第872回:実はカーデザイナー志望ではなかった 86歳を迎えたジウジアーロの足跡と未来
2024.08.16 マッキナ あらモーダ!「世紀のデザイナー」による宗教画
世界的な自動車デザイナーで、イタリア工業デザイン界を代表する人物のひとりでもあるジョルジェット・ジウジアーロ氏が、2024年8月7日、86歳の誕生日を迎えた。
それに先立つ2024年6月22日、故郷であるクーネオ県ガレッシオ村の教会で、自らが描いた大判油彩画の除幕式を行った。作品は、イエス・キリストが洗礼者ヨハネによってヨルダン川で洗礼を施される場面を描いたもの。寸法は9×5mにおよぶ。ジウジアーロ氏の生家脇にある洗礼者ヨハネ教会の天井に据えられた。
氏が余暇で油彩画制作に励んでいることは、長年にわたり関係者の間で知られていた。近年はキリスト教を主題とした大作に取り組み、2018年には《十字架降架》を、2021年には地元の宗教的儀式を描いた作品を、同じ教会に献呈している。
ジウジアーロ氏は1968年にイタルデザインの前身を設立。以来300以上の量産車と、200以上の研究開発・試作車のデザイン開発に携わった。1999年には世界120名のジャーナリストにより米国で「20世紀のカーデザイナー」に選ばれた。2015年にはイタルデザインを完全にフォルクスワーゲン グループに売却。以後今日まで、子息ファブリツィオ氏と設立した新たなスタジオ「GFGスタイル」で会長職を務めている。
そうした輝かしい経歴を持つジウジアーロ氏だが、実は最初から自動車デザイナーを目指していたわけではなかった。
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「出会い」に導かれた人生
ガレッシオ村は今日でも人口約3000人の小さな自治体である。そこで1938年に生まれたジウジアーロ氏をデザインの道に導いたのは「よき人との出会い」だったと筆者は考える。
村で、祖父ルイージ氏は教会のフレスコ画を、父パオロ氏は宗教施設の装飾を手がけていた。当時ガレッシオは、トリノの富裕層や知識人が休暇で訪れる保養地でもあった。ジウジアーロ少年に進学を勧めたのは、父の知人だった美術学校の教授である。先に暮らしていたおじ夫妻を頼って、生まれて初めてトリノの地を踏んだのは15歳のときだった。
ただし、美術学校の卒業時点でもジウジアーロ氏はイラストレーターを志望していた。そうした彼に教授は、「これからは工業の時代」であることを説いて、発想の転換を促す。
幸いフィアットの名設計者ダンテ・ジアコーザの目に卒業作品が留まったことで、同社のカタログ用イラストを制作する部門に配属される。以後ヌッチオ・ベルトーネ、イタルデザインの共同設立者となった技術者アルド・マントヴァーニといった伝説の人物に出会いながら、ジウジアーロ氏は自身の才能を開花させていった。逆に言えば、そうした人々がいなければ、彼は画家になっていたのかもしれないのである。
ジウジアーロ氏が大成してもなお自動車に拘泥していないことを確認したのは、2013年に筆者がトリノでインタビューした際だ。氏は「もし明日、人類がクルマを必要としなくなったら、人々は別のものを考えるでしょう」と言い、さらにこう付け加えた。「もし私がクルマをデザインできなくなったら、それ以外のものを喜んで手がけます」
年を重ねるのは悪いことではない
ジウジアーロ氏は、職業であるインダストリアルデザインと余暇の美術制作を峻別(しゅんべつ)している。今回の宗教画除幕式でも、絵画について「芸術の世界に足を踏み入れたいという野心ではなく、単に自分が生まれた村に関する出来事を描き、描写したいという欲求だけで情熱を傾けてきました」と語っている。
ただ、2009年に本人が別荘のあるポルトフィーノで話してくれたところによると、氏が父親から訓練を受けたことで最も役立ったのは、「構想用の小さなスケッチから、大きな宗教画を正確に描く作業でした」という。彼が自動車デザインを手がける際の、初期段階から極めて正確な三面図は、その影響とみて間違いない。
話は変わるが、数年前にトリノ郊外を拠点とする他のカロッツェリアの社長から、興味深い証言を得た。この地ではプロジェクトの繁忙期に招集されるフリーランスの職人が少なくない。そうしたなか、かつて彼の会社で自動車の1/1石こうモデルの制作を手がけていた熟練のモデラーは、1日の半分を自動車に、もう半分を、同じく石こうでつくる聖母像などに充てていたという。
歴史上、芸術と手工芸・工業を融合する試みは19世紀イギリスの「アーツ・アンド・クラフツ運動」や、20世紀初頭の「バウハウス」にみられた。しかし、そうした大規模なムーブメントでなくても、イタリアではデザインと絵画制作を手がけるジウジアーロ氏しかり、自動車の原寸モデルと聖母像双方に携わる職人しかり、大上段に振りかざすことなく、自然にそれが行われてきたところが面白い。
今回はジウジアーロ氏の誕生日に合わせて記し始めたので、最後にもうひとつ氏の名言を。
「年とともに、さまざまな身体機能は衰えます。でも、若いときは失敗しないとわからなかったことが、過ちを犯す前にわかるようになり、回避できるのです。蓄積された経験のおかげです。これだけでも年齢を重ねるのは悪いことではないのですよ」
なんと前向きな人生ではないか。
(文=大矢アキオ ロレンツォ<Akio Lorenzo OYA>/写真=Giorgetto Giugiaro Archive、Umberto Giorio、Akio Lorenzo OYA /編集=堀田剛資)
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大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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