第740回:トラクターも美しいのがイタリア流 ピニンファリーナの最新作を眺める
2022.01.20 マッキナ あらモーダ!高級ワインにはプレミアムな農機を
読者諸氏にも、気がつけばふと口ずさんでしまっている曲があるのではないだろうか。
筆者が家で皿洗いするときについ歌ってしまうのは、ずばり『ヤン坊マー坊の唄』である。子ども時代、テレビで『ヤン坊マー坊天気予報』のテーマ曲として流れていたあれだ。その視聴回数が、ヴェルディやプッチーニのアリアよりも明らかに多いのだから当然だろう。夕食時という時間的一致も、それを促すのかもしれない。
ついでに筆者の『ヤン坊マー坊の唄』を聞いた女房が何を歌っているのか耳を傾ければ、1970年代末に同じくヤンマーのCMで歌手の小林 旭が歌っていた『赤いトラクター』だったこともある。
というわけで、今回は農業用トラクターのお話を少々。
イタリアのデザイン開発会社、ピニンファリーナは2021年12月、電動トラクター「ストラドル・トラクター・コンセプト」の構想を発表した。
ストラドル・トラクターとは、一般的に農作物をまたいで(Stradlle)作業ができる農業用トラクターを指す。
農機具メーカーのニューホーランドとともに、フランス南部モンペリエのワイン農業見本市「シテヴィ」の開催を機会に公開した。
今回のストラドル・トラクターは、シャンパーニュやメドック、ブルゴーニュといったフランス屈指の高級ワイン生産地の狭いブドウ畑での使用に照準を合わせている。
解説によると、そうした地域のブドウの畝(うね)は幅が1.5mにも足らず、なおかつ急斜面で耕地面積も小さい。
エクステリアは自動車に範をとるとともに、フレームを露出させることでスポーティーな印象を与えている。また、進行方向に角度をつけたキャブ形状とすることで、ダイナミックな印象を強調したという。前部のデザインは、シャンパン用フルートグラスからインスピレーションを受けている。それはラップアラウンドガラスとともに、運転者にブドウの木や周囲を見渡せる良好な視認性をもたらしている。
大型ドアと回転式シートでアクセス向上を図るとともに、フロアなどにはワイン樽(だる)の木材を使用することで、高級感を醸し出している。
ニューホーランドのカルロ・ランブロ社長は、今回のピニンファリーナとの共同開発について「狭くても価値の高いブドウ畑を持つプレミアムワイン生産者が憧れる未来を見せてくれる。ニューホーランドが世界中のブドウ園で長年培ってきた優れた技術と、レジェンド的デザイン会社ピニンファリーナのインスピレーションに満ちた革新性とが融合して生まれた」と定義している。
プレミアムなプロダクトを手がけるワイナリーには、それにふさわしい志をもったデザインのトラクターを、という提案である。
ランボルギーニの成功と挫折
EU域内の農業生産額を見ると、トップ3はフランス、ドイツ、そしてイタリアである(出典:イタリアの農林水産業概況<農林水産省 2021年>)。言うまでもなく、そうした国々にとってトラクターは重要な農機だ。
前回の本欄でも記したが、ランボルギーニの創業者フェルッチョ・ランボルギーニ(1916~1993年)にとって、成功の礎はトラクター製造であった。
第2次世界大戦の戦地ギリシャから引き揚げた後、フェルッチョは連合軍の払い下げトラックを大量に購入し、トラクターに改造した。従来のフィアット製よりも安価、かつ必要十分な馬力があったそれは、大規模農家しか所有できなかったトラクターを、「メッヅァドリーア」と呼ばれる古来の農業契約における小作農家にももたらした。自身も小作農の長男だったフェルッチョならではの才覚といえよう。
1960年代に入ると、自社でも南部フランスの丘陵地にあるブドウ農家のためにクローラー(無限軌道)付き小型トラクターを開発。さらなる成功を収める。
しかし、1970年代に入ると、政府を通じて5万台の受注があった南米ボリビアの契約がクーデターを機会に破棄されたことが引き金となり、トラクター事業はもとより、スーパースポーツカーの製造部門まで手放すことになってしまった。
その後1973年からランボルギーニ・トラットーリ(ランボルギーニ・トラクターズ)のブランドは、イタリアの農機メーカー、サーメに買収され、同グループのいちブランドとなって今日に至っている。
頑張っているんですが……
冒頭のピニンファリーナだけでなく、デザイナーたちも、トラクターのあるべき姿を模索してきた。
ピオ・マンズー(1939~1969年)は、バウハウスの流れをくむウルム造形大学で若き日に学んでいる。卒業制作で彼が選んだのはトラクターだった。
トラクターは高度成長期のイタリアで爆発的に普及し、多くの農家が安全な運転法を知らないまま使い始めた。そのため傾斜地で転倒し、重傷を負ったり死に至ったりする事故が相次いでいた。
マンズーがフィアットの協力を得て提案した作品は、ロールバーを装備した画期的なトラクターであった。彼のユーザー志向のこの精神は、1971年の「フィアット127」にまでつながることになる。
ピニンファリーナと並ぶトリノのデザイン企業であるイタルデザインも、2011年から計7機のトラクターを手がけており、一部は「レッドドット・デザインアワード」を受賞している。作品の多くに共通するキーワードは、やはり「視認性」「キャビンの人間工学的配慮」といったものだ。
さらに、イタルデザインの手になる2013年の「ランボルギーニ・ニトロ」では、デザインのテーマとして「優雅さ」と「シンプルさ」を掲げているのが面白い。
そうしたさまざまな提案や試行錯誤を繰り返してきたにもかかわらず、映画や子ども向けの絵本に農家の人と一緒に登場するトラクターは、相変わらず古いフィアット製に似たものである。小林 旭は「赤いトラクター」だったが、こちらは「オレンジのトラクター」だ。
それは、ニューヨークのタクシーがいくら日本製ハイブリッド車や電気自動車の時代になっても、映画では『ティファニーで朝食を』の時代から変わらないチェッカー製が登場するのと似ている。
デザイナーとしては、何とも歯がゆいところだろう。
(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=Akio Lorenzo OYA、ピニンファリーナ、イタルデザイン/編集=藤沢 勝)
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大矢 アキオ
コラムニスト/イタリア文化コメンテーター。音大でヴァイオリンを専攻、大学院で芸術学を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナ在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストやデザイン誌等に執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、22年間にわたってリポーターを務めている。『Hotするイタリア』、『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(ともに二玄社)、『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり】(コスミック出版)など著書・訳書多数。