第126回:ヒゲもクルマもないけれど、少年には愛がある
『シング・ストリート 未来へのうた』
2016.07.08
読んでますカー、観てますカー
音楽と映像を結びつけたMTV
『ベストヒットUSA』の放送が始まったのは1981年のこと。アメリカで音楽専門チャンネルのMTVが誕生し、ポップミュージックにとって映像は不可欠のものとなった。ビデオクリップの出来がレコードの売れ行きを左右する時代が始まったのだ。音楽好きは、小林克也がキレのいい英語でヒット曲を紹介する土曜の夜を心待ちにした。
ビジュアルを得意とするグループが人気となったのは当然だ。1981年にホール&オーツの「プライベート・アイズ」、1982年にデュラン・デュランの「リオ」、1983年にはカルチャー・クラブの「カーマは気まぐれ」が大ヒットする。ニューウエーブ、ニューロマンティックなどと呼ばれた音楽ジャンルがチャートを席巻し、趣向をこらしたミュージックビデオが次々と生み出された。
上の世代の音楽ファンからは、厳しい視線を浴びせられていたことを覚えている。衣装やメークばかり気にして見た目で売れようとするとは何事か、というのだ。ロックは骨太な音楽であり、チャラチャラした連中はニセモノである。反体制の心意気をなくした奴らの音楽など聴く価値はない。……ごもっとも。確かに軽薄ではあった。でも、カッコよかったのだから仕方がないではないか。『シング・ストリート 未来へのうた』は、あのころを舞台にした映画である。
1985年、不況下のダブリン
1985年のアイルランドは不況のどん底にあった。ダブリンの高校生コナー(フェルディア・ウォルシュ=ピーロ)は、父親が失業したことで生活が一変する。授業料の安い公立校に移らなければならなくなったのだ。上品な生徒の集う私立のぬるま湯に別れを告げ、タフでハードな学園生活が始まる。授業中も悪ガキどもが騒いでいる教室は『ごくせん』さながらの学級崩壊ぶりだ。ヤンクミのような教師がいるはずもなく、コナーは孤立無援となる。
登校初日から暴力の洗礼を受ける。トイレに連れ込まれて「踊れ!」と脅され、渋々ステップを踏むと今度はパンツをおろせと要求はエスカレート。さらにたちが悪いのが校長だ。生徒に対して絶対的な権力をふるうことが自分の役割だと考えていて、校則を厳格に守るよう命じる。「靴の色は黒」という規定をたてにとり、コナーの茶色の靴を取り上げるのだ。
お先真っ暗だが、コナーは一筋の光明を見つける。校門の前にあるアパートに、イケてる女の子が住んでいたのだ。勇気をふりしぼって声をかけると、ラフィーナ(ルーシー・ボイントン)はモデルをやっていると話す。場末感たっぷりの見た目でどう考えても眉唾だが、恋する男子は一直線だ。「僕のバンドのビデオに出演してほしい」と誘い、電話番号を手に入れる。
問題は、「僕のバンド」なんてどこにも存在していないことだ。引きこもりの兄から音楽の知識を伝授されているが、音楽仲間はいない。学校内に募集のチラシを貼り、なんとかメンバーをそろえた。
「ゴルフ」が少年の妄想を打ち砕く
早速デュラン・デュランの曲を練習するが、兄から「他人の曲で口説くつもりか?」と叱責(しっせき)される。必死で作ったオリジナル曲は「The Riddle of Model」。“モデルの謎”というタイトルは痛すぎるが、ラフィーナをキャスティングしてビデオ撮影を行うことになった。メンバーが思い思いに集めてきた衣装のダサさが超リアル。ビデオの演出も相当恥ずかしいものだが、事実の忠実な再現ともいえる。当時のビデオクリップはカッコつけだけの意図不明なものも多く、見ていていたたまれない気分になったものだ。
最初はやぼったかったコナーだが、自信をつけるにしたがってそれなりにサマになってくる。前髪にメッシュを入れてメークをしたまま学校に行ったのはやり過ぎで、校長室に呼び出されてお仕置きを受けた。それでも、ラフィーナとは少しずつ親密な関係になっていく。これまで女の子との接触が一切なかったコナーの頭の中は、妄想ではちきれんばかりだ。
千載一遇のチャンスがやってきた。練習で遅くなった夜、彼女を家に送り届けることになる。別れ際にキスできるかもしれない! しかし、そこに白い「ゴルフ カブリオ」に乗った男が現れた。ラフィーナには年上の彼氏がいたのだ。助手席に座って去っていくのを見送り、コナーは打ちひしがれる。「相手は大人で、クルマもヒゲもある」から、自転車で送ってきた自分に勝ち目はない。
ラフィーナの夢は、ロンドンでモデルとして成功することだ。ダブリンにいたのでは、明るい将来は見えてこない。当時のアイルランド人に「2016年にイギリスはEU離脱を決め、アイルランドのパスポートを欲しがるイギリス人が現れる」と話しても、一笑に付されただろう。
ラストを彩る謎のメルセデス・ベンツ
コナー役のピーロは演技の経験はなかったが、音楽一家で育った。ステージでのパフォーマンスは堂に入っていて、ミュージシャンとしてもやっていけそうだ。サントラはデュラン・デュランやザ・キュアーなどの当時のヒット曲と映画オリジナル曲がミックスして収められている。
監督はジョン・カーニー。2007年に『ONCE ダブリンの街角で』、2013年に『はじまりのうた』という2本の音楽映画をヒットさせている。彼はダブリンの出身で、『シング・ストリート』には自伝的要素が込められているようだ。バンドでベースを弾いていたこともあり、ビデオクリップの撮影も担当した。その経験を生かして映画に進出したわけだ。
どの作品も映画として優れているだけでなく、使われている音楽が素晴らしい。『ONCE』で主演した2人はほとんど演技経験のなかったミュージシャンで、映画撮影後も音楽活動を続けている。『はじまりのうた』ではキーラ・ナイトレイの元カレ役がマルーン5のアダム・レヴィーンだった。彼は本作で主題歌を歌っている。
これまでの2本の作品も男女のロマンスを扱っていたが、ストレートに恋は成就せず、寸止め感がもどかしかった。今度は違う。若い2人は情熱的だ。ラストシーンは、1971年の名作『小さな恋のメロディ』を思い起こさせる。
大事なことを忘れていた。コナーの家には1台のクルマがずっと停めてあって、カバーの下からメルセデス・ベンツらしきグリルがのぞいていた。何度も同じアングルで映されるので気になっていたのだが、最後にこのクルマがいい仕事をする。愛と自由と勇気を乗せて走り抜けるのだ。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
-
第287回:宝石を盗んで西海岸のハイウェイを駆け抜けろ!
『クライム101』 2026.2.12 ハイウェイ101で発生する宝石盗難事件はいつも迷宮入り。「ダッジ・チャレンジャー」で素早く逃走する犯人の犯罪心得は、殺さず、傷つけず、証拠を残さないこと。泥棒、刑事、保険ブローカーが華麗なる頭脳戦を繰り広げる! -
第286回:才人監督が描くディストピアのデスゲーム
『ランニング・マン』 2026.1.29 「アルピーヌA290」で追っ手のハンターから逃げ延びろ! スティーブン・キングが50年前に予見した未来は、まさに現在の状況そのもの。分断とフェイクが支配する現実を鋭くえぐった最新型デスゲーム映画。 -
第285回:愛のためにフルヴィアクーペで突っ走れ!
『トリツカレ男』 2025.11.6 夢中になるとわれを忘れるトリツカレ男がロシアからやってきた少女にトリツカレた。アーティスティックな色彩で描かれるピュアなラブストーリーは、「ランチア・フルヴィアクーペ」が激走するクライマックスへ! -
第284回:殺人事件? トレーラーが荒野を走って犯人を追う
『ロードゲーム』 2025.10.30 あの名作のパクリ? いやいや、これはオーストラリアのヒッチコック好き監督が『裏窓』の設定をロードムービーに置き換えたオマージュ作品。トレーラーの運転手が卑劣な殺人者を追って突っ走る! -
第283回:ドニー・イェン兄貴がE90で悪党を蹴散らす!
『プロセキューター』 2025.9.26 ドニー・イェン兄貴は検事になっても無双! 法廷ではシルバーのウィッグをつけて言葉の戦いを挑むが、裁判所の外では拳で犯罪に立ち向かう。香港の街なかを「3シリーズ」で激走し、悪党どもを追い詰める!
-
NEW
メルセデス・マイバッハSL680モノグラムシリーズ(4WD/9AT)【試乗記】
2026.3.4試乗記メルセデス・マイバッハから「SL680モノグラムシリーズ」が登場。ただでさえ目立つワイド&ローなボディーに、マイバッハならではのあしらいをたっぷりと加えたオープントップモデルだ。身も心もとろける「マイバッハ」モードの乗り味をリポートする。 -
NEW
始まりはジウジアーロデザイン、終着点は広島ベンツ? 二転三転した日本版「ルーチェ」の道のり
2026.3.4デイリーコラムフェラーリ初の電気自動車が「ルーチェ」と名乗ることが発表された。それはそれで楽しみな新型車だが、日本のファンにとってルーチェといえばマツダに決まっている。デザインが二転三転した孤高のフラッグシップモデルのストーリーをお届けする。 -
第863回:3モーター式4WDの実力やいかに!? 「ランボルギーニ・テメラリオ」で雪道を目指す
2026.3.3エディターから一言電動化に向けて大きく舵を切ったランボルギーニは、「ウラカン」の後継たる「テメラリオ」をプラグインハイブリッド車としてリリースした。前に2基、リアに1基のモーターを積む4WDシステムの実力を試すべく、北の大地へと向かったのだが……。 -
F1で絶体絶命!? アストンマーティン・ホンダになにが起きているのか?
2026.3.3デイリーコラム2026年のF1開催を前に、早くも苦戦が伝えられるアストンマーティン・ホンダ。プレシーズンテストでの大不振はなぜ起きたのか? ここから復活する可能性はあるのか? 栄光と挫折を繰り返してきたホンダが、ふたたびF1で輝くために必要なものを探った。 -
電動式と機械式のパーキングブレーキ、それぞれメリットは?
2026.3.3あの多田哲哉のクルマQ&A一般化された感のある電動パーキングブレーキだが、一方で、従来型の機械式パーキングブレーキを好む声もある。では、電動式にはどんなメリットがあって普及したのか? 車両開発者の多田哲哉さんに話を聞いた。 -
トヨタGRヤリスRZ“ハイパフォーマンス”+エアロパフォーマンスパッケージ【試乗記】
2026.3.3試乗記「GRヤリス」の新仕様として設定された「エアロパフォーマンスパッケージ」装着車に試乗。レースフィールドでの知見を交え開発したというエアロパーツの空力・冷却性能は、リアルワールドでも体感可能なのか。高速道路を経由し、郊外のワインディングロードを目指した。