第817回:「ワゴン」の下位互換にあらず!? ヨーロッパに「バン」の時代が到来中
2023.07.20 マッキナ あらモーダ!なんでも電車にするな
今回は「バン」と「ワゴン」について考えてみたい。その前に、わが家の日常におけるやりとりを。筆者が住むシエナの鉄道駅に立つたび、普段恐妻家の筆者でも、決して女房を許せないことがある。それは鉄道車両を「電車」と呼ぶことである。
実はシエナ駅は非電化区間にある。開通はイタリアが国家統一される前の19世紀中盤なのだが、今日でもなお、電化されていないのである。ゆえに筆者は、気動車もしくはディーゼルカーと呼ぶべきだと、架線がない空中を差してその都度指摘する。だが、女房はそんなことはどうでもいいという。そればかりか、「そういうことにこだわるのは、オタクくさい」と反論する。
同様の口論が起きるのは、空港においてである。私と女房が頻繁に用いるフィレンツェ空港は、唯一の滑走路が短い。ゆえに、路線によっては機材がターボジェット機でないことがある。すると女房は、「あ、今日はプロペラ機だ」と声を上げる。そのたび筆者は、ターボファンエンジンに空気を吸い込むための穴を差して「ターボプロップ機というべきだ」と修正を迫るのだが、まったく意に介さない。かと思えば、空を飛ぶ小型機をすべて「セスナ機」と呼ぶのも、まったくもって許せない。
乗り物以外でもある。女房は「病院」と「診療所・医院」をあまり使い分けていない。日本では病床数が20以上が病院、19以下が診療所もしくは医院と定められているのと同様に、イタリアでも分類されている。にもかかわらず、診療所に行くのに「今日は病院に行ってくる」などと言うから、大事かと驚く。そのたび頭に血が上るのだが、「トヨタ、ストなし。大矢家、ケンカなし」と心のなかで唱えて気を静めている。
思えば筆者が今の女房と知り合ったとき、彼女はキリスト教系幼稚園の教諭だった。当時、ちまたの人のように、保育士(当時は保母さんといった)と混同して呼ぶことを筆者はしなかった。そこまで言葉に気遣っていた自分だけに、せめて電車と気動車だけは区別してほしいと願うのである。
なんだバンじゃないか
用語選択の緩さは女房の実家における家風だったようだ。それを実感したのは、かつて筆者が日本を訪れたときのことだ。
本欄第224回「クルマに関心のない家族のクルマ物語」に登場した義父に、イタリアでどのようなクルマに乗っているのか聞かれたときがあった。説明するのが面倒なので写真を見せると、「なんだ、小さいバンじゃないか」と言われた。仏の大矢アキオが、逆上しそうになった一瞬だった。
そのときに見せた写真は、欧州製の小型ハッチバック車だった。しかし昭和ひと桁生まれで、免許返上前のクルマ、つまりクルマ人生にとって上がりの自動車が8代目「トヨタ・クラウン」だった義父である。トランクがないクルマは、すべてバンなのだ。乗用車登録であるワゴンと商用車登録であるバンの違いを説明するのは時間を要しそうだったのでやめた。仮に筆者が「メルセデス・ベンツVクラス」を奮発したとしても、義父は「トヨタ・ハイエースバン」のようなものと考えるに違いない。
そもそも日本では1970年代まで、多くの車種でワゴンとバンは事実上同一のボディーで、違いは装備や登録の違いだけといったものが数多かった。一定年齢以上の人に、両者の違いが分からない人がいても無理はない。
1979年の初代「スズキ・アルト」は、実は商用車登録、すなわちバンだった。だが、限りなく乗用車のイメージを強調していた。筆者の認識では、1982年の初代「トヨタ・スプリンターカリブ」をもって、ようやくワゴン≠バンという意識が日本人の間に浸透し始めたと考える。
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「バン」と呼ばれたフェラーリも
ヨーロッパに目を向けても、「バン」という言葉がスタイリッシュになるまでに時間を要したことが分かる。「van」は隊商(道中の危険を避けるため、団体で移動した商人など)を意味する「caravan」の短縮形である。転じて、荷物を運ぶ馬車を指すようになった。当然ながら、商用車としての認識は、日本よりはるか以前から根づいていたのである。
実は「wagon」も馬車時代は貨物運搬用もしくは貨客混合の荷車を指していた。その派生である「station wagon」は、郊外の邸宅・領地と駅(鉄道開通以前は、馬車の中継所)との往復に用いられるものであった。自動車の時代が到来しても、しばらくワゴンは依然乗用車としての快適性を十分に満たしていなかった。しかし、『エンサイクロペディア・ブリタニカ』によれば、1949年にクライスラーが傘下のブランドのプリマスに全鋼製の新型車を「ワゴン」として導入する(筆者注:全鋼製ボディーのワゴンは、すでにジープなどで試みられていた。だが、乗用車風のものはプリマスが最初であったという意味と考える)。すると、3年以内に他のメーカーも追随したという。当時世界一の自動車生産国だった米国におけるワゴンの呼称とイメージが、各国に波及していったのは想像に難くない。
やがてバンは、時に揶揄(やゆ)の意味で用いられるようになった。それを表すのは「ブレッドバンスタイル」という言葉だ。最も有名なのは、「フェラーリ250GT SWBブレッドバン」であろう。惜しくも2023年に世を去ったジョット・ビッザリーニ技師が、プライベートチーム「スクデリア・セレニッシマ」の要望に応えて1961年に「250GT」をベースに製作したワンオフである。ビッザリーニらが採用したのは、ヴニバルト・カム教授のコーダトロンカ理論を取り入れた後部形状で、それが評論家たちからベーカリーのバンのようだと表現されたことから、ブレッドバンスタイルの言葉が生まれたといわれる。ビッザリーニは1966年にも同様のブレッドバン形状を、イタリアメーカーの「イソ・リヴォルタ」でも試みている。いずれにせよ、そのニックネームは、高性能車が商用車を想起させる形状をしていたことに由来するものであり、やはりバンという言葉は決してスタイリッシュなものではなかったのである。
逆転現象
転機が訪れたのは、米国における「ダッジ・キャラバン」(1983年)だろう。その成功は大西洋を越えてヨーロッパにも伝わり、ミニバンという言葉がポピュラーになっていった。フランスやイタリアに関して言えば商用バンのことを「フルゴン」「フルゴーネ」と呼んでいたことも奏功したと筆者は考える。バンという外来語に、商業用という“色”がついていなかったのである。
直近でバンという言葉が、さらにスタイリッシュになっていることを実感したのは、2023年2月にパリで開催されたヒストリックカーショー「レトロモビル」における企画展だ。その名も「バンライフ」である。近年普及しつつあるノマドライフを送る人々や、それに似たライフスタイルを実践する人々に愛されてきた車両を一堂に集めたものだった。実際には、乗用車用途に用いられたものが大半だったが、バンという言葉が冠せられているところが新鮮であった。
参考までに、旅行情報ウェブサイト『ヴォーラグラティス・ドットコム』の調査によると、今日世界では3000万人がデジタルノマドワーカーとして、情報端末を駆使して自由に移動しながら働いているという。イタリアでもその数は50万人に達し、これは全人口の8.4%に相当する。そうしたなか、移動の手段、時には拠点として自動車を選択し、トレンドを受けて、大きな車室のあるクルマを「バン」と呼ぶ人は増えてゆきそうだ。バン≒商用車という既成概念を持たない世代が増えれば、その傾向はさらに加速するだろう。SUVの台頭によって、いわゆる「ステーションワゴン」の存在感が薄くなっていることも、それを加速させている。
義父の発言から十数年。バンと呼ばれるほうがかっこいいという下克上時代が到来しつつあるのは、なんとも奇妙なものである。
(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=Akio Lorenzo OYA、BMW、ステランティス/編集=藤沢 勝)
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大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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