4兄弟になった現行型「クラウン」をどう思う?
2024.09.10 あの多田哲哉のクルマQ&A多田さんは別の記事で、スポーツカーのような見た目になった現行型「プリウス」について、「先進技術を世にアピールし時代の関心事を体現してきた歴代プリウスとは真逆のクルマであり、残念に思う」と厳しく評価されていました(関連記事)。そんな多田さんは、今の4兄弟体制になった「クラウン」をどう思いますか? 元トヨタのエンジニアの意見を聞いてみたいです。
おっしゃるとおり、「そもそもプリウスらしさ、クラウンらしさとは何か」ということでいうと、プリウスは常に先進技術をアピールするためのトヨタのブランドであり、カッコだけに走ったのはいかがなものかと述べました。
では“クラウンらしさ”はどうか? クラウンは、プリウスよりはるか前から続いているブランドであり、私が現役だったときも、社内で「クラウンらしさとは何か?」という議論はありました。
このクルマはとにかく、日本でクラウンを乗り継いでくださっているお客さまに向けての商品だから、「これやっちゃいかん、あれやっちゃいかん」みたいな伝統がいっぱいあって、歴代のチーフエンジニアもそうした条件に縛られながら、苦労してクルマをつくってきました。
ちょうど私がトヨタを辞めるころだったでしょうか。今回の4兄弟のクラウンが生まれる前に、恒例の「次のクラウンはこうしましょう、こういうクルマをつくりたいです」とエンジニアが提案する場が役員会で設けられました。
そこで、開発担当者は当時の社長(豊田章男氏)から大目玉を食らったのです。またこれまでと同じようなことの繰り返しなのか? “クラウンらしさ”を隠れみのにして、なにも変えない。結局同じようなクルマをつくって、その結果、「大して売れませんでした」? そもそも日本にそのセダンの市場はないし、どうするんだ? みたいな議論があって……。その一方で「クラウンをやめるわけにはいかないので、無理くりつくるしかありません」的な提案をしたものだから、えらく怒られたわけです。
で、「本来どうあるのがお客さまのためになるのか、よくよく考えろ!」という話になった。
最大の問題は、今の時代、ユーザーのニーズが実にさまざまだということなのです。それにできるだけ全方向で応えようとすると、1種類のクルマではどうしても無理がある。基本となるボディータイプをある程度そろえ、それにいろいろなオプションを用意して対応するしかありません。
クラウンにおいて「あとはお客さんがカスタマイズしてくださいね」みたいな方向は許されません。メーカーがニーズをくみ取り、伝統のクラウンユーザーだけでなく、若いユーザーも振り向かせなければならない。となると、当然、はやりのSUVっぽいクルマも要る。こうした検討の結果、「まずは4つくらいはそろえるべきだろう」ということになり、この4兄弟に集約されたわけです。
その第1弾が(セダンとSUVのクロスオーバーである)「クラウン クロスオーバー」だったのは極めて象徴的なことで、これに続く発売順も、念入りに戦略的に考え抜かれているはずです。
そしてここで重要なのは、4種類になったという事実だけでなく、4モデルがポンポン出てこないということ。デビュー当初のアナウンスからすると、(例の型式指定申請に関する問題の影響を除いても)ものすごく時間がかかっている。これがポイントです。
「4タイプ出します」と言うのは簡単だけれど、大変なのは“つくる側”なんです。4つもバリエーションを設けてしまったら、開発陣はてんてこ舞いです。しかし、そういう約束をしてしまった以上、なんとかがんばって順々に形にしてきて、ようやくもうすぐ4つ目が出るところまでこぎ着けた……というのが現状でしょう。
トヨタほどの大きな会社でも、こうした取り組みにかかる労力たるや大変なものです。単純に、4車種の別々なクルマを同時につくれといわれているのと同じですから。これは当然、クラウン以外の車種の開発にも多大な影響を与えます。
トヨタ全体として、このクラウン戦略が成功だったのかどうか。収益のことや、クラウンのイメージアップのことも合わせて、クラウン自体はプラスになったかもしれないけれど、おかげで世に出なくなってしまったクルマは間違いなくあります。そうした点を、社内的にどう消化していくのか。これから世に出ていくほかのクルマも、4兄弟、5兄弟にしてユーザーニーズに応えればいいのか?
現実問題として、そんなことは容易には続けられないわけで、このギャップをどう解消するのかという現実問題を体現しているのが、このクラウンだと思います。まさに、現代の自動車製品が抱える課題への挑戦。その象徴といえるでしょう。
2022年7月、クラウン4兄弟が初披露された際には、「もとからクラウンではなかった車種を寄せ集めてクラウンの名で出しただけではないか?」という世間の声も聞かれましたが、前述のとおり、実際はそうではありません。
逆に、クラウン4兄弟をすべて別の車名で、それぞれが関連のない別モデルとして売り出すという手もあったはずですが、そうすると、クラウン以外の車名をつけたクルマの知名度を上げて世に浸透させるのに、莫大(ばくだい)なおカネと時間がかかります。その点、一括してクラウンとしてまとめてしまえば、比較的ローコストで販売戦略を進められるという利点はあります。
そういう意味では、容易ならざるとはいえ工夫次第で、これがクルマのバリエーション展開として“よくある手法”になる可能性はあります。例えば、次にくるクルマをプリウスでくくってしまい、「プリウス セダン」「プリウス クロス」など「プリウス〇〇」の複数展開にしてしまうとか。実はすでに、そういう戦略が考えられているかもしれませんよ。
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多田 哲哉
1957年生まれの自動車エンジニア。大学卒業後、コンピューターシステム開発のベンチャー企業を立ち上げた後、トヨタ自動車に入社(1987年)。ABSやWRカーのシャシー制御システム開発を経て、「bB」「パッソ」「ラクティス」の初代モデルなどを開発した。2011年には製品企画本部ZRチーフエンジニアに就任。富士重工業(現スバル)との共同開発でFRスポーツカー「86」を、BMWとの共同開発で「GRスープラ」を世に送り出した。トヨタ社内で最高ランクの運転資格を持つなど、ドライビングの腕前でも知られる。2021年1月に退職。