第70回:より自由に より正確に
ステアリングホイール機構革新史
2020.03.12
自動車ヒストリー
自動車の運転に欠かせない装備である、丸いステアリングホイール。私たちドライバーにとっておなじみのこの操舵機構は、どのようにして誕生し、いかなる進化を遂げてきたのか? 新たな操舵システムの創出へ向けた最新の取り組みも交えつつ、その歴史を振り返る。
ティラーで操った初期の自動車
2005年に公開された映画『ALWAYS三丁目の夕日』には、「ダイハツ・ミゼット」が登場する。都電や建設中の東京タワーなどとともに、当時の町の情景を象徴するアイテムとして使われているのだ。ただ、時代考証的には少し疑問が残る。映画は1958年の東京が舞台になっているが、ミゼットが1959年型なのだ。1957年に発売された初代モデルのDK型は、オートバイのようなバーハンドルを採用していた。映画に使われているのは1959年にフルモデルチェンジされたMP型で、丸いハンドルが装着されている。
戦後の日本で物資の輸送に活躍した軽三輪商用車は、バーハンドルを持つものが多かった。ダイハツが戦前から製造していた三輪トラックは、エンジンの上にあるサドルにまたがり、バーハンドルを握って運転する方式だった。後輪をふたつにして荷台を付けたオートバイといってもいいような仕立てである。軽三輪商用車はオートバイや自転車から上級移行してきたユーザーが多く、乗り換えても違和感のないバーハンドルが採用されたのだ。
二輪車の場合、操舵機構は非常にシンプルで、前輪とサスペンション、ハンドルが一体となっている単純な構造がほとんどだ。前が1輪の三輪車なら、同様に複雑な構造を必要としない。それもあって、ガソリン自動車が誕生した直後には3輪のモデルも存在した。ただ、こうした三輪車は安定性の面で不安があり、早々に四輪自動車が主流になっていった。
当初、こうした自動車にはステアリングホイールがなかった。ティラーと呼ばれるレバー状の器具で操舵していたのである。シャフトに付けられた取っ手をつかんで回す仕組みで、片手で操作できる。軽量で大したスピードが出なかった時代には、これで十分に対応することができたのだ。しかし、エンジンの開発が進んで出力が高まり、装備が豪華になって車両の重量が増してくると、この方法では無理が生じてくる。両手でしっかりと保持して微妙な角度調整を行うには、ホイール形状のほうが適していた。
1894年に行われたパリ-ルーアン・トライアルにおいて、参加したエミール・エ・ルヴァソールの1台にステアリングホイールが装着されていたという。これがステアリングホイールの最も早い採用例のひとつとされる。20世紀に入る頃には、次第に多くのモデルにこの機構が取り入れられるようになっていった。
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ギアを使った精密なステアリング機構が普及
四輪車の操舵では、三輪車では生じなかった新たな問題を解決しなければならない。旋回時に通る軌跡は、内輪と外輪では異なるからだ。内輪のほうが旋回半径が小さいので、スムーズにコーナリングするには外輪よりも大きな舵角を与える必要がある。この問題はすでに19世紀初期には認識されていて、ルドルフ・アッカーマンによって理論化されていた。すべての車輪の軌跡が共通の中心点を持つようにする方法で、アッカーマン配置と呼ばれる。
想定される円の中心点は後輪の車軸の延長線上にあり、その点から伸ばした線が内側の前輪と外側の前輪の回転中心に直交する。切れ角の差は、ホイールベースとトレッドの数値から計算することができる。この原理をもとにした操舵機構が、アッカーマンステアリングである。1901年の「パナール・エ・ルヴァソールB2」は、すでにこの方式を採用していた。
当初はティラーやステアリングホイールから車軸をダイレクトに動かしていたが、エンジンが大型化し、車重が重くなると、負荷が大きくなってくる。操舵に大きな力が必要となるため、軽減するための機構が取り入れられた。「T型フォード」のステアリングホイール内部には、プラネタリーギアが備えられていた。減速機構によって操舵力を高めるわけだ。
自動車の高性能化が進展すると、ステアリング機構の精密性が重要になってくる。高速走行では、わずかな角度の差が大きな進路の違いになって表れるからだ。正確な操舵を実現するために、ウォームギア(ネジ型歯車)とセクターギア(扇型歯車)を組み合わせる方法が考案された。ステアリングシャフト先端のウォームギアが回転するとセクターギアを前後に動かし、リンクを介してアームに力が伝わる。
スムーズさを向上させるために改良されたのが、リサーキュレーティングボール式ステアリングだ。ウォームギアの代わりにボールねじを使うもので、バックラッシュを抑えて耐摩耗性も向上させることができる。この方式は、長い間自動車のステアリング機構の標準とされてきた。
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ラック&ピニオンとパワーステアリングが標準に
1970年代から、ラック&ピニオン式ステアリングを採用するモデルが急増した。ピニオンギア(小歯車:多くの場合斜めに歯が切られている)とラックバー(一部に歯が切られた棒状の部品)を組み合わせたシンプルな構造である。ステアリングシャフト先端のピニオンギアでラックバーを左右に動かし、アームに力を伝達する。ダイレクト感を得やすい方式とされ、スポーティーなモデルから採用例が増えていった。
現在ではほとんどの乗用車にラック&ピニオン式ステアリングが採用されている。正確な操舵を可能にすることに加え、部品点数が少なくてすむためコストが安いというメリットがある。道路事情の改善も、普及を後押しした。ダイレクト感が強いということは、悪路ではキックバックが大きいことを意味する。舗装路が増えることでラック&ピニオンの弱点が解消され、利点が目立つようになっていったのだ。
自動車の大型化とFF方式の一般化で、前輪荷重はさらに増大した。ギアによる減速だけでは十分な操舵力を得ることが難しくなる。ドライバーを補助する目的で開発されたのが、パワーステアリングである。エンジンの出力を利用してポンプを作動させ、油圧でアシストする。第2次大戦前から研究は進んでおり、1950年代に大型化が進んだアメリカ車から装着が広がっていった。
スイッチ類の装備などで多機能化
ステアリングホイールは、円形のリムとスポークで構成されたシンプルな形状である。付属するのはホーンボタンぐらいというのが普通だったが、次第に取り付けられるスイッチ類が増えていった。ほとんどスイッチパネル化しているF1マシンほどではないが、乗用車でもメーター表示切り替えやオーディオ操作、ハンズフリー電話などのスイッチがステアリングホイールに付けられていることが多い。変速のためのパドルが装備されることも増えている。エアバッグも内蔵されており、ステアリングホイールは今や操舵を担うだけの装置ではなくなっている。
日産は2013年に、「インフィニティQ50」で世界初のステアバイワイヤを採用した。ステアリングホイールの動きを物理的に前輪に伝えるのではなく、センサーが入力量を読み取り、アクチュエーターでタイヤに切れ角を与える仕組みだ。ドライバーの操作を電気信号に置き換えることで制御の自由度は増す。スカイラインの機構では万が一の故障に備えてシャフトが残されているが、それすら不要になれば、エンジンルーム内のレイアウトもより無理なく行えるようになるはずだ。
入力装置という位置づけになれば、ホイール状である必然性は弱まる。実際、コンセプトカーではさまざまな代替装置が試されてきた。2009年の東京モーターショーでは、トヨタが2本のジョイスティックでステア・アクセル・ブレーキのすべてを制御する「FT-EV II」を披露。2011年には、ホンダがツインレバー・ステアリングを装備した3台のコンセプトカー「AC-X」「EV-STER」「マイクロ コミューター コンセプト」を出展していた。
しかし、今のところステアリングホイールに取って代わる操舵装置は現れていない。回転運動を用いるステアリングホイールは、ティラーやバーハンドルよりもはるかに自由な操舵感をもたらす装置なのだ。自動運転が実現すれば、ステアリングホイールの必要性が失われるといわれている。しかし、場合によっては人間の操作が求められる「レベル4」の自動運転システムまでは、いずれにしろ操舵装置をなくすことはできない。まだしばらくの間、丸いステアリングホイールとの付き合いが続きそうである。
(文=webCG/イラスト=日野浦剛)
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鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。