZ」の生みの親である故片山 豊氏と、氏の愛車。初代フェアレディZは、皆の手の届くアフォーダブルなスポーツカーとして誕生した。拡大
Z33こと5代目「フェアレディZ」は2002年7月30日に発表。GT路線からスポーツカー路線への回帰と、300万円からという価格設定で注目を集めた。
Z33こと5代目「フェアレディZ」は2002年7月30日に発表。GT路線からスポーツカー路線への回帰と、300万円からという価格設定で注目を集めた。拡大
話題沸騰中の「フェアレディZ プロトタイプ」だが、実車を見た筆者の印象は……。
話題沸騰中の「フェアレディZ プロトタイプ」だが、実車を見た筆者の印象は……。拡大

スポーツカーをブランドの象徴に昇華させるもの

確かに日産は今、危機的状況にある。だからこそ「Zよ、再び」は理解できる。さらに、アメリカのZファンの熱狂も容易に想像がつく。ただしそれはZに限った話であって、日産のそれではない(かの地では長らく“ダッツンズィー”であったとの指摘はさて置く)。ここで、思考は堂々巡りに陥る。

世に言うスポーツカー専門メーカーの新型モデルなら、それでいい(もっとも、それならばそもそもこんなにも長くほったらかしにされていないけれど)。ヘリテージを確認しつつ徹底的なマーケットイン(≒ロイヤルカスタマー優先)でユニークなスポーツカーをつくり続ければいいからだ。

けれどもZという存在はそうでなない。日産というナショナルブランドのアイコンだ。なるほど、フルラインナップメーカーがスポーツカーをつくり続けることの難しさを示す事例にはこと欠かない。だからこそ、大変な困難を乗り越えてつくるからには、からほとばしる“何か”を感じたいのだ。

そこで筆者は、クルマ好きをかくも熱狂させるスポーツカーとはいったい何なのか?、を考え始めたのだった。観念的な結論はサッカーボールのような“遊び相手”である(遊び道具とは少し異なる)。スポーツとはすべからく“遊び”だ。ドライブそのものを快楽的もしくは代償的(ストレス発散など)な目的とし、その行為を誘発する存在がスポーツカーだ。つまり主な使用目的が移動の手段ではないクルマである。非実用に寄ったロードカーであり、不必要の必要である。今ならさしずめ不要不急の存在と言われるだろうか。

できるだけ主観によらず客観的に言って、どのようなクルマをスポーツカーというのだろう。抽象論を避けて理想を記せば、運転席とダイナミック性能を最大限に重視したパッケージの専用ボディー&シャシーを有し、マニュアルトランスミッションを用意するアフォーダブル(1000万円以下か?)なロードカー、ではないか。これとていかばかりかの観念論が入ってしまうが。

今の時代、ナショナルブランドにおいて、そんな企画は恐ろしく難しい。だからこそ、そこに肉薄しようとする開発者の熱意と苦悩が哲学化し、クルマに内包され自然と発散されるのではないだろうか。そこに新たな工夫が生まれ、技術が生かされ、精神が宿って、その時代のブランドを代表する存在となっていくのだと思う。

オンライン発表会にて、同車の特徴や「フェアレディZ」というモデルの存在について説明する、日産自動車の内田 誠CEO。
オンライン発表会にて、同車の特徴や「フェアレディZ」というモデルの存在について説明する、日産自動車の内田 誠CEO。拡大
発表会では、同時刻に米ナッシュビルで行われていたオーナーイベント「ZCOM」の会場との中継も行われた。
発表会では、同時刻に米ナッシュビルで行われていたオーナーイベント「ZCOM」の会場との中継も行われた。拡大
メディア向けの内覧会には、チーフプロダクトスペシャリストの田村宏志氏も登場。「『GT-R』はスピードを追求するモビルスーツ。『Z』は一緒に踊るダンスパートナー」と語った。
メディア向けの内覧会には、チーフプロダクトスペシャリストの田村宏志氏も登場。「『GT-R』はスピードを追求するモビルスーツ。『Z』は一緒に踊るダンスパートナー」と語った。拡大
内外装の各部において、歴代モデルに対するヘリテージを感じさせる「フェアレディZ プロトタイプ」。同時に「LED式の前後ランプやフルデジタルのメーターパネルなどで未来感も加味している」と日産は説明する。
内外装の各部において、歴代モデルに対するヘリテージを感じさせる「フェアレディZ プロトタイプ」。同時に「LED式の前後ランプやフルデジタルのメーターパネルなどで未来感も加味している」と日産は説明する。拡大

「スポーツカーとは何か」という探求をやめてはいけない

新型Zは一応、客観的な定義を満たしてはいる。けれどもそのデザインプロトタイプからは、そういうスポーツカーを巨大メーカーがこれからの時代に向けて新たに心血注いでつくりましたよ、と世間の人々にも刺激を与えるような“熱”と“力”を筆者は感じることができなかった。いちZファン(過去にS30とZ32を2度ずつ所有した)として、昔からの日産車ファン(「スカイライン」はR30からV36まで乗り継いだ)として、「新型ZはZである」という、ただそれだけの事実に素直に喜んでいれば、はたしてよかったのだろうか。正式なデビューを待ち、乗ってみなければ分からないとはいうものの……。

スポーツカーとはとかく主観的な存在だ。まさに十人十色の想いはあっていい。人それぞれに見て乗って触って楽しいと思えるクルマが、その人のスポーツカーとなりうる。それはそうだ。

けれども、そう言い切ることのほうが簡単であるということもまた、常に心にとどめておきたい。ただ喜んでいるだけではオモチャを知った猿に過ぎない。私たちは人間だ。考えて言葉に表せるはずだ。

自分にとって楽しければそれがスポーツカー。まさにそのような観念が、かえって真のスポーツカーの生きる道を狭めてきた側面もあった。観念は容易に諦めの口実となりうる。例えば「これまでとはまるで違った新しいスポーツカー像の提案」などという、見栄えのいいキャッチフレーズとともに。

「ロータス・エラン」や「ユーノス・ロードスター」のようなクルマが核心として存在したからこそ、スポーツカーのイメージはそこから観念的に大いに広がって、実用性や格好よさ、快適さを加えた派生カテゴリーが生まれたのではなかったか。核心があってこそ、+実用の「ポルシェ911」(このクルマはやはり異質だ)や、格好だけのスペシャリティーや、速さだけのスーパーカーにも存在理由が生まれた。同時に多くの派生カテゴリーによって核心の存在感がどんどん薄まってしまったのもまた事実だ。

初めて軽トラを運転したとき、筆者はとても楽しい乗り物だと思った。けれどもそれを仮に“ボクのスポーツカー”と呼んだとして、クルマ好きはむしろ面白がって理解してくれるだろうけれども、特にクルマ好きでない人の理解はきっと得られまい。

自己満足でいいといえばそれまでだ。そこから脱する思考を続けない限り、真のスポーツカーの存在理由はどんどん薄まっていく。100年に一度(なんていうけれどそもそも100年余りの歴史しかないが)の大変革時代において、メーカーに「つくらない」ことの口実を与えてしまう。そうなったときリアルなスポーツカーをとば口とするはずのクルマ文化、その醸成への道のりもまた、遠のくばかりである。

(文=西川 淳/写真=日産自動車、webCG/編集=堀田剛資)

日産のグローバルデザイン担当専務執行役員である、アルフォンソ・アルバイサ氏による「フェアレディZ プロトタイプ」のドローイング。
日産のグローバルデザイン担当専務執行役員である、アルフォンソ・アルバイサ氏による「フェアレディZ プロトタイプ」のドローイング。拡大
「フェアレディZ プロトタイプ」のオンライン発表会にて。背後のスクリーンに映っているのは、オンラインで会に参加する全世界のファンである。
「フェアレディZ プロトタイプ」のオンライン発表会にて。背後のスクリーンに映っているのは、オンラインで会に参加する全世界のファンである。拡大
Cピラーを飾る「Z」のエンブレム。行く末が心配されていた伝統のモデルについて、その継続が発表されたというだけで、私たちは喜んでいていいのだろうか?
Cピラーを飾る「Z」のエンブレム。行く末が心配されていた伝統のモデルについて、その継続が発表されたというだけで、私たちは喜んでいていいのだろうか?拡大
ファンがスポーツカーに求める像はまさに十人十色。自己満足の世界だが、それでもメーカーやエンジニアは「真のスポーツカーとはどうあるべきか?」という探求をあきらめてはいけない。
ファンがスポーツカーに求める像はまさに十人十色。自己満足の世界だが、それでもメーカーやエンジニアは「真のスポーツカーとはどうあるべきか?」という探求をあきらめてはいけない。拡大
西川 淳

西川 淳

永遠のスーパーカー少年を自負する、京都在住の自動車ライター。精密機械工学部出身で、産業から経済、歴史、文化、工学まで俯瞰(ふかん)して自動車を眺めることを理想とする。得意なジャンルは、高額車やスポーツカー、輸入車、クラシックカーといった趣味の領域。

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