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第664回:ライバルに脅威を与えたエポックメイキングなクルマ5選

2021.11.15 エディターから一言
このクルマがなければ、あのクルマはなかったかもしれないという、後世の自動車づくりに多大な影響を与えたエポックメイキングな5モデルを紹介。
このクルマがなければ、あのクルマはなかったかもしれないという、後世の自動車づくりに多大な影響を与えたエポックメイキングな5モデルを紹介。拡大

内燃機関を搭載する自動車という乗り物が歴史上に姿を現して、135年の歳月が経過した。その間には、後世の自動車づくりに絶大な影響を与えた傑作車が数多く存在する。独創的なコンセプトやテクノロジー、あるいは商品性の高さなどが、それぞれのカテゴリーにおけるライバルブランドに脅威を与えるとともに、多くのフォロワーを生んだ5モデルを紹介する。

シトロエンDS
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「シトロエンDS」は、「トラクシオン アヴァン15CV」の後継モデルとして1955年10月のパリサロンで発表された。1955年から1975年まで20年にわたり生産され、その数はシリーズ合計で145万6115台にのぼるという。
「シトロエンDS」は、「トラクシオン アヴァン15CV」の後継モデルとして1955年10月のパリサロンで発表された。1955年から1975年まで20年にわたり生産され、その数はシリーズ合計で145万6115台にのぼるという。拡大
前衛的なエクステリアデザインだけでなく、油圧によりエアサスペンションやブレーキ、パワーステアリング、トランスミッションも制御する「ハイドロニューマチックシステム」を搭載するなど、その技術的先進性も話題になった。
前衛的なエクステリアデザインだけでなく、油圧によりエアサスペンションやブレーキ、パワーステアリング、トランスミッションも制御する「ハイドロニューマチックシステム」を搭載するなど、その技術的先進性も話題になった。拡大

自動車デザイナーがリスペクトする「DS」

現在ではステランティスのブランド名にまで昇華してしまった「DS」は、もともと1955年のパリサロンで初公開され、会場を騒然とさせた「シトロエンDS19」が開祖となった。

1954年デビューの「トラクシオン アヴァン15 SIX H」で試験的に導入され、このモデルで初めて本格適用された「ハイドロニューマチック」機構は、サスペンションやブレーキ、変速システムまで油圧でコントロールする独創的なもの。DSシリーズ以降も、今世紀初頭までシトロエンの上級モデル各種に継承されたほか、メルセデス・ベンツやロールス・ロイス、マセラティなどにも供給されることになる。

またイタリア人のチーフデザイナー、フラミニオ・ベルトーニが手がけた未来志向のエクステリアデザインは、量産セダンでありながら芸術性でも高く評価されている。

イタリアの名門カロッツェリアや欧州の自動車メーカーでチーフデザイナーに上り詰めたスタイリストたちの多くが「最も影響を受けたクルマ」としてシトロエンDSシリーズを挙げているのは、単なる偶然ではないのだ。

モーリス・ミニ
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「ミニ」は競技車両としても注目された。特にラリーでの活躍がめざましく、ラリー・モンテカルロでは1964年、1965年、1967年と3度も総合優勝を、1000湖ラリー(現ラリー・フィンランド)においては、1965年から3年連続で総合優勝に輝いている。
「ミニ」は競技車両としても注目された。特にラリーでの活躍がめざましく、ラリー・モンテカルロでは1964年、1965年、1967年と3度も総合優勝を、1000湖ラリー(現ラリー・フィンランド)においては、1965年から3年連続で総合優勝に輝いている。拡大
1959年の誕生から、41年もの長きにわたり愛され続けた「ミニ」。有終の美を飾るべく、2000年には4種類のファイナルエディションが発表された。写真はそのうちの1台となる「ミニ セブン」がロンドン市内を走行する様子。
1959年の誕生から、41年もの長きにわたり愛され続けた「ミニ」。有終の美を飾るべく、2000年には4種類のファイナルエディションが発表された。写真はそのうちの1台となる「ミニ セブン」がロンドン市内を走行する様子。拡大

世界中で愛された「ミニ」

前輪駆動システムを採用したクルマは、第2次世界大戦前からかなり多く登場していた。しかしエンジンを横置きレイアウトとした前輪駆動で、タイヤを車体の四隅に置くことによって、小さなボディーサイズでも最大限の乗員スペースを確保するという画期的なアイデアを初めて実用化したのは、英国BMCグループが1959年にモーリスとオースチン両ブランドで送り出した「ミニ マイナー」と「ミニ セブン」だった。

もともとは1956年に中東で「スエズ動乱」が起こり国際的な石油価格の高騰が危惧されたことから、BMCはそれまでのボトムレンジだった「モーリス・マイナー」や「オースチンA30」系よりもさらに小さなミニマムモデルの開発に着手。そこで同社の主任設計者であったアレック・イシゴニスが、かねて温めていた画期的なアイデアを投入。その結果として誕生したのがミニであった。

横置きFFのシステムは、現代ではA~Dセグメントに至る小型車やSUVに採用されているほか、結果として得られた素晴らしいハンドリングやパフォーマンスは、ミニをレーシングカーやラリーカーとしても、世界の頂点に至らしめた。

20世紀最後の年となる2000年まで実に41年にわたって生産され、世界中で愛されたミニは、小さいけれど偉大なモデルなのだ。

フォード・マスタング
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1964年4月17日に開幕したニューヨーク万国博覧会で発表された初代「マスタング」。オプションの組み合わせで好みの仕様がつくり出せる、従来にないユニークな販売方式を採用したことでも話題となった。
1964年4月17日に開幕したニューヨーク万国博覧会で発表された初代「マスタング」。オプションの組み合わせで好みの仕様がつくり出せる、従来にないユニークな販売方式を採用したことでも話題となった。拡大
1966年の「マスタング コンバーチブル」。初代モデルにはハードトップ、ファストバック、コンバーチブルの3つのボディータイプがラインナップされていた。フォードの撤退により日本への正規輸入は途絶えてしまったが、現在まで綿々と進化を遂げ、最新世代では「マスタング マッハE」と呼ばれるEVモデルも登場している。
1966年の「マスタング コンバーチブル」。初代モデルにはハードトップ、ファストバック、コンバーチブルの3つのボディータイプがラインナップされていた。フォードの撤退により日本への正規輸入は途絶えてしまったが、現在まで綿々と進化を遂げ、最新世代では「マスタング マッハE」と呼ばれるEVモデルも登場している。拡大

スペシャリティーカーの先駆者「マスタング」

1964年4月17日に開幕した「ニューヨーク万国博覧会」で発表されたフォードの「マスタング」は、同社の大衆車である「ファルコン」に、スポーツカーを思わせるクーペおよびコンバーチブルのボディーを組み合わせたモデル。

「フルチョイスシステム」の名のもと、オプションの組み合わせでバリエーションを構成する販売方式が採用され、エンジンもスタンダードの2.8リッター直6から4.2リッターV8までが選択できた。V8エンジンを搭載したバージョンはスポーツカー顔負けのパフォーマンスを得るいっぽうで、おしゃれな街乗りパーソナルカーに仕立てることも可能だった。

この選択肢の広さやスタイリッシュなデザインは大好評で、ベースとなるファルコンをも上回る大ヒットを獲得。同じフォードが英独で展開した「カプリ」や、フルチョイスシステムまでをそっくり持ち込んだトヨタの初代「セリカ」をはじめ、そののち全世界で「スペシャリティーカー」と呼ばれるジャンルの先駆者となった。

また『ブリッド』や『60セカンズ』『ジョン・ウィック』などの映画にも登場し、今なお時代を超えたアメリカの文化的アイコンとなっていることも、特筆すべき事実であろう。

ランボルギーニ・ミウラ
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1966年3月のジュネーブモーターショーで発表されたプロトタイプ「P400ミウラ」を経て登場した、市販モデル「ミウラP400」。バンパーとボンネット、フェンダーが一体化されたフロントフードをランボルギーニでは「Cofango(コファンゴ)」と呼び、最新の「ウラカンSTO」にも採用している。
1966年3月のジュネーブモーターショーで発表されたプロトタイプ「P400ミウラ」を経て登場した、市販モデル「ミウラP400」。バンパーとボンネット、フェンダーが一体化されたフロントフードをランボルギーニでは「Cofango(コファンゴ)」と呼び、最新の「ウラカンSTO」にも採用している。拡大
メーターが整然と並ぶ「ミウラ」のコックピット。同車の登場以降、大排気量のハイパフォーマンスモデルは、2シーターのミドシップレイアウトというスタイルが確立されたといわれている。開発に携わった設計者のジャン・パオロ・ダラーラ、テストドライバーのボブ・ウォーレス、そしてデザイナーのマルチェロ・ガンディーニは当時20代の若さでこのクルマを完成にまで導いた。
メーターが整然と並ぶ「ミウラ」のコックピット。同車の登場以降、大排気量のハイパフォーマンスモデルは、2シーターのミドシップレイアウトというスタイルが確立されたといわれている。開発に携わった設計者のジャン・パオロ・ダラーラ、テストドライバーのボブ・ウォーレス、そしてデザイナーのマルチェロ・ガンディーニは当時20代の若さでこのクルマを完成にまで導いた。拡大

「ミウラ」はスーパーカーの開祖

1965年11月のトリノモーターショーに、のちに「TP400」と呼ばれることになるベアシャシーとして初登場。翌66年春のジュネーブモーターショーに、ベルトーネ製の豪華なボディーが架装され、「ランボルギーニP400ミウラ」の名でデビューした。

もともとこのモデルは、ランボルギーニにヘッドハンティングされてきた設計者のジャン・パオロ・ダラーラ、テストドライバーのボブ・ウォーレスら若手スタッフたちの自主製作プロジェクトからスタートしたもの。

本来は上質なGTを望んでいたフェルッチオ・ランボルギーニ自身は、当初このプロジェクトに難色を示していたというが、ヌッチオ・ベルトーネとの協議の結果、ベルトーネ側の主導でショーに出品し、数台+α程度の限定生産ならば……、という条件付きで製作を許可したとされている。

ところが、ジュネーブモーターショーの会場でその雄姿を見た富裕層から、購入を希望するオーダーが殺到。やむなくシリーズ生産化に踏み切ることになったという。

かくして正式デビューに至ったP400ミウラは、4リッターV12エンジンを横置きミドシップに搭載。290km/hという最高速をはじめとする超高性能と本格的レーシングスポーツはだしのハンドリングをエキゾチックなボディーとインテリアに組み合わせるという手法は、現代に至る「スーパーカー」というカテゴリーの開祖となったのだ。

ユーノス・ロードスター
ユーノス・ロードスター拡大
1989年9月に発売された「ユーノス・ロードスター」。マツダの新しい販売チャンネル、ユーノス店の専売モデルとして誕生した。当初は最高出力120PSの1.6リッター直4エンジンを搭載していたが、マイナーチェンジで同130PSの1.8リッター直4エンジンに変更された。
1989年9月に発売された「ユーノス・ロードスター」。マツダの新しい販売チャンネル、ユーノス店の専売モデルとして誕生した。当初は最高出力120PSの1.6リッター直4エンジンを搭載していたが、マイナーチェンジで同130PSの1.8リッター直4エンジンに変更された。拡大
シンプルなT字型のインストゥルメントパネルが採用された「ユーノス・ロードスター」のコックピット。ルーフは手動開閉式のソフトトップで、SMCプラスチック製のデタッチャブルハードトップもオプション設定されていた。
シンプルなT字型のインストゥルメントパネルが採用された「ユーノス・ロードスター」のコックピット。ルーフは手動開閉式のソフトトップで、SMCプラスチック製のデタッチャブルハードトップもオプション設定されていた。拡大

「ロードスター」の登場でブームが再燃

1989年にデビューしたマツダの「ユーノス・ロードスター(輸出車名マツダMX-5ミアータ)」は、1960年代末には既に終息を迎えていた、イギリス発祥のライトウェイトスポーツカーのセオリーを、1990年代に向けて復活・洗練させることで大成功を収めたモデルである。

母国日本や、今も昔もスポーツカーの世界最大マーケットであるアメリカを筆頭に、全世界のエンスージアストを熱狂させた古くて新しいこのコンセプトは、同ジャンルの元祖たる英国の「MGF」や、ドイツの「BMW Z3」に「メルセデス・ベンツSLK」「ポルシェ・ボクスター」、そしてかつては英国と並ぶスポーツカー王国だった、イタリアの「フィアット・バルケッタ」など、欧州の名門メーカーにも数多くの追従者を生み出させることになった。

現在ではフォロワーたちが撤退したり、少しずつライトウェイトスポーツと呼べるスタイルから離れてしまったりするなかで、マツダのロードスターは今なお当初のコンセプトを守り進化を続けている。これもまた、尊敬に値する事実といえるだろう。

(文=武田公実/写真=ステランティス、BMW、フォード・モーターカンパニー、アウトモビリ・ランボルギーニ、マツダ/編集=櫻井健一)

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