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第17回:マスキー法をめぐって――石油ショックと公害
環境保護の理想と政治の論理

2018.02.08 自動車ヒストリー 大気汚染の深刻化を防ぐため、アメリカで制定された“マスキー法”こと1970年大気浄化法改正法。公害への怒りから生まれた画期的な法律は、なぜ骨抜きにされたのか? 日本メーカー躍進の契機ともなった、排出ガス規制の歴史を振り返る。

アメリカでは1940年代から公害が問題に

1972年2月、本田宗一郎は記者会見で「75年排出ガス規制値を満足させるレシプロエンジンを73年から商品化する」と発表した。まだ製品は完成していなかったが、彼は目標達成に自信を持っていた。副燃焼室を使って希薄燃焼を実現するという方法に光明を見いだしていたからである。ここで“75年排出ガス規制値”といわれているのは、1970年に制定されたアメリカの大気浄化法改正法を指す。エドマンド・マスキー上院議員の提案によって作られたため、マスキー法と呼ばれることが多い。

ホンダはCVCC(Compound Vortex Controlled Combustion、複合渦流調整燃焼方式)エンジンを開発し、宣言通り1973年にこのエンジンを搭載した「シビック」を発売した。世界で初めてマスキー法をクリアした自動車という栄誉は、日本車が獲得したのである。同年にはサーマルリアクターの改良によってマツダも規制値をクリアしていたが、これらの努力が正当に報いられることはなかった。実現すべき目標自体が葬り去られていたのだ。

モータリゼーションの進行により、アメリカでは早くから公害問題が取り上げられるようになっていた。ロサンゼルスでは、1940年代から光化学スモッグが発生し、健康被害が報告されるようになった。地形的にガスが滞留しやすいことが不利に働いたこともあるが、主要な原因は自動車の排出ガスの増加だと考えられた。かつてロサンゼルスには鉄道網が敷かれていたが、その多くが廃止され、自動車での移動を前提とした都市となっていたのだ。自動車の排出ガスに含まれる窒素酸化物(NOx)が盆地状の市街にとどまり、日光を受けて有毒な物質を発生させていた。

1972年の東京モーターショーにホンダが出展したCVCCエンジン。この年のモーターショーは低公害技術がひとつのテーマとなっており、マツダとダイハツも独自のサーマルリアクターの技術を披露している。
1972年の東京モーターショーにホンダが出展したCVCCエンジン。この年のモーターショーは低公害技術がひとつのテーマとなっており、マツダとダイハツも独自のサーマルリアクターの技術を披露している。拡大
CVCCエンジンが搭載された「ホンダ・シビックCVCC」。1973年12月13日に発売された。
CVCCエンジンが搭載された「ホンダ・シビックCVCC」。1973年12月13日に発売された。拡大
ロータリーエンジンを搭載した「マツダ・ルーチェAP」。車名の「AP」は「Anti Pollution」の略で、1973年2月にマスキー法の基準をクリア。他車に先駆け、1973年5月には低公害車優遇税制に認定されている。
ロータリーエンジンを搭載した「マツダ・ルーチェAP」。車名の「AP」は「Anti Pollution」の略で、1973年2月にマスキー法の基準をクリア。他車に先駆け、1973年5月には低公害車優遇税制に認定されている。拡大

高まる公害対策への関心

アメリカでは、1955年に大気汚染法が制定されている。州政府に対して大気汚染の研究や管理の権限を与え、除去するための方法を開発するように指示するものだった。研究が進むにつれ、汚染物質の発生を抑えるための基準作りが不可欠であるという考えが広まっていった。1963年には、議会の大気および水質汚染特別小委員会が報告書を提出。公共の福祉と人体の健康を守るために大気環境基準を設定することが必要だと提言し、それをもとに大気浄化法が制定された。報告書をまとめた小委員会委員長が、マスキー議員である。

彼は1964年の記者会見で、「大気汚染の最大の単一原因は、自動車であると思う」と述べている。公害の発生源として自動車をターゲットにし、積極的に対策をとる必要があると考えていた。1965年には自動車大気汚染制御法が制定され、排出ガスの連邦基準の作成計画を作ることが目標に定められた。公害に対する市民の目は厳しくなり、環境問題への関心が高まった。

1970年に入ると、ニクソン大統領は一般教書の中で“公害に対する宣戦布告”を行い、大統領直属の環境保護庁(EPA)を設置。全米で“地球の日”と銘打ったイベントが催され、デモンストレーションに2000万人もの人が参加した。公害への対策が注目を集める中でマスキー議員が提案した大気浄化法の改正案が審議され、上下両院で可決される。ニクソン大統領はこの法案に署名し、同年12月31日に1970年大気浄化法改正法、通称マスキー法は制定された。

1960年代に用いられていた、ゼネラルモーターズの5リッターV6エンジン。
1960年代に用いられていた、ゼネラルモーターズの5リッターV6エンジン。拡大
マスキー議員の登場以前からアメリカでは環境問題が顕在化しており、自動車メーカーも対策を練っていた。写真は1960年代の初めに普及が始まった、未燃焼ガスの放出を抑制するPCVバルブ。しかし、マスキー法の基準はこうした従来の取り組みだけでは、クリアできないものだった。
マスキー議員の登場以前からアメリカでは環境問題が顕在化しており、自動車メーカーも対策を練っていた。写真は1960年代の初めに普及が始まった、未燃焼ガスの放出を抑制するPCVバルブ。しかし、マスキー法の基準はこうした従来の取り組みだけでは、クリアできないものだった。拡大

マスキー法の制定と規制の後退

マスキー法の条文には、排出ガスの軽減に関して明確な規定が記されていた。主要な項目は、次のとおりである。

  • 1975年以降に製造される自動車から排出される一酸化炭素(CO)および炭化水素(HC)は、1970年~71年基準から少なくとも90%以上減少させなければならない。
  • 1976年以降に製造される自動車から排出される自動車のNOxは、1970年~71年基準から少なくとも90%以上減少させなければならない。

これに加え、基準を達成できなければ自動車の販売を認めないという条項も盛り込まれていた。当然のことながら、ゼネラルモーターズ、フォード、クライスラーの“ビッグスリー”は反発し、1972年にマスキー法の実施延期を申請する。規制への対応は不可能だと主張したのだ。EPAは公聴会を開催し、延期申請を却下した。メーカー側は連邦控訴裁判所に提訴して対抗する。1973年2月、裁判所はEPAにあらためて公聴会を開催することを命令した。

全米科学アカデミーはマスキー法の期限内実施は困難であるとの報告を提出し、延期論に有力な根拠を与えた。EPAは公聴会の結果を受け、規制の延期を決定する。公害への怒りが沸騰する中で成立したマスキー法だったが、風向きは完全に変わっていった。大気汚染防止を目指した理想は、資本の論理の前に崩れ去る。シビック発売の数カ月前にマスキー法実施の1年延長が決まり、翌年には実質的な廃案となってしまった。

マスキー法の後退を決定づけたのは、1973年10月6日に始まった第4次中東戦争だった。オイルショックが先進工業国の経済を直撃し、資源・エネルギー問題が急浮上したのである。議会には緊急エネルギー法案が相次いで提案され、ガソリンの消費規制が打ち出された。

1974年1月に発表されたエネルギー教書で、ニクソン大統領はマスキー法の規制を手直しする必要性を強調した。自動車メーカーが燃費改善に注力することを求め、排出ガス規制の緩和を求めたのである。大気汚染の浄化に悪影響を与えるものではないとのただし書きが付けられたが、優先順位が落とされたのは紛れもない事実だった。

1960年代以降の原油価格の推移。第4次中東戦争に端を発するオイルショックは、自動車ユーザーに燃費に対する意識を芽生えさせたが、同時に、排出ガスに対する規制の動きを鈍化させることにもつながった。
1960年代以降の原油価格の推移。第4次中東戦争に端を発するオイルショックは、自動車ユーザーに燃費に対する意識を芽生えさせたが、同時に、排出ガスに対する規制の動きを鈍化させることにもつながった。拡大
オイルショックは、長らく経済成長を続けていた日本にも甚大な影響をもたらした。経済構造は根本的な変革を迫られ、飛び交う流言にパニックになった人々はトイレットペーパーの買い占めに走り、便乗値上げによってインフレに拍車がかかった。
オイルショックは、長らく経済成長を続けていた日本にも甚大な影響をもたらした。経済構造は根本的な変革を迫られ、飛び交う流言にパニックになった人々はトイレットペーパーの買い占めに走り、便乗値上げによってインフレに拍車がかかった。拡大
オイルショックはビッグスリーが強く反対していたマスキー法を“骨抜き”にしてしまったが、燃費のいい日本車の躍進にもつながった。写真は1974年から1978年までアメリカで販売された「トヨタ・コロナ」。
オイルショックはビッグスリーが強く反対していたマスキー法を“骨抜き”にしてしまったが、燃費のいい日本車の躍進にもつながった。写真は1974年から1978年までアメリカで販売された「トヨタ・コロナ」。拡大

世界一厳しい規制が定められた日本

日本では、1968年に大気汚染防止法が制定された。ばい煙や粉じんなどとともに、自動車の排出ガスに対する規制を定めた法律である。法的な根拠を得て、運輸省は保安基準でCO濃度の上限を決めて順守を義務付けた。アメリカと同様に大気汚染などの公害が社会問題になっており、1970年の臨時国会は“公害国会”と呼ばれるほど盛んな議論が行われた。翌1971年1月には環境庁が発足し、公害への対策に取り組むことになる。

1972年には環境庁が設立した中央公害対策審議会が答申を発表し、日本でもマスキー法に準じた排出ガス規制を行うように勧告した。1973年に排出ガス試験項目がHCとNOxに拡大され、対策が求められるようになった。“日本版マスキー法”と呼ばれた公害対策は、「昭和53年排出ガス規制」が集大成となる。その内容はNOxを0.25gに抑えるなど、当初のマスキー法の目標値を完全に達成するものだった。車検制度によって定期的に試験が行われることもあり、世界一厳しい規制と呼ばれた。

画期的な公害対策だったが、内外からの逆風にさらされた。アメリカのマスキー法は実質的に骨抜きとなっており、ヨーロッパも厳しい規制には消極的だった。欧米からは、日本の規制強化を非関税障壁と見なす声が上がったのである。アメリカ政府や欧州共同体からは、科学的根拠がないとして規制に反対する要望が届けられた。実施すれば、報復措置として日本車の輸入規制が発動されるおそれすらあった。

国内では、日本興業銀行が規制の経済的影響を分析するリポートを発表。規制が実施されれば自動車価格は上昇し、燃料消費の増大、性能の低下が避けられないと指摘した。それによって国内の乗用車需要は低下して1976年には前年比60万台の減産を招き、雇用が失われると警告したのだ。大気汚染防止による環境改善の動きは、経済的損失を叫ぶ声に押し流されそうになる。それでも日本では公害防止を要求する声が大きく、規制は予定通りに実施された。

排出ガス規制とオイルショックは、スポーツカーのあり方にも大きな影響を及ぼした。写真は当時の排出ガス規制に適応できず、わずかな台数が販売されただけに終わったKPGC110型「日産スカイライン2000GT-R」。こうしたハイパフォーマンスカーが復活を果たすのは、電子制御燃料噴射装置などが普及してからだった。
排出ガス規制とオイルショックは、スポーツカーのあり方にも大きな影響を及ぼした。写真は当時の排出ガス規制に適応できず、わずかな台数が販売されただけに終わったKPGC110型「日産スカイライン2000GT-R」。こうしたハイパフォーマンスカーが復活を果たすのは、電子制御燃料噴射装置などが普及してからだった。拡大

逆風の中で技術を磨いた日本メーカー

CVCCエンジンを搭載したシビックは世界的な大ヒットとなった。排出ガスがクリーンだっただけでなく、希薄燃焼によって低燃費も実現していたのである。前処理の技術であるCVCCに加え、後処理技術の三元触媒も排出ガス浄化に効果的だった。他の日本メーカーもすべて昭和53年規制に適合する技術を開発し、日本車は世界一クリーンなクルマとして評判を高めていく。

欧米と日本で排出ガス規制をめぐる姿勢が分かれた背景には、高品質で低価格な日本車の輸出が急増していたことがある。1970年の時点で自動車生産台数はアメリカに次いで世界第2位となっており、輸出台数は100万台を超えていた。その後も生産台数は順調に増加し、興銀リポートの予想に反して、1976年には前年比90万台以上の増加を記録した。

現在では規制がさらに強化されており、排出ガスのクリーンさと低燃費は自動車の性能の中で大きな位置を占めている。マスキー法をめぐる国際的な動きの中で、日本車は技術を磨き、確実に地位を向上させた。環境技術への取り組みはその後も続けられ、20世紀末にはトヨタがハイブリッドカーの「プリウス」を誕生させて新たな段階に歩を進めることになる。

2017年になると、ヨーロッパや中国で自動車の動力を内燃機関から電気モーターに移行させる動きが活発化した。環境負荷の少ないハイブリッド車やプラグインハイブリッド車、電気自動車などの普及促進を意図したものだが、背後には次世代の自動車開発に向けて主導権を握るための駆け引きが見え隠れする。環境保護への取り組みが政治や資本の論理に左右される状況は、マスキー法の時代と変わっていない。

(文=webCG/イラスト=日野浦 剛)
 

CVCCエンジンを搭載した「ホンダ・シビック」はクリーンな排出ガスに加えて優れた燃費性能も実現しており、世界的なヒットモデルとなった。
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1997年に登場した世界初の量産ハイブリッド車「トヨタ・プリウス」。10・15モード計測による燃費は28.0km/リッターと、内燃機関のみを搭載した既存のモデルとは一線を画す性能を有していた。
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2017年のジュネーブショーに独ダイムラーが出展した、電気自動車のコンセプトモデル「メルセデス・ベンツEQ」。同社では新ブランド「EQ」を立ち上げ、電動車の普及に取り組むとしている。
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