デザイナーとは“クルマの両輪” 日産自動車の草分け的モデラーに話を聞いた
2022.10.19 デイリーコラムアイデアとイメージを立体化
型式名C30こと初代「日産ローレル」のワンメイククラブである「ローレルC30クラブ」。ローレルが誕生50周年を迎えた2018年に生まれ故郷である日産村山工場跡地にある日産ディーラー、日産東京 新車のひろば 村山店で里帰りイベントを実施して以来、小規模ながらテーマ性をもったイベントを数度にわたって開催している。
2021年4月には初代ローレルのエクステリアデザインを担当した元日産のデザイナーで、現在は北海道旭川市に本拠を置くデザイン事務所「北のデザイン研究所」主宰にして東海大学名誉教授である澁谷邦男さんをゲストとして招き、「初代ローレル㊥デザイントーク」と題されたトークショーを実施。初代ローレルのデザインプロセスについて語っていただいた。
「ローレルC30を語る会 2022」をうたった今回は、その続編となる「初代ローレル㊥デザイントークII」。澁谷さんを聞き手に、語り手には1960年代に澁谷さんと共に初代ローレルの造形を担当した元日産のモデラーである太田幸夫さんを招聘(しょうへい)した。テーマはズバリ「日産造形モデラーのパイオニア 太田幸夫さんの仕事」。クルマのデザイン開発において、デザイナーと連携してそのアイデアやイメージを立体化するモデラーは、高度な技術とセンスが要求される職種。いくらデザイナーがいい絵を描いても、それを巧みに立体化してくれるモデラーが存在しなければ、優れた自動車デザインは生まれない。その意味で、デザイナーとモデラーはどちらも欠かせないカップリングなのである。
1942年生まれで満80歳という太田さんは、1959年に日産に入社。以来、一貫してデザイン部門に勤めた後、1991年にデザイン専門学校であるアーバンデザインカレッジに講師として出向。5年の教職生活を経て、1995年に足掛け37年にわたって勤め上げた日産を早期定年退職。翌1996年に家電メーカーなどの試作品を製作するモデリングのトップメーカーである日南(にちなん)に招かれて同社の自動車部門を立ち上げ、2006年には代表取締役に就任。2010年に同社を退社した後も、自動車メーカーのモデラーOBが集う組織の一員として、学生の指導などを通じてモデリングに携わっているという方である。
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すごいところに来ちゃったな
太田さんは、日産への入社の経緯をこう語る。
「生まれは神奈川県の茅ヶ崎ですが、3歳のときに父が戦死し、母子家庭で育ちました。中学卒業後は商業高校への進学を希望していたのですが、日産の工手学校(こうしゅがっこう)に行けば卒業後はそのまま日産に入れるという話を聞いて、家庭の事情からこちらを選んだのです」
日産自動車工手学校とは、現在の日産自動車大学校の前身となる自動車専門学校。1953年に設立され、太田さんの在学時は鶴見の日産工場内にあり、週に2日の工場内での職場実習を含め、スパルタ式の厳しい指導を受けたという。同期の卒業生は日産のさまざまな部門に進んだが、100人余のなかから太田さんはただ一人設計部造型課に配属された。振り返れば、この時点で太田さんのその後の運命が決まったと言っても過言ではないが、それは初代「ブルーバード」(310)発売4カ月前の1959年4月、太田さん17歳の春だった。
第一印象は「すごいところに来ちゃったな」だったという、当時の日産の造型課。「ダットサン・セダン」(110/210)や初代ブルーバード、「セドリック」などを手がけた、日産そして日本のカーデザイナーの草分け的存在にしてレジェンドとして知られる佐藤章蔵氏が課長で、総勢11人だった。
「佐藤さんの名は当時から業界に知れわたっていましたが、非凡な才能の持ち主らしく個性の強い方でもあり、私のような若造には近寄りがたいオーラを放っていました」
先任のモデラーは、5歳年長の工手学校の先輩がたった一人。つまり「日産造形モデラーのパイオニア」というお題のとおり、日産の歴史で2人目のモデラーが太田さんだったのである。そんな造型課に配属され、佐藤課長以下優秀な顔ぶれがそろっていた先輩方から指導を受け、実務に没頭しているうちに、「頑張れば自分もカーデザインの世界でやっていけるかな?」と思い始めたという太田さん。初期に手がけた仕事で記憶に残っているのは、1961年の東京モーターショーでデビューした「フェアレディ1500」(SP310)のクレイモデルだった。
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スペースがなければ人もいない
モデラーの仕事は、大別すると2つあったという。1つはデザイナーのイメージをクレイ(粘土)で立体化したクレイモデルの製作で、もう1つはそれをベースに線図(100mmピッチの方眼紙に描かれた三面図)を作成すること。そして太田さんが在籍中、日産のデザイン部門には大きな変革が2つあったと語る。1つは1960年代前半にクレイモデルが、大きくても4分の1までの縮尺モデルから1分の1(原寸大)になったことであり、もう1つは1980年代初頭のCAD(Computer-Aided Design)、すなわちデザインへのコンピューターの本格導入である。
プラモデルやミニカーなどのモデルカーでは、実車を正確に縮小したからといってリアルに見えるとは限らない。絶対的な大きさの違いから眺める視線の高さや角度などが異なれば印象も変わってくるからだが、逆もまたしかり。そんなこともあって、太田さんが入社して数年後には、クレイモデルもそれまでの4分の1からフルサイズすなわち1分の1への転換が始まった。
「これが大変でした。まず1分の1のモデルがつくれるスペースがない。モデルを置く定盤(じょうばん。基準となる水平の面を持つ台)をはじめ工具や計測器具もない。最初は試作課の片隅を間借りしてなんとかスペースを確保し、道具や工具は設計して発注。しかし、一番困ったのは人員です。4分の1ならモデラーひとりでつくれますが、1分の1なら一台につき4人は必要。ところが全員で3、4人しかいなかったのですから(笑)」
そのころには車種も増えて開発ペースが上がり、会社もモデラーの重要性を認識するようになっていたので、ある年にはまとめて10人を採用するなどして拡充。それはそれで助かったのだが、そうなると太田さんは実務に加え、若くして後輩の指導・育成も行わなくてはならなくなった。1964年には当時のデザイン部署である第一造形課内にモデルショップと称するモデラー部門がつくられたが、残されている翌1965年の同課の組織図を見ると、全部で9つある実務部門の1つであるモデルショップのチーフとして、入社7年目で弱冠23歳の太田さんの名が記されている。
大卒ならば入社1年目か2年目、右も左も分からないペーペーの年齢で、7年のキャリアがあるとはいうものの、町工場ならさておき日産という日本有数の大企業で、そんな責任あるポジションを任されていたわけだ。もちろん太田さんの能力と人間性があってのことだが、高度経済成長期にあって、いかに自動車メーカー、そしてデザイン部門が急成長したかを物語る証左でもある。そうこうするうちに、1966年にはモデラーは30人を数えるようになったそうだ。
厳しかった“ギョエツ”の思い出
場所と道具、人員はそろっても、仕事をする環境は快適にはほど遠かった。
「クレイモデルをつくる部屋は、夏はメチャメチャ暑いんですが、エアコンなんて当然ありません。毎朝、氷屋で買った大きな氷柱を3、4個立てて扇風機であおるのがせいぜいでしたね。冬は冬で寒くて、朝出勤するとバンパーがポロッと取れているなんてことがよくありました。気温が低すぎて、クレイがカチカチに固まっちゃうんですよ」
クレイ自体も最初は輸入したアメリカ製を使っていたが、品質にムラがあるために国内製造に切り替え、成分の配合など改良を重ねて日産のデザイン環境に適したオリジナルのクレイが生まれたという。
太田さんによると、1分の1のクレイモデル製作は、当初はフェイスリフトするテールのみといったように部分的に導入された。そして車両全体を1分の1でつくったのは、初代「シルビア」(CSP311)が最初。「ダットサン・クーペ1500」の名で1964年の東京モーターショーでプロトタイプがデビューしたが、太田さんの残した資料にはクレイモデル製作は1963年となっている。
初代シルビアは「BMW 507」などを手がけたドイツ系米人デザイナーのアルブレヒト・フォン・ゲルツ氏がデザインコンサルタントを務めたことで知られるが、彼の仕事に対する厳しさは太田さんの記憶に残っているという。
「ギョエツ(日産社内ではゲルツ氏をこう呼んでいた)さんが時折来日して、クレイモデルの進行状況をチェックしてダメ出しをするんですが、修正を指示された量が半端じゃなかった。それも“明日までに”という時間限定なんです。徹夜で作業した覚えがありますね」
それに続いた1分の1クレイモデルが、量産車である初代「サニー」と初代ローレルだった。太田資料によれば、いずれも時期は1964年となっているが、この時点でのローレルは最終的に選ばれた澁谷さんのデザインではなく、その前に先行していたデザイン案とのこと。ちなみに澁谷案のモデルは翌1965年4月に完成と、当人である澁谷さんが記録に残している。
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1960年代ならではのダイナミズム
昨年の澁谷さんのトークショーを紹介したコラムにも記したが、彼は1970年に日産を退社して独立したため、初代ローレルは結果的に澁谷さんと太田さんの最初で最後のコラボレーション作となった。澁谷さんは語る。
「太田さんの第一印象は、仕事でモノを見るときの鋭い目。私のほうが年上だけど、実務では先輩の太田さんはすでに多くの後輩を指導・監督する立場にあったので、初代ローレルは彼がフルに実務を手がけた最後のほうの作品じゃないかと思う。クレイモデル、線図ともに素晴らしい仕事をしてくれました」
いっぽうの太田さんは、澁谷さんをこう評している。
「澁谷さんのデザインは、直線的な線や面に心地よい流れがありました。そして決断が速く、モデラーへの指示も分かりやすく的確でしたね」
こうしてお互いに能力を認め合ったデザイナーとモデラーのコラボから生まれた初代ローレルのスタイリング。前述したようにクレイモデルの完成は1965年4月だが、このとき澁谷さんは入社3年目を迎えたばかりの25歳、太田さんは7年目の23歳。繰り返すが、今日の自動車産業ではとても考えられない若さであり、彼らの活躍を許した時代のダイナミズムが伝わってくる話である。
付け加えると、日産のデザインにおいて、初代ローレルから新たに用いられた技法がもうひとつあるそうだ。それが何かというと、FRPによるプロトタイプの製作。ローレル以前は線図に基づいて試作課の腕利き職人が木型を作成し、トンテンカンと板金でたたき出して原寸大のボディーを試作していた。それに対して、ローレルではフルサイズのクレイモデルを原型に石こうで雌型をつくり、それにガラスマットと樹脂を積層してFRP製ボディーをつくるという手法が試みられたのだが、これも太田さんが推したのだという。
「会社に直訴してアメリカから元GM(ゼネラルモータース)のモデラーを招聘し、2カ月かけて指導してもらったんですよ」
プリンスが「スカイラインスポーツ」を、いすゞが「117クーペ」を生産化する際にイタリアから板金職人を招いて指導を仰いだという話は知られるところだが、モデラーの招聘話を耳にしたのは、筆者は初めてだった。
さてさて、当日伺った興味深い話はまだまだあるのだが、取りあえず今回は初代ローレルのデザイン開発を中心とする1960年代のエピソードを紹介ということで、これにて終了とさせていただく。ちなみに当日は、澁谷さんや太田さんの同輩、後輩のデザイナーやモデラーから1960年代の日産の広告担当者まで、これまた面白い話を伺えそうな方々が何人も来場していた。おかげで次回以降もゲストを迎えてのトークイベントは続く……に違いないと思う。
(文=沼田 亨/写真=沼田 亨、日産自動車/編集=藤沢 勝)
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沼田 亨
1958年、東京生まれ。大学卒業後勤め人になるも10年ほどで辞め、食いっぱぐれていたときに知人の紹介で自動車専門誌に寄稿するようになり、以後ライターを名乗って業界の片隅に寄生。ただし新車関係の仕事はほとんどなく、もっぱら旧車イベントのリポートなどを担当。
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