第259回:ルノー・エスパスでパリをめぐる“美しい旅路”
『パリタクシー』
2023.04.06
読んでますカー、観てますカー
ノーマルなタクシーと普通の運転手
フランスでタクシーの映画といえば、誰もが想起するのがリュック・ベッソンの『TAXi』シリーズだろう。改造した「プジョー406」はボタンひとつでフロントとリアに羽が生え、ニトロを噴射してかっ飛んでいく。タクシー運転手は驚異的なドライビングテクニックで悪者どもを蹴散らすのだ。
パリのタクシーでは「マルヌのタクシー」が有名だ。1914年にドイツ軍がパリに迫った時、「ルノー・タイプAG1」のタクシー600台が夜間に6000人の兵士を前線まで運び、ドイツ軍を押し返すことに成功した。パリ占領の危機を救った快挙として今も語り継がれている。
『パリタクシー』は、そのどちらとも関係ない。カーチェイスシーンは登場しないし、敵を倒すミッションもない。タクシーは黒い「ルノー・エスパス」。エンジンチューンが施されている様子はなく、ノーマルモデルである。もちろん、ウイングなど付いていない。普通の運転手がおばあちゃんを乗せて走るだけだ。だからといって、退屈な映画だと決めつけるのは早計である。タクシーがパリをめぐるなかで、ドラマティックな人生が浮かび上がってくる。
運転手のシャルルは浮かない顔をしている。どうやら金の問題を抱えていて、不仲の兄に借金をしなければならない状況に追い込まれているようだ。連日の勤務で疲労の色が濃い。景気が悪く、乗客の銀行員は電話で「4分の1は解雇しろ」と指示している。
今の仕事に満足していないが、就職先など見つかりそうにない。それどころか、シャルルは運転手の職さえ失いそうなのだ。交通違反で2点減点されれば免停になってしまう。この日も警官のいる場所で信号無視し、あやうく捕まるところだった。
お気楽観光ドライブ映画から一転……
無線で仕事の指示が入る。ブリ=シュル=マルヌに客を迎えに行けという。パリ南東部の高級住宅街だ。待っていたのは高齢女性のマドレーヌ。目的地はクルブヴォワである。パリ北東部だから、ちょうど逆側ということになる。いい稼ぎになりそうだ。
シャルルは金のことで頭がいっぱいだが、彼女は話し好きのようだ。「階段から落ちて骨折した」「医者から1人暮らしは危険だから施設に入れと言われた」と語る。「私、いくつに見える?」と聞いてきた。面倒くさいタイプだ。仕方なく「80歳ぐらいかな」と適当に答えると、92歳だという。
シャルルは早く仕事を終わらせたいが、彼女はヴァンセンヌに寄ってくれと言う。生まれ育った街なのだそうだ。思い出深い場所なのはわかるが、そこでアメリカ軍人のマットとファーストキスをしたと話しだすから少々迷惑である。1944年9月、16歳だった。彼はパリ解放で進駐してきた連合軍の兵士なのだ。
窓から見えるのは、パリの美しい街並みである。エッフェル塔やら凱旋(がいせん)門やらの名所が次々に現れる。陽気なおばあちゃんが昔の恋バナを披露しながらパリを案内するお気楽な観光ドライブ映画のようだが、次に立ち寄った場所には彼女の悲しい記憶が刻まれていた。壁に設置されているプレートには<ナチスによる銃殺の地 犠牲者ルシアン・クレール>という文字。彼女の父は、アメリカ軍がやってくる数日前に殺されていたのだという。
それでもマドレーヌにとってはマットと出会ったことが美しい思い出になっている。3カ月後に彼はアメリカに戻り、妻子がいたことが発覚するというありがちな展開なのだが、彼女は授かった息子をひとりで育てることに生きがいを見いだした。新しい恋人ができて希望に満ちた人生が始まりそうに思えるけれど、過酷な運命が襲いかかる。
回り道で7時間遅れ
タクシーはパリの中心部に進み、パレ・ド・ジュスティスが見えてきた。裁判所である。かつての牢獄コンシェルジュリーもすぐ近くだ。マドレーヌはなぜか物思い顔。苦い思い出がにじむ。驚いたことに、映画は裁判劇の様相を呈するのだ。観光ドライブ映画どころではない。最初は無愛想だったシャルルは、マドレーヌの話を聞くうちに深い共感を覚えるようになっていく。逆境に立ち向かい、苦難を乗り越えていった強い意志と行動力に感銘を受けた。
長い話をしているから、なかなか目的地に着かない。お茶を楽しんだりしているから、なおさら時間がかかる。午後3時に到着するはずだったのに、すでに7時半。しかもディナーにまで行ったから、施設に送り届けた時は10時近くなっていただろう。
Googleマップで調べると、ブリ=シュル=マルヌからクルブヴォワまでは約30km。クルマでの移動時間は35分である。渋滞がひどかったとしても、1時間あれば着くはずだ。シャルルは毎年12万km、地球を3周分走っているプロドライバーなのだから、道を間違えることはない。いくらなんでも回り道がすぎる。
もちろん、そこにリアリティーを求めるのは間違っている。原題のとおり、“美しい旅路”の話なのだ。結末の展開も、多くの観客が途中で気づくだろう。それでいい。みんな、いい話が好きである。クリスチャン・カリオン監督は、『戦場のアリア』で数々の賞に輝いた。1914年のクリスマス休戦を描いた感動作である。悲しい出来事を描いても、必ず最後に希望を漂わせる。根っからのヒューマニストであり、巧みな語り口を持つ職人監督でもあるのだ。
シャルルを演じるのはフランスの国民的コメディアンとして知られるダニー・ブーン。マドレーヌ役のリーヌ・ルノーは、歌手としても女優としても大御所だ。ルノーといってもつづりはRenaultではなくRenaudだから、残念ながらルイ・ルノーの親戚ではないようだ。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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