第907回:自動車界のレジェンドたちの「机」拝見
2025.04.24 マッキナ あらモーダ!文豪スタイルで書いてます
2025年に入ってから、世界の人々が最も頻繁に見ている「机」といえば、トランプ米大統領のホワイトハウス執務室に置かれた机に違いない。2025年2月には、それがさらに交換されて話題となった。政府効率化省を率いるイーロン・マスク氏の息子X君が大統領の横で鼻くそをほじり、机になすりつけたのが原因ではないかと報じられた。そして机の入れ替えは、潔癖症で知られるトランプ氏の命令だったといわれている。
筆者自身と机の関係はといえば、敬愛する作家・永井荷風の書斎にみられるように、ごく小さなものさえあれば十分、と長年考えていた。ただし、ここ10年使っているのは昇降式のスタンディングデスクである。当時の換算レートにして約2万3000円で買ったイケア製だ。「変な姿勢で座り続けて腰や背中に負担をかけるよりも、立っているほうが体にいい」と考えたのが導入理由であった。子ども時代からヴァイオリンをやっていたので、立ち姿勢に慣れているということもあった。さらに実際使ってみると、参考資料を取りに行ったり気分転換したりするとき、行動をとりやすいことがわかった。
ヴィクトル・ユーゴーが1832年から1848年まで住んでいた家をフランス・パリに訪ねたときである。書斎には木製のスタンディング・ライト・キャビネットがあり、解説員は「彼は時代に先んじていたのです」と説明してくれた。筆者は文豪スタイルで仕事をしているのだ、と勝手に解釈した。
かくして、家具付きレジデンスやアパートメントばかりを転々としてきたわが家にとって、スタンディングデスクは引っ越しの際も運搬する数少ない自家所有什器(じゅうき)になった。
今回は、イタリア自動車史界のレジェンドが使っていた机に注目してみたい。
「エラーの戸棚」とともに
生年順に紹介していこう。最初はエンツォ・フェラーリ(1898-1988年)である。実は彼の生前における執務室は2カ所の博物館で再現されている。ひとつはマラネッロにある「ムゼオ・フェラーリ」である。
なお以下は、再現にあたって追加された物品もあると思われるので、完全に当時のものとは断言できないことをことわったうえでの描写だ。
卓上には、跳ね馬エンブレムの起源となった第1次世界大戦の飛行士フランチェスコ・バラッカの複葉機が飾られている。いっぽうで机はといえば、それなりに重厚であるものの形態的には奇をてらっていない。脇に添えられた面会者用の木製の椅子もアール・ヌーヴォー風とはいえ簡素だ。
サーキットやテストコースで過ごす時間が多かった働き盛り時代のエンツォにとって、執務室の役割は、他企業の幹部と比べて低かったことが想像できる。
もう1カ所、モデナの生家を改装してつくられた「ムゼオ・エンツォ・フェラーリ」にも、彼の執務室が再現されている。イタリアの新聞『ラ・レップブリカ』電子版が2018年に伝えたところによれば、1960年代のもので、保存していた地元の名士から寄贈されたものだ。水色の壁の色は忠実に再現されているという。
こちらの机は、フランク・ロイド・ライトのプレイリー・スタイル(草原様式)建築をほうふつとさせるような造形だ。
早世の愛息ディーノの写真は花が添えられ、感傷的な雰囲気を漂わせている。会議用の机の年代も不明だが、これに似た風景のなかで、米国フォードによる伝説の買収交渉が行われ、最終的にエンツォがそれを蹴ったかと考えると、これまた重い空気に包まれるのである。
しかしながら、生前のエンツォは執務室に「エラーの戸棚」と呼ばれるキャビネットを持っていたことも有名だ。過去のレースで敗因となった部品に、時や場所を併記して保管する場所だった。なにか後ろ向きに聞こえるが、「間違いながら私たちは進歩するのだ」という彼の信条が背景にあった。
ビキニでもタキシードでも歓迎だ
次は、フィアットの名設計者ダンテ・ジアコーザ(1905-1996年)の執務室を見る。こちらはフィアット創業の地であるトリノのダンテ通り近くにあるチェントロ・ストリコ・フィアット(フィアット歴史資料館)の2階に再現されている。設計者である彼の便宜を考えたのだろう、今回紹介する机のなかでは恐らく最も広い面積をもち、正方形に近い。脇には木製の図面収納ケースも備えられている。
もちろん、これだけの部屋を与えられたのは、ジアコーザがフィアット社内で一定の地位を与えられてからに違いない。しかしながら、極めて合理的な直線基調の什器類が醸し出す雰囲気は、彼が関与した、とくに第2次世界大戦後のフィアット車の思想に通じるものがある。
続いてフェルッチョ・ランボルギーニ(1916-1993年)の執務室をのぞいてみよう。こちらは、彼の家族が運営しているボローニャ県フーノの博物館にある。参考までに建物は、彼が生前に設立したランボルギーニ暖房機の旧工場を改装したものである。
フェルッチョの机は、曲線と直線を巧みに融合させた凝った意匠をもつ。それに組み合わされているのはチェック柄の椅子だ。フェルッチョの甥(おい)ファビオ・ランボルギーニ氏が筆者に解説してくれたところによると、ファイティング・ブルのマークがちりばめられたその座面生地は、フェルッチョが1959年に開発したヘリコプターのそれと同じだという。
実際、ミュージアム内にあるヘリコプターの座席を見ると、同じ生地であることがわかる。ただし、闘牛エンブレムが制定されたのは彼の会社の自動車進出計画が決まったあとで、最初にそれが用いられたのは1963年の「350GTVプロトタイプ」からである。したがって、ヘリコプターのものは後年に張り替えられたものと考えられる。最終的にヘリコプター計画はイタリア運輸省の型式認証を取得できず断念された。果たせなかった夢を執務室の椅子に追憶として残しつつ、次なる闘志につなげていたと想像すると面白いではないか。
脇に掲げられた歴史写真を見ると、当時の執務室はガラス張りで、廊下から見渡せるようになっていたのがわかる。「俺の家はいつでも大歓迎だ。相手がビキニを着ていようがタキシードに身を包んでいようが関係ない。そのまんま迎える」(トニーノ・ランボルギーニ著・拙訳『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』より)と豪語していた彼の開放的な性格がしのばれる。
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フリーアドレス社長、現れるか?
最後は生けるレジェンドといえるデザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロ氏(1938年-)の仕事場である。
子息ファブリツィオ氏と2015年に設立したGFGスタイルは、トリノ郊外モンカリエリにある。彼の部屋は陽光をふんだんに取り込める角部屋で、半分はモダンな大理石テーブルが置かれた会議用スペースだ。もう半分は作業スペースで、デスクと45°の位置に愛用のテクニーグラフォ(製図板)が配置されている。体を半分向ければ、すぐに図面と向き合えるレイアウトだ。
実は、彼の部屋があるGFGスタイルの本社は、18世紀のしゃれた館(やかた)「ヴィッラ・カンタメルラ」である。新しい美を創造するには、先人が築き上げたものが最高の師であるという、イタリアに長年息づく精神が実践されている。
ところで、近年では執務室にこだわらない経営者が続出している。メタ社のマーク・ザッカーバーグ氏は、同社の共同創業者兼CEOでありながら、広いオフィスの一角で働いている姿が報道されて久しい。テスラ社のイーロン・マスク氏はギガ・ファクトリーで働くとき、生産ラインの近くにデスクを置いて働いていると伝えられている。
ただし、概念自体は新しいことではない。ホンダが長年実践しているワイガヤ(会議や打ち合わせ以外でとるコミュニケーション)や現場主義を、彼らは形を変えて実践しているだけといえまいか。
近ごろといえば、各自の机を決めないフリーアドレス制—これは和製英語で、英語圏ではhot deskingと呼ぶらしい—の導入企業も増えている。先日東京出張した際も、「採用しました」と教えてくれた取引先が数社あった。在宅勤務・週数日の出社など、働き方が多様化したことが背景にある。
主要自動車メーカーの社長を含む取締役級が、そうした机スタイルで働いているという話は、目下筆者の耳に入ってこない。高度な機密事項が多い業界ゆえ、開放的な環境にも限界があるのはわかる。しかし、フリーアドレス机で会社員人生を始めた人々が、昇進とともに従来どおりの役員室を心地よい空間とするのか、新たな形態のオフィス環境を選ぶのか。筆者個人としては、後者のような企業から生まれるクルマのほうに興味をかきたてられるのだが、いかがだろうか。
(文=大矢アキオ ロレンツォ<Akio Lorenzo OYA>/写真=大矢麻里 Mari OYA、Akio Lorenzo OYA、GFGスタイル/編集=堀田剛資)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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