トヨタ・ミライ(FF)
昭和と地続きの未来 2015.04.20 試乗記 トヨタの量産型燃料電池車「ミライ」に、公道で試乗。走りに乗り心地、使い勝手、さらに燃料の補給まで、次世代型エコカーの“実際”をリポートする。公道で100年先のクルマを体験する
世界初の量産型燃料電池車(FCV)ということで新聞やテレビで大きく取り上げられたトヨタ・ミライだが、街なかで実車を見ることはほとんどないだろう。2015年中に日本で納車されるのは約400台なのだ。予想を上回る受注があり、来年以降は増産に踏み切る予定になっている。ただ、「レクサスLFA」を作っていた工房で手作りに近い方式で製造しているため限界がある。
そういう事情もあって、通常は発売直後に行われる試乗会がこのタイミングになった。昨年10月にプロトタイプの試乗は経験していたが、公道で製品版に乗るのは初めてである。次世代車が日常の風景に溶け込むことができるかどうかを、ようやく試せるわけだ。カタログには「100年先を走るエコカー」と書かれていた。まさに未来のクルマを走らせることになる。
酸素の取り込みを表現したという両サイドの大きなグリルは、やはりインパクトがある。電気自動車(EV)の「テスラ・モデルS」がオーソドックスなスタイルを採用しているのに比べると、攻撃的な姿勢だ。それが未来のクルマの形かというと、何とも言えない。昔の映画で21世紀のクルマとして登場していたものがまったく見当外れだったことがよくあるように、デザインの動向は予測不可能だ。ミライは過渡期のモデルである。プラットフォームはハイブリッド車の「トヨタSAI」と一部を共用していて、FCV専用に最適化されたものではない。テクノロジーが進めば、FCVは想像もつかない形に変化することも考えられる。
内装は、モデルSのほうがミライより明らかに未来感が強い。センタークラスターに17インチのタッチスクリーンを収めるレイアウトが異物感をかもし出すのに対し、ミライのインパネは、どこかで見たような印象を受ける。ナビ画面やエネルギーモニターが「プリウス」と似ているため、驚きは少ない。しかし、素材や仕上げがワンランク上なのは確かだ。シートやドアトリムの純白はあまりにまぶしく、汚してしまいそうで触れるのがためらわれる。
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消えた“水素音”
試乗ではオーナーとなった際の使い方を体験するために、会場から水素ステーションを往復するというコースが設定されていた。会場は横浜のインターコンチネンタルホテルで、行き先は3カ所から抽選で指定される。一番遠いイワタニ水素ステーション芝公園でも30kmほどであり、FCVオーナーにとっては恵まれた場所である。目的地はT-Connectナビから専用アプリを使って設定した。現在地から近い3カ所の候補が表示され、そこから選ぶだけで案内がスタートする。
音もなく滑らかに発進する感覚は、慣れ親しんだものだ。1997年の初代プリウスから18年が経過し、エンジンの振動や音がないのに動くということは特段珍しいことではなくなっている。ミライの運転感覚は、やはりプリウスのEVモードと似通っている。最後に利きが強まるブレーキフィールも同種のものだ。次世代車とはいっても、これまでのトヨタ車とミライとは地続きなのである。
プロトタイプの試乗会では、かすかに「ゴゴォー」と聞こえる“水素音”が話題になった。水素が音を発するわけではないので正体はポンプの音だったのだが、ガソリン車でもハイブリッド車でも経験のないものだったので“新しさ”を感じさせたのだ。しかしトヨタとしては看過できるものではなく、エンジニアは「発売までにはなんとかします」と話していた。その言葉どおり、製品版のミライはまったく水素音が聞こえない。工場生産の体制が整ったことでパーツの組み込みの精度が高まり、遮音材も増やされている。700万円以上する高級車では、異音は徹底的に排除する必要があるわけだ。
静かになった分、ロードノイズは少々気になってしまう。ガソリン車ならば問題ないのだろうけれど、ほかに音が聞こえないとことさらに強調されてしまうのだ。エコ性能重視のタイヤを装着していると、どうしてもノイズは高めになる。もっと静かなタイヤに換えるというのも本末転倒のような気がするし、悩ましいところだ。
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リアからドバっと水が出る
加速はモータードライブならではの気持ちよさがある。電池切れを心配しなくてもいいので、心置きなくアクセルを踏めるところがFCVのアドバンテージだ。発進加速も中間加速も強力で、交通の流れに無理なく乗っていける。車重が1850kgもあるので爆発的なパワーというわけではないが、レスポンスがよく、いきなりトルクが立ち上がる感覚はモーターの特徴だ。
もっと力強い加速が欲しいというなら、ボタンを押してパワーモードを選択すればいい。アクセル操作に対する反応が向上し、最大限の加速を行える。思い切りペダルを踏み込むと、一瞬ボディーが沈み込む感覚とともに鋭くダッシュする。同時に運転席には高周波の音が侵入してきた。ガソリンエンジンとは違うが、これをスポーティーなサウンドと捉えるべきなのだろうか。
しかし、後席左側の乗員にはその音が聞こえていなかった。アクセルを踏み込んでも何も変わらないというのだ。不思議に思ったが、後でエンジニアにその話をすると理由が判明した。高周波の音の正体は、エアコンプレッサーである。アクセルを踏むと、まず電力供給を増やすように指令が出る。FCスタックを最大限に働かせるため、空気(酸素)を大量に取り込む必要があるのだ。指令を受けてマックスパワーを発揮したエアコンプレッサーは右フロントにあり、後席左側は最も遠い場所だった。
フル加速を試みた直後に、後方を走っていた撮影車からトランシーバーで連絡があった。「リアからドバっと水が出ています!」というのだ。FCスタックでは燃料の水素とエアコンプレッサーで取り込んだ空気中の酸素を反応させて発電する。FCVのレスポンスのよさとは、瞬時の化学反応を意味するわけだ。その際に発生するのが水である。水素が電子と水素イオンに分離して電流が発生し、水素イオンは酸素と結合して水となる。
水は自然に排水管から出て行く仕組みだが、必要であればダッシュボードのウオーターリリーススイッチを使って排水することもできる。フル加速の際には激しい化学反応が起きるため、大量の水が一気に排出されたのだろう。それにしてもドバっと出るという見え方をしたのなら、少なくとも数十ミリリッターは排出されたはずだ。想像を超えた量である。
ガソリン車と変わらない補給作業
FC担当のエンジニアに排水について聞くと、数十ミリリッターの水が発生するのは十分あり得ることだという。試乗車には約4kgの水素が搭載されているので、全部使い切るとその9倍の36kg、すなわち36リッターの水が生成される。なぜ9倍なのかよくわからなかったが、化学式から計算するとこの数字になるそうだ。36リッターというのは一升ビン20本分である。酒ビンを並べたところを思い浮かべると、結構な量であることがわかる。
ナビの案内で水素補給の場所に到着すると、そこはごく一般的なエネオスのガソリンスタンドだった。広い敷地の片隅に、「燃料電池車専用」の看板が置かれたスペースがある。赤とオレンジがイメージカラーのエネオスで、そこだけがブルーに塗られている。試乗車はほとんど満タンだったので、ほかのクルマが充填(じゅうてん)するところを見学した。
見た目はガソリンの給油とそれほど変わらない。ガソリン車だとノズルを給油口に差し込むが、高圧な水素を充填するためにコネクターを結合させる形なのは充電スタンドに似ている。係の人は準備を終えると無線で「充填準備完了しました」と告げてから作業を行った。1人でのオペレーションでは自分で事前に登録するが、2人の時は操作室とやりとりしながら充填を行うのだそうだ。水素充填を行えるのは国家資格を取得した人だけであり、細かい規則が定められているのだ。
0.79kgの充填にかかった時間は、せいぜい1分ほどである。ガソリンの給油と何ら変わりはない。確かにこれはFCVの大きなアドバンテージといえるだろう。水素充填機には、給油ボタンなどと並んで「散水」というボタンが配置されていた。クルマに水をかけるわけではなく、これは水素タンクが発熱した際に冷却するのが目的なのだそうだ。万が一のことも考えて、安全性を確保する配慮がなされているのだ。
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テレマティクスやスマホは必須
試乗会場に帰ると、スマホアプリのPocket MIRAIでデータを取得する。アプリには水素残量が表示され、走行可能範囲や給電可能時間がグラフィカルに示される。ミライではテレマティクスサービスのT-Connectやスマホを利用することが必須になる。T-Connectにはミライ専用の水素ステーションリストやFCシステム遠隔見守りなどのアプリがあり、快適性や安全性を高めることができる。
水素ステーションで聞いた話では、充填に訪れるミライはまだほんの少数らしい。すべて官公庁の所有するクルマである。受注の6割が官公庁や企業で、4割が個人のオーナーだ。超アーリーアダプターということになるわけで、初代プリウスや「三菱i-MiEV」も発売と同時に手に入れていた人かもしれない。アップルウオッチは間違いなく予約しているはずだ。ごく一般的なユーザーが手を出すには、価格と現時点での利便性を考えると勇気がいる。
充填のメモリがひとつ減ったところでメーターを見ると、航続距離が約300kmと表示されていた。最大650km走れるはずなのだが、極端に短くなっている。これはクルマのせいというよりは乗り方が悪かったからであり、パワーモードでアクセル全開にすることを繰り返していたのが非常識なのである。クルマはドライバーの運転の仕方から燃料消費を計算するので、マージンを考えて航続距離を短めに表示するのだ。言い訳をするなら、重心が低くて回頭性がよく、剛性感が高いのでついスポーティーな走りをしたくなるわけである。
ミライは確かに先進的な次世代車だが、従来のクルマからの乗り換えには大きな障害はないように思えた。運転感覚は今では特殊なものとはいえないし、操作系に難しいところはない。アクセサリーカタログを見ると、レースのシートカバーが用意されていた。代表的な昭和のアイテムが、ミライにも適用される。未来のクルマを今のクルマと変わらぬものとして製品化するのがトヨタらしさであり、普及への本気度を表している。
(文=鈴木真人/写真=田村 弥)
テスト車のデータ
トヨタ・ミライ
ボディーサイズ:全長×全幅×全高=4890×1815×1535mm
ホイールベース:2780mm
車重:1850kg
駆動方式:FF
モーター:交流同期モーター
最高出力:154ps(113kW)
最大トルク:34.2kgm(335Nm)
タイヤ:(前)215/55R17 94W/(後)215/55R17 94W(ブリヂストン・エコピア)
価格:723万6000円/テスト車=763万8840円
オプション装備:ボディーカラー<ツートーン ホワイトパールクリスタルシャイン>(3万2400円) ※以下、販売店装着オプション MIRAI専用T-Connectナビ9インチモデル<DCMパッケージ>(31万3200円)/フロアマット<ロイヤルタイプ>(5万7240円)
テスト車の年式:2015年型
テスト開始時の走行距離:2717km
テスト形態:ロードインプレッション
走行状態:市街地(--)/高速道路(--)/山岳路(--)
テスト距離:--km
使用燃料:--リッター
参考燃費:--km/リッター

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。