第243回:自動運転車は爆弾を載せて首都高を疾走する
『サーキット・スイッチャー』
2022.02.12
読んでますカー、観てますカー
『スピード』『新幹線大爆破』をアップデート
封鎖された首都高速中央環状線を、1台のクルマが走っている。自動運転アルゴリズムのスタートアップ企業「サイモン・テクノロジー社」の実験車両だ。社長で天才プログラマーの坂本善晴が仕事場として使っていたが、襲撃犯に乗っ取られた。彼は、車速が90km/hを下回るとプラスチック爆弾が爆発するように設定したと告げる。何があっても止まることはできない……。
『サーキット・スイッチャー』は、首都高を舞台にしたノンストップアクション小説である。走り続けなければ爆発するというシチュエーションには、既視感があるかもしれない。1994年の映画『スピード』である。乗客が閉じ込められた路線バスに爆弾が仕掛けられ、80km/h以下になると爆発するということになっていた。さらに元ネタをたどると、1975年の映画『新幹線大爆破』に行き着く。東京を出発した「ひかり109号」にセットされた爆弾を、終点の博多に到着する前に取り外そうと千葉真一が奮闘した。
またも似たような筋書きなのか、とガッカリしてはいけない。テクノロジーの進歩を取り入れて、現代的にアップデートされている。レベル5の完全自動運転が実現している2029年の日本が舞台なのだ。サイモン・テクノロジー社が開発したアルゴリズムにより、2025年から自動運転車が公道を走るようになっていた。タクシーや荷物配送がほとんど自動化され、多くのドライバーが失職。街には失業者があふれ、自動運転反対運動が激化している。
サイモン・テクノロジー社のアルゴリズムを使って自動運転車を生産しているのが、マツキ自動車である。日本を代表する自動車会社で社長が創業家の松木康光、ジャスト・イン・タイム方式の生産を得意としている。説明を見ると実在の自動車メーカーを連想してしまうが、もちろん架空の企業だ。グローバルなネットカンパニーのGoogumや動画サイトのMeTube、スマホOS のAndy-roid、巨大ECサイトAmuzoneも登場する。
テーマは「トロッコ問題」
自動運転車を乗っ取った男は、ムカッラフと名乗る。イスラム教で「義務と責任ある者」を意味するのだというが、見た目は普通の日本人だ。彼は坂本社長に聞きたいことがあって拘束したのだと主張し、尋問する様子をMeTubeで全世界に向けてライブ中継し始めた。爆発のトリガーは速度だけではなく、他の車両が2m以内に近づいたときにも発動される。さらに、動画配信が停止したときも爆発してしまうのだ。
爆発が起きれば、ムカッラフ自身も死んでしまうことになる。彼は命をかけて坂本社長から聞き出したいことがあるわけだ。「坂本社長が殺人犯であることを証明します」と宣言し、自動運転のアルゴリズムに潜む邪悪なロジックを暴く意図を明らかにした。彼が問題にしているのは、事故が発生しそうになったときにAIがどのような選択をするかの手順である。死亡事故が回避できないとわかったとき、犠牲者を選ぶ方法に偏りがあるのではないかと問う。
つまり、この小説のテーマは「トロッコ問題」ということになる。トロッコがそのまま進むと5人がひかれてしまうが、進路を切り替えればそちらにいるのは1人。5人を助けるために1人を犠牲にするのは許されるのかという難問だ。倫理学で議論となってきた課題で、マイケル・サンデル教授の『これからの「正義」の話をしよう』で取り上げられて広く知られるようになった。
自動車事故ではドライバーが加害者とされるのが普通だが、ドライバーが存在しなければどうなるのか。現在でもクルマの欠陥や故障が関与すれば、製造者責任が問われることもある。自動運転車では自動車メーカーが矢面に立たされることになるはずだ。以前は想定されていなかった状況なので、法整備が喫緊の課題となっている。SFのかたちをとっているが、『サーキット・スイッチャー』は極めて身近でリアルなテーマを扱っているのだ。
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「見えているようでいて見えない」
最先端テクノロジーを扱っているので、専門的な技術用語が多く使われるのは仕方がない。自動運転アルゴリズムに関する説明が何度も出てくるのに加え、ネット企業の内幕についても語られている。チンプンカンプンなところもあったが、スムーズに読み進めることができた。事件解決に向けて奮闘するのはIT音痴の中年警察官で、Googumに勤務する敏腕ソフトウエアエンジニアとバディを組む。2人の間で交わされる会話が、文系の読者にはありがたい解説となる。
著者の安野貴博は、東京大学工学部卒の元ソフトウエアエンジニア。AIを学んでいたようで、自動運転の知識も豊富なのだろう。2025年にレベル5の自動運転が実用化されているとは思えないが、思考実験のために舞台を設定したのだ。2029年には首都高速でワイヤレス給電の実証実験が始まっていて、8人乗りEVの実験車両はバッテリー切れすることなく走り続けることができる。
この小説は2021年の第9回ハヤカワSFコンテストで優秀賞を受賞している。大賞を逃したわけだが、審査員の評価は高く、全員が完成度の高さを称賛している。それなのに、構成が甘いと指摘された大賞作品の「エネルギーと可能性」を重視したというのだ。完成度が高かったせいで損をしたというのでは、作者は浮かばれない。
読めばわかるが、新人とは思えない筆力である。構成は見事だし、伏線の張り方も巧みだ。プロフィールには「M-1グランプリ(2回戦)」と書いてあったから、ネタ作りの才能もあるらしい。面白さは保証するので、自動車に関わる仕事をしている人は読むことをオススメする。次世代のモビリティーを考えるうえで、多くのヒントが得られるはずだ。
(文=鈴木真人)
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鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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