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第662回:新天地で復活の兆し!? 「トヨタiQ」は二度死ぬ

2020.07.03 マッキナ あらモーダ! 大矢 アキオ

シグネットとの巡り合い

ここ約1年で、実物が走っているのを見て驚いた一台といえば「アストンマーティン・シグネット」だ。

ご記憶の読者も多いと思うが、「トヨタiQ」をベースに企画されたアストン初のシティーカーである。

大排気量・高出力エンジンのみのラインナップだった同社にとって、欧州連合が各メーカーに課す罰金付きの平均CO2排出量規制は大きな悩みだった。シグネットはそれをクリアするための奇策だった。

デビュー当時、モーターショーやモナコのエクスクルーシブ商品ショーで展示されているのを見たことがあった。

また、アストンマーティンの他のモデルは、スイスのナンバーなどを掲げたバカンス客のクルマとして時折見かける。

だがシグネットを路上で見たのは、実をいうと初めてだった。2011年発売のモデルなので、デビューから約8年後の巡り合いだった。

写真の焦点が合っていないのは、あまりに興奮した結果としてお許しいただきたい。

あれから1年余り。今日まであのシグネット以外には遭遇していない。

ヨーロッパの代表的な中古車検索サイト『アウトスカウト24』で確認すると、2020年6月28日現在、イタリア国内では4台が販売されている。値段は4万3900~5万4999ユーロ(約527万~661万円)だ。新車価格の約3万6000ユーロからすると、かなりの値上がりだ。その希少性がプレミア価格化に拍車をかけていることがうかがえる。

前置きが長くなったが、今回はシグネットのベースとなったトヨタiQの話である。

フィレンツェ郊外のインプルネータにて。突如現れた「アストンマーティン・シグネット」。
フィレンツェ郊外のインプルネータにて。突如現れた「アストンマーティン・シグネット」。拡大
ホイールの汚れ具合からして、日ごろの足にしていると思われた。2019年3月撮影。
ホイールの汚れ具合からして、日ごろの足にしていると思われた。2019年3月撮影。拡大
デビュー年である2011年に撮影したカット。モンテカルロのエクスクルーシブブランドショーであるトップマーク・モナコでも、「シグネット」は大きな注目を集めていた。
デビュー年である2011年に撮影したカット。モンテカルロのエクスクルーシブブランドショーであるトップマーク・モナコでも、「シグネット」は大きな注目を集めていた。拡大
同じくトップマーク・モナコにて。「シグネット」のインテリア。
同じくトップマーク・モナコにて。「シグネット」のインテリア。拡大
トヨタ iQ の中古車

iQの元オーナーは語る

イタリアにおけるiQ投入は今でも記憶に残っている。2008年夏にトヨタ・イタリアは、“ゲリラ戦”ともいえる奇抜なプロモーションを展開した。それに関しては、本連載の第105回に「トヨタiQ イタリア海岸線に接近中!」として詳述しているので、ぜひご参照いただきたい。

わが街シエナのトヨタ販売店では、ディーラー発表会としては異例ともいえる、優良顧客向けのディナー会まで催した。

当時のiQについて、筆者自身は「『スマート・フォーツー』キラー現る」と思ったものだ。なにしろiQはスマートよりも30cm物差し1本分弱だけ長い寸法でありながら、短距離ならば4人乗れるパッケージングなのだから。

今回の執筆にあたり、本欄第374回「熱烈日本ファンのスイス人が『トヨタiQ』を買った理由」の主役、ジャンさんに再び連絡をとってみた。

iQには4年前、クルマが要らない現住所に引っ越した当時まで乗っていたという。

日本文化に造詣が深いジャンさんはまず、以前も書いたとおりフロントフェイスが「サムライのマスク」、つまり甲冑(かっちゅう)の面のようでお気に入りだったことを回想した。

そして、面構えとは対照的にiQは「優しい感じのクルマでした」と振り返る。

「(ダッシュボードの)前面に広がる広大なスペースが好きでしたよ」。

さらに「運転しやすく、駐車しやすかったですね」とも。パーツ代がやや高めだったことを除けば、今でも手放したことを残念に思う、と告白してくれた。

ただしiQ自体の販売は、欧州の日本車としては前代未聞のプロモーションを打ち、また、ジャンさんのような熱心なファンを獲得したにもかかわらず、期待ほど伸びなかった。

2009年、筆者が住むシエナで行われた自動車イベントにおける「トヨタiQ」。ウィンドウには、『クアトロルオーテ』誌の記事抜き刷りが販促物として置かれている。
2009年、筆者が住むシエナで行われた自動車イベントにおける「トヨタiQ」。ウィンドウには、『クアトロルオーテ』誌の記事抜き刷りが販促物として置かれている。拡大
元「iQ」オーナーのスイス人、ジャン・フィルテールさん。写真は2014年にジュネーブで撮影。
元「iQ」オーナーのスイス人、ジャン・フィルテールさん。写真は2014年にジュネーブで撮影。拡大
2010年、晩夏のシエナ旧市街で。
2010年、晩夏のシエナ旧市街で。拡大
後方にはライバルの「スマート・フォーツー」が。奥には、当時流行していた大型SUV2台が見える。2013年にミラノで。
後方にはライバルの「スマート・フォーツー」が。奥には、当時流行していた大型SUV2台が見える。2013年にミラノで。拡大
シエナ旧市街で。2015年10月。
シエナ旧市街で。2015年10月。拡大
車間距離不保持にあらず。リヴィエラ海岸でオランダから来たキャンピングカーにけん引される「iQ」。滞在地での足に違いない。豪快な使用例。
車間距離不保持にあらず。リヴィエラ海岸でオランダから来たキャンピングカーにけん引される「iQ」。滞在地での足に違いない。豪快な使用例。拡大

フィアット500に負けた

前述の過去記事にもセールスパーソンの談話として記したが、理由は数々あった。

第1はiQの価格である。従来のエントリー車種で、一般的な4人乗りである欧州専用車「アイゴ」より高かった。そればかりか、さらなる上位車種である「ヤリス」の中級グレードとほぼ同一だった。そのため、「どうせ買うなら大きいほうを」という客が多かったのである。

第2はiQの全長がもたらす恩恵が限定的だったことである。イタリア3大都市であるローマ、ミラノ、ナポリの合計人口は約519万人だ。これは国全体の約8%にすぎない。人口の5割が3大都市圏に集中する日本とは明らかに違う。それは、狭い駐車スペースにクルマをねじこむ必要があるユーザーが限られていることを示す。

本気で小さなクルマを求めるユーザーは、ファッション的観点も加わって、より全長が短いスマート・フォーツーを買ってしまった。また、3人以上乗るときは、家族のクルマを借りれば用が済んだのである。

第3には、発表時は予想だにしなかったことであるが、iQのイタリアデビューの前年である2007年に登場した「フィアット500」のヒットがあった。

フィアット500は、トヨタiQよりも56cm以上長かった。さらに当初、イタリアでは人気の継続について懐疑的な人が少なくなかった。にもかかわらず、しばらくすると「通常は1人もしくは2人乗り。状況によって4人乗り」という、iQが狙ったユーザー需要を吸収してしまった。ついでにいうと、明らかに500の後追いである「オペル・アダム」などは、まったくもって勝負にならなかった。

そして500は今日まで13年にわたるロングセラーとなっている。

iQは、同じトヨタのヤリスに匹敵するポジションを獲得できないまま、イタリアでは2015モデルイヤーをもってカタログから消えていった。

今年はiQのイタリア市場投入から12年目にあたる。再び中古車検索サイト『アウトスカウト24』で見ると、4000ユーロ(約48万円)前後から販売されている。中身はアストンマーティン・シグネットと同じなのに、格安である。数もシグネットと2桁違う約150台もあり、よりどりみどりだ。

イタリア各地の街で見かけるiQも、かなりやつれたものが多くなってきた。

思い出すのは、映画『ニュー・シネマ・パラダイス』で知られるジュゼッペ・トルナトーレ監督の2000年作品『マレーナ』である。モニカ・ベルッチ演じる村一番の美女が、孤独と第2次大戦の激動に翻弄(ほんろう)されて堕落していく様子を、ひとりの少年の目でひたすら追うというストーリーだった。

すべてを眺めてきたという意味で、iQを見る筆者の気持ちは、マレーナを見守る少年のようであった。

かつてデトロイトモーターショーで見たアメリカ仕様の「サイオンiQ」に至っては、すでにブランド自体が廃止されてしまった。

そのようにある種の感傷的なまなざしでiQを眺めていた筆者だが……。

イタリアにおける「iQ」の近影その1。2020年1月、イタリア中部ピストイアにて。
イタリアにおける「iQ」の近影その1。2020年1月、イタリア中部ピストイアにて。拡大
「iQ」の近影その2。周囲の雑草が哀愁を増幅する。2020年6月にシエナにて。
「iQ」の近影その2。周囲の雑草が哀愁を増幅する。2020年6月にシエナにて。拡大
「iQ」の北米仕様は、かつてトヨタのいちブランドであったサイオンから販売されていた。2012年のデトロイトモーターショーで撮影。
「iQ」の北米仕様は、かつてトヨタのいちブランドであったサイオンから販売されていた。2012年のデトロイトモーターショーで撮影。拡大

21世紀のラーダになるか?

2019年4月、上海モーターショーに赴いたときのことだ。会場でiQ風の形態を持つコンセプトカーを発見した。

それを見た筆者には、とっさに“コピー車”の文字が頭をよぎった。しかしプレスリリースに目を通し、自らの浅はかさを恥じた。

「iC3」と名付けられた同車は、中国の奇点汽車がトヨタiQのEV版「eQ」をベースに内外装デザインを一新。「品質、技術、トレンド性を備えたブランドの新しい小型電気自動車」と記されている。

奇点ブランドを展開するのは、新興EVメーカーの智車優行科技である。中国のインターネットサイト『ファンチュー・ドットコム』によると、智車優行科技の沈海寅CEOはiC3を「近距離の都市移動とシェアモビリティーのためのハイクオリティーな小型EV」と定義している。

加えて、「トヨタの高品質なeQを活用することで、iC3の効率的な開発と迅速な量産を実現する」と述べている。

ちなみに奇点と関係のある日本企業は、トヨタだけではない。2018年8月には伊藤忠商事が出資している。さらに2019年5月にはオンキヨーが、車内での音声認識に関する技術提供と開発サポートを決定している。

あのiQが、新たな地で生き返るかもしれない。『007は二度死ぬ』ではないが、クルマの世界では、過去にもさまざまな経緯から、オリジナルの生産終了後もひたすら生産され続けたものがある。

一例は1959年の初代「フォード・ファルコン」だ。当時の米国車のモデルサイクルに従い、本国での生産期間はたった4年であった。しかし、その後もアルゼンチン法人によって1991年までつくられた。

もっと有名な例では「フィアット124」がある。イタリア本国版は1974年をもってカタログから消えている。だが、ライセンス供与を受けたソビエト連邦/ロシアのアフトヴァーズでは、ラーダブランドのもとで改良や名称変更を繰り返しながら、なんと2012年まで生き延びた。

クルマ本体以外で数奇な例としては、「トヨタ・パブリカ」に使われた水平対向2気筒エンジンがある。このユニットは初代(1961年)と2代目(1969年)に搭載されたあと、同社製マイクロバスのクーラー用パワーユニットとして1977年8月まで使われた(出典:大矢晶雄「パブリカ物語」、『SUPER CG No.23』1994年)。

筆者は、さまざまな地で、たくましく生き延びる自動車が大好きだ。同様のストーリーをリアルタイムでウオッチングできる幸せを、中国で生まれ変わったiQが実現してくれるかもしれない。

(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/編集=藤沢 勝)

2019年4月、上海モーターショーに奇点汽車が展示した「iC3コンセプト」。ベースは「トヨタiQ」のEV版である「eQ」。
2019年4月、上海モーターショーに奇点汽車が展示した「iC3コンセプト」。ベースは「トヨタiQ」のEV版である「eQ」。拡大
「ラーダ2105」は、「フィアット124」が原点。2005年、ブルガリアナンバーの付いた車両をシエナ県で撮影。
「ラーダ2105」は、「フィアット124」が原点。2005年、ブルガリアナンバーの付いた車両をシエナ県で撮影。拡大
「奇点iC3コンセプト」。「iQ」の生まれ変わりとして普及することを期待したい。
「奇点iC3コンセプト」。「iQ」の生まれ変わりとして普及することを期待したい。拡大
大矢 アキオ

大矢 アキオ

コラムニスト/イタリア文化コメンテーター。音大でヴァイオリンを専攻、大学院で芸術学を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナ在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストやデザイン誌等に執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、22年間にわたってリポーターを務めている。『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(二玄社)、『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。最新刊は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。

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