「クラウン」「プリウス」にレクサスも トヨタの最新デザインが支持されるのはなぜか?
2023.02.22 デイリーコラム革命前夜の2015年
ひと昔前は、トヨタ車をデザインで語る人は少なかった。そもそもクルマ好きの間には「トヨタ車は80点主義」という固定観念があり、デザインに関しても、一部の伝説的なモデルを除いて、無難でつまらないデザインばかりと否定するマニアが多かった。10年ほど前、トヨタデザインが大胆な変革に踏み出しても、「トヨタはとち狂ったか」と、ネガティブに評価された。
その代表的なモデルが、現行「アルファード」と先代「プリウス」だ。ともに2015年の発売だが、アルファード登場時のクルマ好きからの罵詈(ばり)雑言はすさまじかったし、先代プリウスはさらにひどかった。
私はどちらのデザインからも、トヨタデザインに革命が起きつつあるのを感じた。特にアルファードのフロントグリル(個人的には“進撃の巨人顔”と呼んでいる)は、既成概念を木っ端みじんにぶち壊してくれた。古典的なクルマ好きとしては受け入れ難い――つまり欲しくはないけれど、ここまでやられたら「すごい迫力です!」「負けました!」と言うしかなかったのである。
ビッグバンが起きている
近年のトヨタデザインに共通する要素は「驚き」だ。故・岡本太郎氏は、芸術を「なんだこれは! こんなものは見たことがない!」と感じるものだと語ったが、今のトヨタデザインには、大抵その要素がある。
分かりやすいグラフィックで言えば、前述のアルファードの進撃の巨人顔や、先代プリウスの歌舞伎顔をはじめ、先々代「クラウン」の稲妻グリル、レクサスのスピンドルグリル、「カローラ」等のキーンルック、「C-HR」の『攻殻機動隊』テイスト、「ヤリス」の毒虫顔、「ランドクルーザー」の頰ひげ、「ヴォクシー」の超獣顔、新型クラウン4モデルの明治維新、そして新型プリウスのスーパーカールックと、枚挙にいとまがない。
2015年ごろには、デザインの質にまだばらつきがあった。アルファードの進撃の巨人顔はインパクトもキャラクター性も最大レベルで、時を経るごとにヒットの度合いを高め、アジアの富裕層をも席巻したが、先代プリウスはデザインの練度が足りず、全世界で不評のままだった。
しかし近年、トヨタのデザイン革命は熟練の域に達し、多くのモデルが、強いインパクトと癖になるキャラクター性を持っている。トヨタデザインには統一性はなく、モデルごとにバラバラだが、デザインの層が厚く多様性に富んでいる。長年眠っていたエネルギーが、ビッグバンを起こしたかのようだ。
走りにも驚きがある
外野が想像するに、トヨタデザインに革命をもたらしたのは、豊田章男社長(4月から会長)の「もっと大胆に!」「もっともっといいクルマを!」という掛け声だったのではないだろうか。つまり、トップへのポジティブな忖度(そんたく)である。
章男社長に評価されるためには、今までのトヨタデザインになかった驚きがなければならない。トヨタ全社が章男氏に忖度した結果、革命が起きた(たぶん)。ただビックリさせるだけではダメで、質感が伴わなくてはならないが、デザイナーたちが革命の質を競って磨き上げた結果、今日のトヨタデザイン群が形成されていった。カンブリア紀の生命大爆発に近いとでも申しましょうか。
近年のトヨタ車は、デザインだけでなく走りに関しても、おしなべて驚きがある。もちろんいい意味での驚きだ。すべてではないが、トヨタ車には大抵新しいドラマがある。予測不能のどんでん返しがあるから、見る側はやめられない。
かつてクルマ好きの間には「どうせトヨタだろ」という決まり文句があったが、今やそんなことを言う者はいない。聞こえてくるのは「さすがトヨタ!」という声ばかりだ。自動車界における最も強固な保守層であるクルマ好きたちも、トヨタデザインに降伏し、口をつぐんだ。今や敵はいないように見える。
ただ、こういった前向きな変革が永続した例はない。噴出によってマグマだまりの圧力が下がるように、いつかトヨタデザインも停滞する時が来るだろう。その時は、ブランドを統一するある種の”型”が必要になるのかもしれない。
(文=清水草一/写真=トヨタ自動車/編集=藤沢 勝)

清水 草一
お笑いフェラーリ文学である『そのフェラーリください!』(三推社/講談社)、『フェラーリを買ふということ』(ネコ・パブリッシング)などにとどまらず、日本でただ一人の高速道路ジャーナリストとして『首都高はなぜ渋滞するのか!?』(三推社/講談社)、『高速道路の謎』(扶桑社新書)といった著書も持つ。慶大卒後、編集者を経てフリーライター。最大の趣味は自動車の購入で、現在まで通算47台、うち11台がフェラーリ。本人いわく「『タモリ倶楽部』に首都高研究家として呼ばれたのが人生の金字塔」とのこと。