第49回:歴代モデルに一気乗り! 「シビック」の歴史は日本のカーテクの歴史だった(前編)
2022.09.06 カーテク未来招来![]() |
ホンダは今年(2022年)が「シビック」誕生から50周年となるのを機会に、「歴代CIVIC一気乗り取材会」を開催した。初代から9代目までの歴代モデルに試乗するという、自動車業界でも非常に珍しい企画だ。私生活でもシビックに縁のある筆者が思い出に浸りながら、2回にわたってシビックのメカニズムの歴史をたどる。
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思わず昔を思い出す
こんなことを言うとトシがばれるが、筆者が初代シビックと初めて出会ったのは小学生の頃だった。クルマの雑誌に当時発売されたばかりのシビックの広告が出ていたのだが、掲載された写真では正面しか見えず、「いったいこのクルマはどんなデザインなんだろう?」と思った記憶がある。その後、実家では初代シビック4ドアの「CVCC」仕様(5MT)を購入。筆者が高校を卒業して初めて運転したのもこのクルマだ。当時はクルマの良しあしなんかさっぱり分からなかったから、高速道路で100km/hも出せばエンジン音がやかましいことや、パワーがそれほどないことなども、さほど気にならなかった。
今回、試乗のために用意された初代シビックは高性能仕様「RS」だった。しかし実はこの車両、エンジンのご機嫌が悪く、試乗ができるかは直前まで分からなかった。イベントが始まってもまだ機嫌は直らず、半ばあきらめかけていたところでようやく試乗が可能に。しかしエンジンが停止してしまうのを避けるためか、アクセルを少し踏み込んだだけで回転数が急上昇するセッティングになっており、アクセルワークには気を使わなければならなかった。
走りだすと、遠慮なく伝わってくるエンジン音や路面からの振動に時代を感じる。一方でパワーアシストなしのステアリングでも造作なく操作できることや、現代の水準からすれば決して高くない出力(76PS)のエンジンでも軽々と加速させられるのは、まさに軽量なボディーの賜物(たまもの)だろう。筆者の実家にあった非力なCVCC仕様とは別物で、新車の状態でこのクルマを運転できたら、さぞ楽しかっただろう。
地味な存在だが確かに進化を遂げていた2代目
2代目シビックの試乗車として用意されていたのは、ステーションワゴンの「シビック カントリー」である。車体側面に木目をあしらったモデルで内装色もタン(淡茶)と、内外装ともに米国車風なのが特徴だ。初代から乗り換えると、その内装の質感の向上ぶりに驚く。
メカニズム的には初代シビックの改良版でそれほど目新しさはなく、しかもカントリーの場合、リアサスペンションは荷室への張り出しを抑えることを重視して、ストラット式からリーフリジッドに変更されている。それでも、試乗では乗り心地が初代より大幅に向上しているのが感じ取れた。
2代目シビックの大きな特徴は、速度計とタコメーターを同心円状に配置した「集中ターゲットメーター」や、そのメーターの周囲にラジオの選局など各種の操作スイッチを集中させた、インストゥルメントパネルのデザインだ。筆者はこのデザインが結構好きだったのだが市場では不評で、部分改良では集中ターゲットメーターは残ったものの、各操作スイッチは一般的なレイアウトに戻されてしまった。
筆者は結婚したての頃、知り合いから古いシビック カントリーを譲ってもらいしばらく乗っていたのだが、残念ながらそれは部分改良後のモデルで、特徴的だったメーター周りのスイッチ類はなくなっていた。筆者はといえばその頃もクルマの走りにはとんと無頓着だったため、広い荷室を重宝していたことばかり覚えている。
初代もそうだったが、2代目シビックも防サビ性能の水準はそれほど高くなく、筆者のシビック カントリーも車体のあちこちにサビが発生していた。もっともサビで朽ち果てる前に、このクルマは油漏れでエンジンが焼き付き、あえなく廃車となってしまったのだが。
衝撃を受けた3代目の登場
筆者にとって最も衝撃を受けたシビックが、(多くの読者もそうだろうが)1983年に登場した3代目の“ワンダーシビック”である。まだ学生だった筆者は新聞の産業欄で新車の記事が出ていないかチェックすることを日課にしていたのだが、そこには5ドアハッチバックの「シビック シャトル」の写真しか出ていなかった。だから、てっきり3代目のシビックはすべてシャトルのような背の高いデザインになると早合点したのだが、偶然、路上で見かけた車両運搬車に載せられたビュレット(弾丸)シェイプの3ドアを見て、そのスパッと切り落とされたリアビューに一瞬で魅せられてしまった。
残念ながら今回試乗車として用意された3代目シビックは、4ドアセダンの「Si」だった。排気量1.6リッターのDOHCエンジンを積んだ高性能モデルである。室内に乗り込んで感じたのは、現在のクルマと比べてベルトラインが低くて窓が大きく、室内が開放的なことだ。相変わらずステアリングにパワーアシストはないが(搭載するグレードもあった)操作に不便はなく、5段MTを操って軽快な走りが楽しめた。
ただ、このモデルで初めて採用された横置きトーションバースプリングを使うフロントサスペンションは、コンパクトでシンプルなものの、路面からの衝撃を車体に伝えやすく、乗り心地は必ずしも洗練されていなかった。
2代目の反省が3代目の飛躍につながる
今回のイベントでは、このエポックメイキングなモデルである3代目の開発責任者を務めた伊藤博之氏にインタビューする機会も設けられた。
伊藤氏は初代から6代目までシビックの開発に携わった、当時のシビックに関しては「生き字引」的な存在だ。氏によれば、2代目シビックでは必ずしもキープコンセプトを狙ったわけではなかったが、開発が進められた1973年当時は、円の為替レートが固定相場制から変動相場制に移行し、円高が急速に進んだ頃だった。このため開発費用の節約が要求され、新しい技術要素があまり盛り込めず、「同じような素材を使ったので似たようなものしかできなかった」(伊藤氏)という反省が残ったという。
その反動か、3代目は「すべてを変える」という意気込みで開発に取り組み、プラットフォームからエンジンまでを一新した。3代目シビックシリーズの1モデルだった初代「CR-X」は、樹脂製ボディーを採用するために新しい工場まで建て、「未曽有のおカネをかけた」(伊藤氏)とのことだ。しかし、その意気込みのかいもあって、3代目シビックは2代目シビックを大きく上回る販売実績を上げた。(次回に続く)
(文=鶴原吉郎<オートインサイト>/写真=鶴原吉郎<オートインサイト>、本田技研工業、荒川正幸/編集=堀田剛資)

鶴原 吉郎
オートインサイト代表/技術ジャーナリスト・編集者。自動車メーカーへの就職を目指して某私立大学工学部機械学科に入学したものの、尊敬する担当教授の「自動車メーカーなんかやめとけ」の一言であっさり方向を転換し、技術系出版社に入社。30年近く技術専門誌の記者として経験を積んで独立。現在はフリーの技術ジャーナリストとして活動している。クルマのミライに思いをはせつつも、好きなのは「フィアット126」「フィアット・パンダ(初代)」「メッサーシュミットKR200」「BMWイセッタ」「スバル360」「マツダR360クーペ」など、もっぱら古い小さなクルマ。