第16回:デソート・エアフロー――空気を形に
航空機に学んだ未来志向のフォルム
2018.01.25
自動車ヒストリー
自動車の性能を左右する重要な技術のひとつに挙げられる“空力デザイン”。その始まりは、1934年に誕生したクライスラーの「エアフロー」だった。自動車開発における空気力学の歴史を、契機となったモデルや開発者たちのエピソードとともに振り返る。
異形だった流線形デザイン
1936年、トヨタ初の乗用車「トヨダAA型」が発売された。先行する欧米に追いつくことを目指し、日本でもようやく本格的な自動車産業が羽ばたこうとしていたのである。エンジンやシャシーの技術はまだまだ発展途上だったが、デザインだけは世界の最先端を行っていた。豊田喜一郎が手本とするよう指示したのは、1934年に登場したばかりの「デソート・エアフロー」。いち早く流線形を採用して、自動車のデザインに変革をもたらしたモデルである。
初期の自動車は車輪が大きく、人はよじ登るようにして高い場所の座席に座った。“馬なし馬車”と呼ばれていたことでわかるように、それまで交通機関の主流だった馬車を範としていたのである。エンジンの上にキャビンを載せる形になり、背の高いボディー形状にならざるを得なかった。
1891年にはエンジンと座席を水平方向に展開する「システム・パナール」が生まれ、重心を下げる設計が可能となるなど、機能面の進化は順調に推移したが、デザインの志向は保守的であり続けた。自動車は貴族や金持ちの持ち物であり、彼らはコーチビルダーにワンオフのボディーを作らせて立派さや豪華さを競った。大きくて見栄えのいいフロントグリルと、ぜいたくで風格のあるキャビンが求められたのだ。前方には長大なエンジンルームがあり、サイドには独立したフェンダーが備わる。後方には垂直なフロントウィンドウを持つ頑丈な客室が用意された。
そういったオーソドックスなデザインとはまったく違う、異形のデザインをまとって登場したのがエアフローである。8気筒モデルがクライスラー、6気筒モデルがデソートのブランドで販売された。フェンダーはボディーと一体化し、ヘッドランプの埋め込まれたフロントマスクはのっぺりとした表情をしていた。ルーフは滑らかな弧を描き、そのまま後方に落ちて終息する。トランクリッドは廃されており、最上級モデルには曲面1枚ガラスのウインドシールドが用意された。その名の通り、空気の流れを配慮したスタイルである。
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目新しすぎて販売不振に
1920年代なかば、クライスラーの技術者であるカール・ブリアーが新しいボディーデザインを構想した。水面近くを飛ぶカモを見てひらめいたとも、軍用機を模倣したともいわれる。開発陣にライト兄弟と交流のあったウィリアム・アーンショーが加わり、風洞を使って理想的な形を追求していった。1932年にプロトタイプの「トライフォン・スペシャル」が完成する。
試乗した社長のウォルター・クライスラーは出来の良さに感心してプロジェクトにゴーサインを出した。誕生したばかりの新興企業だったクライスラーは、他社に先駆けて新たな技術や意匠を取り入れることに熱心なメーカーだった。
エアフローはデザインだけが進んでいたわけではない。モノコック構造を取り入れたボディーは頑丈で、エンジン位置が前方に移動したことで室内長は大幅に拡大していた。従来は車軸上にあった後席が前にずれたことにより、乗り心地も向上する。スタイルも技術も未来志向のモデルで、新しもの好きはこぞって手に入れようとした。しかし、しばらくすると売れ行きは急激に下降する。多くの人々にとっては、目新しすぎるものは受け入れがたい。特に女性から評判が悪かったことが致命的だった。
2000年に発売された「PTクルーザー」は、エアフローのデザインを現代的に仕立て直したモデルであり、個性的なデザインのコンパクトカーとして高い評価を得ている。そう考えると、エアフローを1934年に登場させたのはいささか早すぎたのかもしれない。「It’s smart to buy a car with a future!」というキャッチコピーで売り出したが、多くの人は未来よりも過去とのつながりを重んじた。翌年のモデルはグリルなどのデザインを一部元に戻すなどの修正が施される。従来モデルにエアフローのエッセンスをまぶした「エアストリーム」も作られ、そちらのほうがよく売れた。
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速度の向上がもたらした空気との戦い
当時は鉄道車両に流線形が取り入れられるなど、デザインの新しい流れが生まれていた。空気抵抗とは何の関係もないカメラや冷蔵庫にまで流線形が適用されていたほどである。ブームの様相を呈していたが、人々はクルマの形に関しては保守的な感覚を捨てられなかったようだ。エアフローはデソート版が1936年、クライスラー版が1937年に生産中止となった。
ユーザーの購入動機にはならなかったものの、空気抵抗を軽減することは自動車にとって間違いなくメリットが大きい。ユーザーも次第に新しいスタイルに慣れていき、エアフローの示した方向性はその後の自動車デザインに大きな影響を与えることになる。
量産車として初めて流線形を取り入れたのはエアフローだったが、それまでにも空気抵抗を軽減するためのさまざまな試みがあった。初期の自動車はすべてオープンカーで、ドライバーはいや応なく空気との戦いを強いられる。顔や体で直接風圧を受け止めるのだから、空気抵抗が自動車にとって問題であることは誰もが経験的に知っていた。性能が向上してスピードが増すと、空気抵抗のデメリットは明白なものになる。100km/hの速度で走るということは、風速27.8m/sという台風並みの風にさらされることと同じだ。
1899年に自動車史上初の100km/h超えを果たした電気自動車「ジャメ・コンタント号」は、明らかに空気抵抗を意識した魚雷型のボディーを採用していた。ただし、ドライバーの上半身はむき出しで車輪にも覆いはなかったから、本当に効率的だったかどうかは疑問である。
第1次世界大戦で単葉機タウベの製造に携わったエドムント・ルンプラーは、1921年のベルリンモーターショーに奇妙な形の自動車を出展した。「トロップフェンワーゲン」と呼ばれるそのクルマは横から見るとボートのようで、真上から見ると雨滴型になっている。航空機工学に学んだデザインは注目を集めた。
後の自動車開発に大きな影響を及ぼしたのは、ツェッペリン飛行船工場の技師長だったパウル・ヤーライである。風洞実験によって空気力学を研究していた彼は、飛行機の主翼や飛行船をモチーフに自動車のボディーをデザインし、その内部にタイヤを収納することで空気抵抗を軽減しようとした。この理論を用いて、メルセデス・ベンツなどがヤーライ型と呼ばれるスポーツカーを製作する。マイバッハやアドラーなども、ヤーライの流線形を使ったモデルの生産を試みている。クライスラーもヤーライのパテントを買っており、エアフローのデザインもその影響を受けたものだった。
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燃費向上のために重要なCd値
流線形を追求していくと、居住性や後方視界、積載スペースの使い勝手に問題を抱えることになる。テールを長くしたほうが空気抵抗を減少できると考えられていたが、際限なく全長を伸ばすことはできない。ジレンマを解決したのが、ドイツのウニバルト・カムだった。彼は流線形の後部を切り落としても空気抵抗がほとんど変わらないことを実証し、ヤーライの流線形よりも実用的なカム・フォルムを提唱した。「アルファ・ロメオSZ」の丸いテールを切り落とした「SZ2」が空力性能を向上させたように、この方法で多くのスポーツカーがデザインされるようになる。
スピード時代の幕開けとともに、エンジニアは意識的に空気抵抗の少ない形を追い求めるようになった。指標となるのは、Cd値と呼ばれる数値である。空力6分力のひとつで、空気抵抗係数を表す。前面投影面積にCd値をかけた値が空気抵抗の大きさだ。1920年の自動車は、平均するとCd値が0.8ほどだった。これが1925年には約0.6、1930年には約0.55と、着実に下がっていく。各地で高速道路が建設されるようになり、空力研究の重要性が高まっていった。
別の指標がクローズアップされた時代もあった。1950年代には高速走行時の安定性が重視され、揚力係数(Cl値)に関心が集まった。同時に、走行風を積極的に利用して安定性を高める手法も注目されるようになる。GMのデザイン部長ハーリー・アールが推進したテールフィンは、ジェット機の垂直尾翼がモチーフとなっていた。ただ、実際には高速安定性にほとんど効果はなかったようで、フィンが巨大化していったのはデザインの派手さを競うためだった。
1970年代以降は燃費を向上させるためにCd値を下げることが重要な課題になった。コンピューターによるシミュレーションや風洞試験の方法も進歩し、トラックやバスでもCd値が0.5を下回るようになってきた。現在では、乗用車でCd値が0.3を切るモデルも珍しくない。空力を考慮することはデザインの前提となっており、フラッシュサーフェイス化も普通のことで、ミラー形状の工夫やAピラーまわりの整流など、細かい部分での改善が続けられている。エアフローが提起した空気との戦いは、自動車にとって永遠のテーマなのだ。
(文=webCG/イラスト=日野浦 剛)
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鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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