第738回:祝デビュー40周年! 人々の心に残る「メルセデス・ベンツ190E」の思い出
2022.01.06 マッキナ あらモーダ!テープに穴があくほど
2022年はメルセデス・ベンツのW201型が誕生40周年を迎える。12の倍数ではないものの、年男ならぬ年グルマである。日本ではそのいちバージョンである「190E」が有名になったモデルだ。
W201は発表前から、世界の自動車雑誌にさまざまな予想イラストが出回った。その一部では、メルセデスの伝統的なラジエーターグリルやスリーポインテッドスターのマスコットが省略されていて、メルセデスファンをやきもきさせたものだった。そうした心配をよそに、1982年に発表された生産型は、上級モデルと同様にそれらがしっかりと備わっていた。
W201のスペックおよび派生車種である高性能モデルについては、すでにさまざまなメディアで紹介されてきたから、ここではあえて繰り返さない。代わりに今回は東京とイタリアで、このモデルにリアルタイムで接してきた筆者の個人的述懐をお許しいただこう。
はじめに、今日でこそ広く普及しているメルセデス・ベンツであるが、190E発売前夜、それを所有している家庭は極めて少なかった。学校時代の同級生を思い出しても、会社経営者や開業医の家に限られていた。
当時、東京の高校生だった筆者が最初に見た190Eは、小学校の大先輩がいち早く買い求めた車両だった。ヤナセの子会社だったウエスタン自動車が輸入を開始する以前である。聞けば、青年会議所を通じて同社のオーナーと面識があった並行輸入業者のオートロマンから手に入れたものだった。今思えばヤナセから発売される前、そうした業者にとっては、それなりに顧客の関心を引く商品だったに違いない。
それはともかく、実際に乗せてもらって、従来型メルセデスと遜色ない内装のクオリティーに感激したのを覚えている。
本国での発表から2年後の1984年、ようやくウエスタン自動車によって「5ナンバーのメルセデス」として正規輸入がスタートし、ヤナセで販売が始まった。
筆者は放課後、ヤナセが都内のホテルで催した発表展示会を訪れた。帰路は(わざわざ閲覧用と保存用の2部確保した)カタログを、電車に揺られながら読みふけったものだ。
その後『カーグラフィックTV』で190E特集が放映されると、買ってもらったばかりのVHSビデオデッキで録画し、テープに穴があくほど視聴した。
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確かに“ベンツ”だったが
今は亡き父が190Eを購入したのは、発売から数年が経過してからだった。新車当時は優に500万円を超えていた価格がだいぶこなれていた代わりに、納期がかなり長かったのを覚えている。
納車待ちの間、先にヤナセのセールスパーソンが持ってきてくれたオペレーションガイドのビデオを、これまた穴があくほど見た。そのたび、説明のなかにあった独特の「2速発進」の感覚をイメージトレーニングした。
後日納車されたグレーの190Eは、メーターのデザインや独特な形状のドアロックピン、ギザギザに切られたシフトゲートといった、上級モデルと同じ意匠や設計が、「フォルクスワーゲン・タイプ1(ビートル)」やアウディを乗り継いできた父を満足させたようだ。
その190Eといえば、覚えているのは筆者の叔母のことだ。クルマの知識ばかりか、運転免許も生涯持たなかった彼女がある日、筆者の父を他者に紹介する際、「お兄さんはベンツにお乗りになっておられて」うんぬんと話した。「ラインナップ中最小のモデルなんだから、やめとけよ」と思わず叫びたくなったが、一般人のメルセデス・ベンツに対する高い認知度を思い知ったのも事実だった。
いっぽう筆者の経験だけを元にすれば、若い女子受けは、今ひとつであった。
音大の後輩を乗せると「何か戦車に乗ってるみたい」と、その印象を陰鬱(いんうつ)な声で語っていた。さらに当時駆け出しの社会人だった筆者が初めて自分の金で買った「フィアット・ウーノ」を思い出したようで、「あのクルマのほうが乗っていて楽しいです」と言い放った。雨の日は決して運転しないくらい大切にしていた父からキーを奪った190Eだけに、複雑な心境に陥ったものである。
確かにわが家にあった190Eは黒の革シート仕様であったこともあり、ただでさえ感じる5ナンバーサイズゆえのタイト感が、さらに増幅されていた。
同時に、上を見ればきりがないものである。父が代車として乗った「190E 2.3」に試乗してしまうと、決定的なパワー不足を感じるようになった。
結局父の190Eは、ちょうどいいタイミングでモデルイヤー落ちのお買い得車があった「Eクラス」の下取り用となって、かなり短い期間でわが家の車庫から去っていった。
家主も乗っていた!
やがて筆者が高品質とミニマリズムを両立していた190Eが恋しくなったのは、1990年代末にイタリア中部シエナに住み始めてからだ。
この地で最初のクルマを物色していたとき、偶然にもW201があった。フィアットの中古車センターの片隅に展示されていたものだった。手動変速機仕様であることは問題なかったが、運転席の一部が乗降の繰り返しによって擦り切れていた。加えて「せっかくイタリアに住み始めたのに、なぜドイツ車?」という素朴な疑問が湧いてきた。また、当時の邦貨にして約70万円というプライスタグは、東京での仕事をやめて留学してきた筆者にはあまりに高額で、泣く泣く断念した。
それとほぼ時を同じくして、自分のものではなかったが、意外な縁でW201が身近な存在となる。
シエナで最初に住んだアパルタメントは旧市街に立地していて外国人大学にも近かったが、日本で言うところの1Kで女房と2人住まいには狭かった。そこで旧市街の外に引っ越した。
家主のフォスコ氏は筆者が借りた家の裏に畑を所有していて、毎晩夕方になると、水やりのため自宅から初代「ルノー5」に乗ってやってきた。
やがて畑の一角にあるガレージに、メルセデス・ベンツ190Eが収められていることに気づいた。
フォスコ氏に聞けば、1993年の最終モデルだった。
筆者が、東京の実家でも乗っていたことを話すと、本人はうれしそうに自身のストーリーを話し始めた。
「60歳を過ぎて、それまで従事していたバール経営にひと区切りついたところで購入したんだ」と教えてくれた。そして「第2次大戦後からひたすら働いてきた、自分へのご褒美さ」とうれしそうに話した。
「メルセデスは幼いころからミッレミリアで見ていた。特にガッビアーノを見て憧れたんだよ」。「Gabbiano(カモメ)」とは、ガルウイングドアを持つ「メルセデス・ベンツ300SL」のイタリアにおける愛称である。参考までに、シエナは第1回からのミッレミリアの定番通過コースだ。
フォスコ氏の愛車は当時、すでに購入から7年近くが経過していた。だが室内には新車の匂いが漂っていた。前述のルノー5の室内がほこりだらけだったのとは対照的だ。
イタリアではいたずらによって高い確率で折られてしまう――オーナーによっては最初から取り外して、代わりにメダル状のエンブレムで埋める人も多かった――マスコットも、きちんとフロントフードに立っていた。いずれにしても、いかに大切にしていたかがうかがえた。
オーディオが装着されていないので聞けば、「190と“対話”しながら走るのが好きなんだよ」と教えてくれた。
2010年当時、購入から17年が経過していたにもかかわらず、オドメーターは約4万3000kmを刻んでいた。イタリア人ドライバーにしては極めて少ない走行距離に、彼がいかにシチュエーションを選んで乗っていたかを感じた。
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人々の記憶に残る一台
その後筆者は、フォスコ氏の家をあとにして、別の家へと引っ越してしまった。さらに残念なことに、彼はもはや天国の住人である。
今回の執筆を機会に、彼の一人娘であるクリスティーナさんに連絡をとって話を聞いてみることにした。
すると「メルセデスは納車の日、家族全員で引き取りに行ったわ。そして、その足でドライブに行ったの」と思い出を語ってくれた。
彼女の長男、つまりフォスコ氏の孫で、大学生のエミリオ君に当時のことを覚えているかと聞いてみると、「もちろんさ。フォロニカ(筆者注:ティレニア海沿岸にある海水浴場)の別荘に向かうとき、毎年家族で乗って行ったよ。とても快適だったのを覚えてる」と答えてくれた。
シエナからフォロニカまでは片道115km。今日でこそルートの大半が片道2車線の自動車専用道路だが、当時は対面通行かつカーブが連続する道だった。そこをフォスコ氏は、マルチリンク式リアサスペンションを駆使しながら毎夏走り抜けていたに違いない。
これまで彼らにはあまり深くクルマの話を聞いたことはなかったが、ここまで鮮明に覚えていることからして、190Eは彼らにとって印象的な家族車だったのに違いない。
そうした話を聞いているうち、今日における相場が気になってきたので、欧州最大級の中古車サイト『オートスカウト24』でW201を検索してみる。最低価格は1983年モデルで走行10万kmの車両だ。それでも2500ユーロ(約32万5000円)で出品されている。40年近く前の個体で、コレクターズアイテムでなくてもそれなりの値段がつくところは、さすがメルセデスである。
検索をしていたら、久々に乗りたくなってきた。過去に乗ったクルマでそう思わせるモデルは、筆者のなかでは数少ない。
そういえば数年前、トスカーナの小さな島を訪ねたときのことである。港に向かう坂道の途中で、1台のW201を発見した。ルーフはおろか各タイヤにまでカバーがかけられていた。本土以上に強い島の日差しから室内とゴムを守りたいという思いがひしひしと伝わってきた。同時に、筆者の父やフォスコ氏同様、そこにもかつて190Eに憧れた人がいることを感じさせた。
今回のお話は、より上級クラスのメルセデス・ベンツに乗っている人にとっては、なんともささいなストーリーに映るだろう。しかし、29年前にカタログから消えたこのモデルが、歴代ラインナップでも特に人々の記憶に残り、今も大切にされている一台であることは、まぎれもない事実なのである。
(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=Akio Lorenzo OYA、ダイムラー/編集=藤沢 勝)
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大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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