第11回:トヨタ・スポーツ800 vs ホンダS600
スポーツカーの哲学と浮谷東次郎の求めた理想
2017.11.16
自動車ヒストリー
パワーか、軽さか。2つの異なるアプローチで“速さ”を追い求めた往年の名スポーツカー「トヨタ・スポーツ800」と「ホンダS600」。サーキットでしのぎを削った両モデルの姿を、天才ドライバー 浮谷東次郎のエピソードとともに紹介する。
船橋サーキットの死闘
1965年7月、千葉県に船橋サーキットがオープンした。3年前に鈴鹿サーキットの営業が始まっていたが、ようやく首都圏にも自動車レースのできる施設が造られたわけだ。敷地面積は約3万坪と小さく、タイトなコーナーを組み合わせたテクニカルなコースレイアウトだった。オープニングを飾ったのは、「全日本自動車クラブ選手権」。この年、国内で最大のレースイベントとなった。
今でも語り草になっているのが、400ccから1300ccまでのGTカーが争う「GT-I」レースである。「ダイハツ・コンパーノ スパイダー」「日野コンテッサ」など40台がエントリーしていたが、注目を集めたのは2台のマシンだった。優勝するのは生沢 徹の「ホンダS600」と浮谷東次郎の「トヨタ・スポーツ800」のどちらかだと思われていたのである。
生沢と浮谷は無二の親友だったが、同時にお互いを最良のライバルだと考えていた。午前中に雨中で行われた「GT-II」レースでは、浮谷の「ロータス・エラン」がポール・トゥ・ウィンを決めている。2度続けて負けるわけにはいかない生沢は、雪辱を果たそうと意気込んでいた。
雨が上がった午後3時40分、GT-Iレースがスタートした。ポールポジションの生沢はパワーに勝る「アバルト・ビアルベーロ」にかわされたものの2位をキープ。4番手スタートの浮谷は1台抜いて生沢に勝負をしかける。5周目の最終コーナーでアクシデントが起きた。2台は接触し、浮谷のマシンはフロントフェンダーを変形させてしまう。へこんだフェンダーはタイヤに当たり、そのまま走ることはできない。予定外のピットインを強いられ、53秒ものハンディを負ってしまった。
足かせとなった重さと空気抵抗
2.4kmのコースを30周するスプリントレースでは、これは致命的な差と言っていい。それでも諦めない浮谷は猛然と追い上げ、16周目には7位まで順位を上げていた。17周目になると、トップを走っていたアバルトがマシントラブルでリタイアする。労せずして生沢はトップに立ったが、これが油断を生んだ。
ピットからはマシンをいたわってペースダウンするよう指示が出され、全力で追いかける浮谷が差を縮めていく。24周目、バックミラーにパッシングで威嚇する浮谷のマシンが映った。もはや生沢には、勢いに乗る浮谷を止める手だてはなかった。
“奇跡の逆転劇”で世にトヨタ・スポーツ800の名を知らしめた浮谷だが、それまではホンダS600でレースに出場していた。そもそも浮谷はトヨタのワークスドライバーで、1964年の第2回日本グランプリでは「コロナ」でレースをしている。しかし、友人に借りたS600で鈴鹿サーキットを走った彼は、俊敏な操縦性にほれ込んでしまった。すぐに手に入れて毎週のように千葉の自宅から鈴鹿に通って走りこみ、レースにも出場した。ワークスドライバーが他社のマシンに乗るなんて、現在ではとても考えられない。おおらかな時代だったのだ。
S600は優れたスポーツカーだったが、浮谷には不満もあった。ボディーが重く、空気抵抗が大きいのだ。彼はためらうことなくボディー改造を試みる。FRP(繊維強化プラスチック)で軽くて空力性能のいいカウルを作り、弱点を克服しようとした。設計と製作を請け負ったのは、後に童夢を創業することになる林みのるである。彼にとって初めての作品となったこのモデルはマットブラックに塗装され、“カラス”の愛称で呼ばれた。
真逆だった“速さ”へのアプローチ
ホンダS600は、当時の乗用車としては考えられないハイスペックなメカニズムを採用していた。直列4気筒のDOHCエンジンに4連キャブレターを備え、606ccの小排気量から57psを絞り出していた。二輪で鍛えられた技術はF1への参戦でさらに磨き上げられ、“時計のような”と評された高回転・高出力の精巧なエンジンに結実していた。最高出力を発生するのは8500rpmである。
サスペンションは四輪独立懸架で、フロントが縦置きトーションバーを使ったダブルウイッシュボーン。リアは駆動用チェーンケースをトレーリングアームと兼用する凝ったものだった。高性能であることは機構が複雑であることを意味し、重量増につながる。全長3300mm、全幅1400mmのコンパクトなボディーだが、クーペでは車両重量が715kgに達した。
1965年4月に発売されたトヨタのスポーツ800は、S600とは正反対の発想で作られていた。なにしろ、エンジンとシャシーが専用設計ではない。ベースになったのは、小型大衆車の「パブリカ」である。エンジンは790ccの空冷水平対向2気筒で、スポーツカーらしからぬのどかなエンジン音を奏でた。5400rpmで発生する最高出力は45psにすぎない。S600と比べると12psの差で、20%以上も低いわけだ。
その代わり、明らかなアドバンテージがあったのがボディーである。全長3580mm、全幅1465mmとS600よりも大きかったのに、車両重量は580kgという軽さだった。アルミニウムやアクリルを多用して軽量化を図ったのだ。パワーウェイトレシオは、S600の12.5に対して12.8。非力な分を軽さが補い、性能は肉薄する。
浮谷が求めた理想のスポーツカー
丸っこいフォルムは愛らしさを感じさせ、“ヨタハチ”の愛称にマッチしていた。もちろん、見た目だけのデザインではない。砲弾型のなめらかなボディーは空力特性にも優れていた。開発に関わったのは、戦争中に立川飛行機で戦闘機を設計していた長谷川龍雄である。何度も実験を重ね、空気抵抗の軽減にこだわった。サイドウィンドウに曲面ガラスを採用し、ヘッドランプをプラスチックのカバーで覆うなどの工夫が功を奏す。最高速は、S600の145km/hを上回る155km/hに達した。
トータルするとS600とスポーツ800の実力は拮抗(きっこう)し、レースではよきライバルとなった。しかし、開発のバックボーンになった“スポーツカーの哲学”は、対照的である。最新の技術を惜しみなくつぎ込み、ひたすらハイパワーを追求したS600。ブリコラージュの手法で効率を求め、軽量化に活路を見いだして総合力で勝負したスポーツ800。そこには自動車メーカーとしての考え方の違いが反映されている。
スポーツカーにとって、パワーも軽量化も等しく大切な要素だ。理想はそれが両立することである。浮谷東次郎もそう考えた。考えをすぐに行動に移すタイプの彼は、コロナのメンテナンスを頼んでいるトヨタの工場に赴き、スポーツ800にS600のエンジンを積んでほしいと頼んだ。理想のマシンを作り、イギリスのレースに出ようというのだ。
常識はずれの提案がすぐに受けいれられるはずもなく、計画はなかなか進展しない。諦めずに方法を探っていた最中の1965年8月20日、浮谷は鈴鹿サーキットで練習走行に励んでいた。立体交差を過ぎてコーナーを抜けようとした時、コース上を歩く人影が目に映る。とっさに避けようとしたが、コース脇にあった水銀灯に激突してしまう。理想のスポーツカーを追い求めた彼の夢は、永遠に実現不可能になってしまった。
(webCG)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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