第774回:「ルノー・クリオ」に乗る83歳 イタリア人高齢ドライバーの日常
2022.09.15 マッキナ あらモーダ!精肉店の主だったおばちゃん
日本のカレンダーで、9月の祝日といえば「敬老の日」である。イタリアでは国民の祝日ではないものの、10月2日が「おじいちゃん・おばあちゃんの日」となっている。今回は、先日再会した高齢ドライバーのお話を少々。
「よう、元気かい?」
先日、筆者が住むシエナのスーパーマーケットで食料品の買い物をしていたら、いきなり元気のいい声をかけられた。エルシーリアおばちゃんであった。
おばちゃんはもともと精肉店、すなわちお肉屋さんの主(あるじ)で、店は以前筆者が住んでいた家の前にあった。男性店員2人を雇っていたうえ、電力公社を定年退職した夫も手伝っていた。女手ひとつで男性たちをてきぱきと仕切るその姿は、往年の歌謡バンドであるピンキーとキラーズのリードボーカル、今 陽子をほうふつとさせた。
まったく飾らない庶民的な店構えであったが、売っている肉を買ってきて焼き、これまたおばちゃん特製のハーブ塩をかけると、スーパーマーケットのものとは比較にならないくらい芳醇(ほうじゅん)な香りと深い味わいがあった。
そのエルシーリアおばちゃん、10年ほど前に店員のひとりに店を譲渡し、今はリタイア生活をしているという。「私、何歳になったと思う?」と聞くので、どう答えるのが礼儀かなどと考えていると、先に「83歳よ、ワハハ」と教えてくれた。ちなみに「Ersilia」という名前はローマ神話の登場人物に由来する。だが、今や若い人の間ではあまり聞かない。日本ほどではないが、イタリアでも命名にトレンドがある。
先にレジで精算を終えた筆者は、カートを押して駐車場へと向かった。ところが、エルシーリアおばちゃんの初代「フィアット・パンダ」が見当たらない。
「一生パンダ宣言」撤回の背景
かつてエルシーリアおばちゃんは、ワインレッドの初代パンダを、店から約10km離れた郊外の家との通勤に使っていた。それが傷んでくると、別の初代パンダに乗り換えた。7年落ちの2001年登録だった。徹底的に使われるイタリアのパンダにしては走行距離が3万kmと少ないので聞けば、あるお年寄りが近所乗りだけに使っているうちに、訳あって手放したものだった。
しかしながら、当時パンダはすでに2代目(2003~2012年)に移行していた。なぜ初代をもう一回購入したのかを聞くと、エルシーリアおばちゃんは「私のクルマの使い方には、これで十分なのよ」と説明する。そして宣言した。「だから壊れても、まだ同じ(初代)パンダを買うよ」
そのようなことを思い出していると、会計を終えたおばちゃんが店内から出てきた。どのクルマに向かうのかを目で追ってゆくと、シルバーの2代目「ルノー・クリオ」であった。ナンバープレートからして初回登録は2006年である。車齢16年だ。
あれほど力強く宣言していた「パンダ道」を捨てた理由は? 買い物袋を後席に詰め込んでいるエルシーリアおばちゃんに声をかけると、本人はこう教えてくれた。
「息子の嫁、つまり義理の娘が、このルノーを手放すと言ったんだ。そこで、私がそれを引き取って、代わりに私が乗ってたパンダをロッタマツィオーネに出すことにしたんだよ」
「Rottamazione」とは、イタリア政府がたびたび実施してきた新車買い換え奨励金政策を意味する。毎回詳細が変わるので一概には言えないが、欧州排出ガス基準「ユーロ」を基準にしており、古い車両を下取りに出すほど補助金の額が好条件になる場合が多い。
クリオの調子は?
「エンジンが突然ストールする症状が頻発したので、点検してもらったら、『それはこのモデルの“持病”なんだ』と言って、一発で直してくれた。以来、再発しないよ」
今回再会したスーパーの近くにルノー販売店があるので、そこか? と問えば、「ちがうちがう。顔なじみで腕利きのメッカニコ(修理工)がいるんだよ」と教えてくれた。
リアバンパーに補修の跡がある。かなり荒っぽい、野戦病院的な直し方だ。「あ、これ。若い女性ドライバーにぶつけられてしまったときに壊れたんだ。お互いケガがなくてよかった」と、エルシーリアおばちゃんは、まずいきさつを話した。補修は「器用な知り合いに頼んだら、ちょちょいとやってくれたんだよ」と言う。
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高齢者が運転する背景
聞けばエルシーリアおばちゃんを手伝っていた夫は、すでに他界したという。そして自身は、もう郊外の家に住んでいなかった。そこは息子に譲り、自身はかつて店があった歴史的旧市街に引っ越していた。家自体は小さくなってしまったようだが、かつてのお客をはじめ、多くの人が徒歩圏にいる街なかのほうが、老後の毎日が楽しいに違いない。
クリオはといえば、息子に会いに行ったり、その帰りに旧市街のスーパーよりも安い郊外のディスカウントストアで買い物をしたりするのに、ほぼ使っているという。
実はエルシーリアおばちゃん、少し前には80歳を機に運転を卒業することも考えたという。「幸い、まだ免許が更新できたから、乗ってるんだよ」と教えてくれた。
この国の現行制度で普通免許の更新は、50歳未満が10年ごと、50歳以上が5年ごと、70歳以上が3年ごとである。加えて、80歳以上は2年ごとと定められている。どの世代枠にも医師による簡単な健康診断が義務づけられている。
やや古いデータだが、イタリアでは2018年、交通事故死者のうち65歳以上の高齢者が占める割合は、全体の32%に達している(出典:デクラ・イタリア)。高齢者による、いわゆる逆走事故のニュースも、よく耳にするようになった。免許返納への取り組みもほとんど進んでいない。そればかりか、上述の免許更新に必要な健康診断に関しては、逆行ともいえる流れがみられる。かつては80歳以上の場合、指定医療機関に出向く必要があったところ、2012年からは行政手続き簡略化の名のもと、他世代と同じく、更新窓口での簡単な健診で済むようになったのだ。
ろもあれ、なぜイタリアの高齢者は運転を続けるのか? 背景には、マイカーに代わる選択肢が少ない、イタリアの公共交通機関事情がある。まだまだお年寄り自身が運転しなければならない環境なのである。それは、シエナのような県都でも、わずかに郊外に出るだけで極端に不便になることからも分かる。筆者が住む一帯からでも数百m離れただけで、平日の路線バスは朝夕に2本になってしまう。
おばちゃんの息子が住む一帯には、「ブクシー(Buxi。BusとTaxiを合わせた造語)」という、デマンドバスに似たサービスも導入されている。ただし、これも利用前日の18時までに予約が必要だったり、日曜・祝日は運休であったりと、決して満足のゆくものではない。
実は筆者が住むトスカーナ州のバス路線網は2021年、フランス・パリで地下鉄・バス網を運営していることで知られるRATP社の傘下となった。外資となることで財務の健全化が図られるなか、サービスは縮小されることはあっても改善されることはないというのが、州内市民の見方である。
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いきなりピットクルー
いっぽうで今回のエルシーリアおばちゃんの話から分かるように、古いクルマを融通し合い、費用をかけず、まめに直しながら乗れる横町ネットワークが存在するところが、収入が限られたお年寄りにはなんとも頼もしい。メーカー指定の定期点検も、修理工場によってはやみくもに引き受けない。実際、筆者も先日、自分のクルマを持ち込んだときのこと。メカニックは前回点検からの走行距離を確認した。新型コロナウイルスによる行動制限の影響もあり、4000kmしか走っていなかった。「オイルもきれいだし、今回は無駄な金額をかけてやる必要はない。また年初あたりに来な」と言い渡された。断っておくが、メーカーの認定工場である。
さて、買い物袋をクリオに載せ終わったエルシーリアおばちゃんは、スーパーマーケットに隣接したガソリンスタンドに行くという。シエナ市内でも指折りに安い、非メジャー系のスタンドである。
筆者は給油シーンを撮影すべく、おばちゃんが運転するクリオのあとを、徒歩でついていった。見ると、スタッフが燃料を入れてくれる「サービス付き」は給油機の左に、安いセルフ給油は右側に並ぶようになっている。
おばちゃんは筆者に50ユーロ(約7000円)紙幣を渡した。給油機のタッチパネル操作を任せたのだ。参考までにイタリアでは2022年9月に入ってから、従来とは異なりガソリン価格がディーゼルのそれよりも安いという逆転現象が続いている。おばちゃんのクリオはガソリン仕様。いわば追い風だ。
おっと、クリオの給油口は右側にある。車両後部にホースを横断させなければノズルを差し込めない。さらに停車位置が悪かったようで届かない。おばちゃんは、クリオの駐車ブレーキを解除して手で押し始めたので、筆者も手伝った。
イタリアの給油機のホースリールは、引き出すのにかなりの力を要する。そこで筆者が引っ張り出し、ノズルを持って構えるおばちゃんに送ってあげた。
いつか筆者も、こうしてイタリアの若者に手伝ってもらうのか。はたまた自分で電気自動車の充電ケーブルをつなぐだけで事足りるのか。そのような思いを巡らせながら、おばちゃんのピットクルー役を務めていたのだった。
(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=Akio Lorenzo OYA/編集=藤沢 勝)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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