第757回:春の祭典始まる! ピニンファリーナの最新コンセプトカーを眺める
2022.05.19 マッキナ あらモーダ!水素カートリッジでチャージ!
イタリアのデザイン設計開発会社ピニンファリーナは2022年5月11日、最新SUV「NAMX(ナミックス)」のコンセプトカーをトリノ県カンビアーノの本社で公開した。
NAMXは、着脱可能な水素燃料カートリッジを装填(そうてん)できる燃料電池車(彼らの呼称はHUV)。固定型水素燃料タンクとの併用で、満充填(じゅうてん)からの最大航続距離800kmを可能とする。
「カプセル」と呼ぶカートリッジは6本が装填でき、すべてを交換しても所要時間は約2分。ステーションでの充填と比べて大幅な時間短縮が図れる。さらにカプセルを宅配することで水素供給をより容易にし、HUVの個人用途を拡大する。
NAMXは同名の企業によるアイデアだ。設立者兼CEOのファウジ・アナジャ氏は、フォルクスワーゲン フランスで自動車ビジネス入りしたあと、スイス企業を経て2015年に学生向けクラウドソーシング企業を設立。その後NAMXを2017年に設立した。経営陣にはマトラの元自動車戦略担当副社長のピエール=イヴ・ジール氏やルノーの元研究開発部門ディレクターのアラン・ディボワン氏なども名を連ねている。ちなみにアフリカ系との人材的および企業的連携も強みという。
エクステリアデザイン開発は、NAMXの共同設立者で、パリを拠点とするフリーランスデザイナー、トマ・ドゥ・リュサック氏と、ピニンファリーナのチーフクリエイティブオフィサーであるケビン・ライス氏率いるチームが協力して行われた。
ピニンファリーナにとって完全なデジタル設計による車両は、2021年7月の本欄第715回で紹介したバーチャルコンセプトカー「テオレマ」に続くものだが、デジタル設計+リアル製作は、これが初めてである。彼らによると、最初に水素カートリッジからデザイン。続いてタンクと後部の複雑なパッケージングに取り組んだという。そのため「ピニンファリーナの約90年におよぶ歴史上初の、後部からデザインした自動車である」と同社は解説する。
想定しているNAMXは2タイプで、最高出力300PS、最高速200km/h、0-100km/h加速6.5秒の後輪駆動モデルと、最高出力550PS、最高速250km/h、0-100km/h加速4.5秒のAWDモデルである。2022年秋のパリモーターショーで一般公開後、2025年第4四半期の販売開始を予定しており、価格は6万5000~9万5000ユーロ(約874万~1278万円)。すでに専用サイトで予約受け付けを開始している。
乗り越えるべき課題
NAMX最大の特徴である水素カートリッジで思い出すのは、これまで行われてきたさまざまなカートリッジやスワップの試みだ。
2011年に設立された台湾のGogoroは、すでに台湾や日本の沖縄県石垣島で電動スクーター用リチウムイオン電池カートリッジを提供している。ユーザーはバッテリー交換所で満充電のカートリッジを受け取って装填、代わりに使用済みカートリッジを返却する。
またカートリッジではないが、電池をスワップするアイデアは2005年に当時カルロス・ゴーン体制下だったルノーが、イスラエル企業のベタープレイスと立ち上げた共同プロジェクトがあった。専用仕様とした電気自動車(EV)「ルノー・フルエンスZ.E.」を専用施設に入庫させると、自動でその床下から空のバッテリーを取り出し、代わりにチャージ済みバッテリーを装填するシステムだった。この計画は、当時はEV需要が限定的であったため失敗に終わっている。しかし、近年では中国のNIO(ニオ)が同様の施設を開設しているほか、ルカ・デメオCEO体制に変わったルノーも2021年5月、あらためてバッテリースワップに取り組むことを明らかにした。
いっぽう水素カートリッジといえば、イワタニの商標で知られる日本の岩谷産業が2009年に開発した燃料電池式電動アシスト自転車がある。クーラーボックスのアイスブロックのような平たい直方体のカートリッジを装填するもので、関西国際空港で実証実験に供された。
ただし、NAMXが想定している最高出力550PSに必要なモーターを発電するのと、電動アシスト自転車とでは、必要な水素の量が異なる。実際、NAMXとともに公開された特許取得済みという水素カートリッジは1本8kg。正確な寸法は公表されていないが、1980年代初期の日本製巨大ラジカセくらいの大きさがある。
同時に、水素カートリッジの供給および空タンク回収のインフラストラクチャーおよびロジスティック体制は、バッテリーよりもさらに高度なものが必要になるだろう。
また、後部から装填するスタイルが採用されているが、ホモロゲーション取得にあたっては入念なクラッシュセーフティーが求められることは明らかだ。参考までに「トヨタ・ミライ」の2基のタンクは、いずれもホイールベース内に設置されている。そうした意味から、ソフトとハードの双方に乗り越えるべき課題があると筆者はみる。
アメリカンマッスルが示すもの
NAMXは前述のとおりトマ・ドゥ・リュサック氏と、ピニンファリーナとの共作である。外部デザイナーがイタリアのカロッツェリアと仕事をすることは、かつて頻繁に行われていたことだ。例えば、自動車としてニューヨーク近代美術館初の永久所蔵品となった「チシタリア202」(1947年)は、ジョバンニ・サヴォヌッツィとピニン・ファリーナ(当時の社名表記はPinin Farina)による仕事であった。ジョバンニ・ミケロッティはヴィニャーレやギア、そしてベルトーネと仕事をしながら傑作を生み出していった。
NAMXのエクステリアデザインに関しては「筋肉質なメインボリューム、アグレッシブなグラフィック、そしてランプまわりのレトロなタッチが融合した未来的な自動車」と説明されている。そこで本稿執筆にあたり筆者は、トマ・ドゥ・リュサック氏に書面でインタビューを試みた。彼はパリの国立高等美術学校で学んだあと自身のスタジオを20年にわたって主宰しながら、家具やスポーツ用品、化粧品などのプロダクトデザインを手がけてきた。以下はそのQ&Aである。
大矢:プレスリリースによると、あなたはサイエンスフィクションを愛するとともに、1950年代から1960年代のアメリカ車デザインに憧憬(しょうけい)の念を抱いていると記されています。しかし当時の米国車は、合理主義を標榜(ひょうぼう)する人たちからは、一般にあまり評価されてきませんでした。なぜ、その伝統的認識に逆行しようと考えたのですか?
ドゥ・リュサック氏:大変興味深い質問をありがとうございます。認識に逆行しようとしたわけではありません。長所を見いだそうとするのが私たちのビジョンです。ヨーロッパでは過去50年間、自動車業界人の間では、欧州車は優れていて、効率的で合理的だという感覚を持っていました。いっぽうで、クルマが夢と強く結びついていることを忘れてしまいした。自動車にとって本当に重要なのは、最も速いとか一番実用的であるとかではなく、ただ走っているだけで幸せになり、誇らしい気持ちになれることなのです。EVは、このような感覚を忘れがちです。そこで私たちが試みたのは、環境に優しく、なおかつ感動を与えることができる、ということです。
大矢:具体的にあなたが憧れる1950~1960年代のアメリカ車とは?
ドゥ・リュサック氏:マッスルカーが典型的な例です。「シェルビー・マスタング」「シボレー・カマロ」「ダッジ・チャレンジャー」、そしてルマンを制した「フォードGT40」が、私にインスピレーションを与えてくれました。
大矢:それをどのようなアプローチでNAMXに?
ドゥ・リュサック氏:私たちは、そうしたスポーツカーから得られるエネルギーを、新しくモダンなコンセプトで表現しようとしました。このレトロフューチャリスティックなアプローチで、自動車のヒストリーにNAMXを刻めると考えます。
議論をしようじゃないか
記者発表会でドゥ・リュサック氏は、最大航続可能距離800kmを「パリから(南仏の)サントロペまで走れます」と表現した。また、ライス氏は水素燃料カートリッジのデザインに関して「提げてシャンゼリゼ通りを歩けるデザイン」と胸を張った。
繰り返しになるが、NAMXの市販化までにはクリアすべき課題が数々あると考えられる。また、アメリカンマッスルカーをイメージしたというコンセプトが、主要ターゲットとなる、自動車史を知らない新興富裕層にどの程度新鮮なものとして捉えられるかも未知数である。しかし筆者はこうした挑戦を大いに歓迎したい。なぜなら活発な議論の対象となり得るからだ。
近代作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキーの『春の祭典』は、1913年にパリ・シャンゼリゼ劇場で初演が行われた。ところが、演奏中からその前衛性の解釈をめぐって聴衆の間で議論となり、大乱闘になってしまった。その顛末(てんまつ)は、パリの音楽博物館でも詳しく解説されている。ほぼ同時期にイタリア人美術家の間で展開された「イタリア未来派」の発展形として企画された「騒音を発生させる楽器」などを使った音楽会も大騒動となっている。新たな発表には議論がつきものであり、議論されたものほどそれぞれのジャンルで歴史に名を残している。
そこまで過激でなくても、ヨーロッパでは演奏会が不満だった場合、聴衆はブーイングを飛ばす習慣があった。筆者が1990年代中ごろ、フランクフルトのオペラハウスで、前衛的かつ挑戦的なセットと衣装の『こうもり』を見たときも、上演が終わったとたんに「ブラボー!」とブーイングを示す「ブー!」の声が入り交じっていて驚いた。日本における空疎な称賛と拍手に慣れきった身にはなんとも新鮮だった。近年はヨーロッパでも演奏会来場者の高齢化が進んだせいか、「ブー!」を聞くことが少なくなったのが残念である。
自動車では近年、大手ブランドが公開するクルマは、実現性やマーケティングの観点から、あまりにストライクゾーンを狙ったものばかりになった。それはコンセプトカーでも同じだ。おかげで、考える楽しみを与えてくれるクルマが少なくなってしまった。そうしたなか、珍しく議論できるクルマであるNAMXの誕生を歓迎するのである。
人々の自動車への関心を持続させるためにも。
(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=ピニンファリーナ、Akio Lorenzo OYA、ニオ/編集=藤沢 勝)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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