第444回:クルマ業界人が引き込まれやすい? 「食品ビジネス」の世界
2016.04.08 マッキナ あらモーダ!元鉄道駅で開催される食材見本市
「テイスト」とは、毎年3月フィレンツェで開催される、イタリア高級食材の見本市のことである。
一般入場も時間により可能だが、基本的には食品バイヤーや高級レストランを対象にしたプロ向け見本市だ。
第11回を迎えた今年は、2016年3月12日~14日に開催され、340の出展者と1万5500人の来場者でにぎわった。
主催者発表によると、昨年と比べてバイヤー数は英国と米国からが2倍、フランス、ベルギー、オーストリア、スイスからが3倍の伸びで、ドイツや日本からのバイヤーも増えたという。みんなイタリアの食べ物が好きである。
このイベント、会場も面白い。
名前を「スタツィオーネ・レオポルダ」(レオポルダ駅)というが、今日「駅」としての役割は果たしていない。
レオポルダ駅は、遠くイタリア統一前の1848年にフィレンツェ初の駅として開業した。しかし1861年、現在のサンタマリア・ノヴェッラ駅にその役割が移されたのを機に閉鎖されてしまう。
その後フィレンツェがイタリアの首都だった時代は税関として使われ、さらに後年は弾薬製造工場などとして使われた。やがて1990年代初めに展示会場として生まれ変わるまでは、第2次大戦中も含め、機関車用部品の修理工場として使われていた。
今日レオポルダ駅は、世界屈指のメンズファッションとして有名な「ピッティ・イマージネ」を主催するイベント会社が所有している。
横断歩道の白線転じて薫製鮭
元・鉄道施設の面影が今も残る会場には、生ハム、フレッシュチーズ、そしてワインなどの製造業者が、えんえんとスタンドを連ねている。そうした中でスモークド・サーモンを扱う、あるスタンドがあった。商品を切り分けるデモンストレーターを撮影していると、やがて試食をすすめられた。口にしてみると、身の締まりといい、とろみの加減といい絶妙だ。
「いかがですか?」という声に気づいて振り向くと、にこやかな笑顔を浮かべる紳士が立っていた。
「これは今週の月曜日に水揚げされたばかりの鮭です」という。ちなみに今日は土曜日である。
ブランド名は「アップストリーム」。「鮭が産卵のため、生まれた川に遡上(そじょう)するのにちなみました」と氏は説明する。
会社の所在地を見ると、モデナやマラネッロと同じ北東部エミリア-ロマーニャ州の、パルマからの出展である。パルマはハムやソーセージでは有名だが、海はもちろん鮭が上ってくるような川はない。
すると氏は「実は私には、もうひとつの顔がありまして……」と言いながら、1枚の名刺を取り出した。
彼の名前はクラウディオ・チェラーティ氏。パルマで横断歩道の白線引きなど業務用スプレーガンの製造・販売会社を30年にわたって経営している人だった。後日、会社概要を見ると、機器の使用法指導まで行っている。クルマとは、さほど遠くない世界の人だった。
なぜ鮭を?
「本業の傍らで」と、チェラーティ氏は語る。「休日に、鮭の漬け方と薫製法をいろいろ工夫しているうちに、友達から『お前、これはいけるぞ』とウケてしまいましてね」
試行錯誤を重ねること数年。「好き」をもうひとつの仕事にしてしまった。3年前のことだ。本社所在地はスプレーガンの会社と同じである。
チェラーティ氏が使う鮭は、デンマークの自治領であるフェロー諸島で水揚げされたものだ。その後、彼が古典的手法をもとに考案したメソッドに基づき、海塩と砂糖のみで漬ける。
薫製には地元パルマのアペニン山脈で収集したブナの木を使うという。煙の温度は熱いのがいいのか? と思いきや、20度でじっくりと燻(いぶ)すのがいいらしい。
あのランボルギーニも
チェラーティ氏は本業と両立しているので、あまり比較には適切ではないものの、チェラーティ氏の話を聞いてボクが思い出したのは伊丹十三監督の1985年映画「タンポポ」だ。人気のないラーメン店を再建するそのストーリーに登場する元・産婦人科医は、自ら経営する病院を夫人と事務長に乗っ取られてもなお、食い道楽を極めようとしていた。
筆者の周囲でも、自動車業界など工業界にいた人が、いきなり食べ物や飲み物を作り始めてしまい、ときとしてプロになってしまったという話をときおり耳にする。
その代表といえば、同じエミリア-ロマーニャ出身で、今年生誕100年を迎えたフェルッチョ・ランボルギーニ氏だろう。彼はスーパースポーツカー製造から身を引いたあと、58歳のとき手に入れたブドウ農園に引っ越してワイン作りを始めた。最初は地元の協同組合の貯蔵庫に入れていたが、満足できずに、やがて自分の貯蔵庫をしつらえた。そうして作ったワイン「ミウラの血」は、イタリアはもちろん、海外でも好評をもって受け入れられたという。
工業に携わった人は食品業界の人々と同様に研究熱心である。同時に、前工程を完璧にこなすほど後工程の完成度が高くなることを、身をもって知っている。
フェルッチョ・ランボルギーニ氏は、ワイン製造にあたって、イタリア屈指の醸造学者を顧問として迎えたという。チェラーティ氏がサーモンの漬け方にこだわるのも、「後工程である薫製の出来を左右するから」と説明する。
毎年世界各地のモーターショーでは、さまざまな自動車関係の人々に会う。その中には話しているうちに、気がつくとクルマよりも食べ物の話で盛り上がっている人がいる。その知見の広さに、ボクは「この人は、実はクルマよりも、もっと好きなものがあるんじゃないか?」と思うことがある。チェラーティ氏やフェルッチョ氏に続く予備軍は、それなりに潜伏していると踏んでいるボクである。
(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=Akio Lorenzo OYA、UP STREAM italiana)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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