第757回:マクラーレンは何を目指すのか? 60周年の節目にトップに聞く
2023.08.04 エディターから一言![]() |
屈指のレーシングチームであり、一流のスーパーカーブランドとしても知られるマクラーレン。創立60周年を迎えたいま、何を目標に掲げ、どんな製品を世に送り出そうとしているのか? 今後のビジョンをキーマンに聞いた。
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英国的な街の中で
今年はマクラーレンF1チーム設立60年のメモリアルイヤー。これを記念してマクラーレン・オートモーティブとはなじみの深い「グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード」と組み合わせて、同社訪問の機会を得た。
ブルース・マクラーレンが自身のレーシングチームを設立したのは1963年。この日から47年後に興されたのが同社で、同社誕生から現在まで13年の歳月が流れた。この60年を1本の線とすれば、線の先はどこに向かうのか? こんな思いで足を運んだ。
マクラーレン・オートモーティブが本拠地を置くのは、ヒースロー空港からクルマで30分ほどのサリー州ウォーキングという街。まばゆいばかりの緑が広がる、たいへん英国的な場所だ。近所にはゴードン・マレー氏のオフィスもあるらしい。
本社の構成要素は2つ。マクラーレン・テクノロジー・センター(MTC)とマクラーレン・プロダクト・センター(MPC)。この2つは地下トンネルでつながっている。トンネルというよりモダンな渡り廊下。モダンは周辺環境に配慮して低層でたてられた建物全体に当てはまる。敷地全体は150のサッカーグラウンドが収まる広さという。
今回は見学できなかったが、ロードカー用のカーボンファイバー製モノコック/シャシーがつくられるのはヨークシャーにあるマクラーレン・コンポジット・テクノロジー・センター(MCTC)。以前はオーストリアで製造されていたが、もともとカーボンの研究施設だったここに2019年、新たに工場が建設された。これにより1台のモデルに用いられるパーツの58%がメイドインUKになったという。
エンジンについては開発はMTC、製造は外部、リカルド社が行う。創業1915年の老舗である。去る5月、両社による今後、複数年のパートナーシップ締結が発表されたが、このアナウンスのなかで印象的だったのは「ドメスティック(企業のコラボ)」という言葉。英国EU離脱後、耳にすることの多くなった一語だ。
人員の構成にもこだわり
MTCで開発/設計、MCTCとリカルドはじめサプライヤーから送られたパーツをMPCでアセンブリーして1台のモデルが完成する。MPCは2シフト稼働、日産14台ほどの規模ながら、ここにいわゆる自動車工場の雰囲気はない。清潔で整然としている。何より静かだ。つくり手の基本は「人間」、そのせいだろうか。
アセンブリープロセスで使用されるロボットは1台だけ。加えて塗装も手作業という。これにはびっくりした。現在はカスタムストライプのような繊細なものを除けば機械で行うのが一般的だ。これは、機械のレベルが高まっていることによるもの。にもかかわらず手作業にこだわるのは、それほどの腕を持った塗装のプロがいるから。これは間違いなさそうだ。
工場から世に送り出される車両は、2023年現在、GT/スーパーカー/アルティメイト/カスタマーレースカーズの4つのカテゴリーに分けられている。量産モデルで主力となるのはマクラーレン史上最も軽量、最もパワフルとうたわれる「750S」とプラグインハイブリッドモデル「アルトゥーラ」。そういえば今回は移動の足にアルトゥーラが提供されたが、自分のような運転レベルでも緊張を強いることのない懐の深さに感激した。電気からガソリンに変わる時の快感、加速の素晴らしさを味わわせてもらった。
従業員数は2500人ほど、フェラーリのほぼ半分ということになる。そのうちデザインとエンジニアリングの担当は合わせて555人。公表されていないから確かとはいえないが、伝えて聞くところによるとこのうちデザイナーは50人ほどのようだ。これでいけばエンジニアリング系は500人あまり。現代の自動車製作は生産工程まですべてデジタルで進めるから多くのオペレーターを必要とするものの、それでも全体のボリュームとの兼ね合いから見ると多いのではないか。同社はマテリアルの研究開発にも熱心、それでこの数になるようだ。もうひとつ、CMFデザイナーが8人いると聞いて、これにもびっくりした。他社と比べるとこれまた多いはず。カラー(C:色)、マテリアル(M:素材)、フィニッシュ(F:つくり込み)をカタチづくりと同じくらい大切にする、その証しかもしれない。
デザイナーとエンジニアの男女構成は半々とはいかないまでもエンジニアも含め、女性が多いこともマクラーレン社の特徴という。これは同社が大切にしているポイントのひとつで、この視点から社会貢献活動を行っている。教育機関と提携した理系の人材育成に非常に力を注いでいるが、特に科学、工学、数学をベースとした女性エンジニアの育成を重要視しているのだ。具体的には幼児期から興味を持ってもらうために、ジェンダーに縛られない育て方や親子のコミュニケーションを提案する。目の付けどころが新鮮だと思う。これって英国的な発想なのだろうか? イタリアやフランスでは見過ごされている視点だ。
魅力あふれる「小さな組織」
2500人を率いるのはドイツ人エンジニアのマイケル・ライターズ氏。2022年7月、マクラーレン・オートモーティブのCEOに就任した。フェラーリの前はポルシェで名をはせた、スポーツカーを知り尽くしたカーガイである。今回はグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードの会場で話を聞くチャンスを得た。
彼に聞きたかったことは主に2つ。ひとつ目は個人的な興味かもしれない。なぜこの職を受けたのか? 前述のとおり、前職はフェラーリの “花形エンジニア”。誰もがうらやむポジションだ。それを投げうってまでなぜ? 何よりマクラーレン社は設立から10年を待たずして急成長を遂げたものの、コロナが運んだ大波にのまれて販売台数を落とした。彼が就任した時期の同社は難しい時期にあったのだ。難しいとわかっているのに花形を捨ててまで、なぜ?
彼の答えはこういうものだった。
「ライトウェイト、ステアリングフィール、エンジン特性といった自動車のダイナミズムにとって最も重要な要素において、マクラーレンは飛び抜けています。優れた技術力には柔軟性があって、この点で私のような技術屋には素晴らしく魅力的なメーカーであるからです。過剰供給といった販売戦略を見直し、ラインナップの明確化、デザイン言語の確立を強化していけばさらに伸びていくことを確信していました」
いかにもエンジニアらしく論理的で説得力のある答えではあったけれど、正直なところ、“頭の放った声”に感じられた。自分が求めていたのは“心の声”。このとき思い出したのは、かつてマラネロ時代にインタビューした時のこと。イタリア語でとてもフランクに答えてもらった。それで急きょ、イタリア語で「あなたの心の声が聞きたい」と言ってみた。空気が緩み、ライターズ氏がガハハと笑った。座る姿勢もくつろぎモードへ、話し方も「私」から「僕」へ。
「CEOの肩書が欲しかったんじゃないんだよね。マクラーレンの規模に引かれたんだ。コンパクトな数(総従業員)、この人数なら僕の声がみんなに届く。やりたいことがダイレクトに伝わる。これまである意味“大きな組織”にいたから、気持ちが仲間に染み込むのに時間がかかったからね。利益率を上げることができる、この点にも自信があった」
ここからしばらく談笑。免許を取って最初のクルマは「オペル・コルサ」。「めちゃくちゃ楽しんだ」という話を聞き、手巻きの腕時計を見せてもらい、それからイギリスの会社の気風について。ドイツは正確だが柔軟性に乏しく、イタリアは情熱的だが時に飛ばし過ぎてとんでもない方向に行く。イギリスは双方のいいとこ取り、でもプライドが高く「これはちょっとね」。彼の苦労をほんの少し垣間見た気がした。
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必要な“物語”を携えながら
2つ目の質問はおそらく多くのファンが知りたがっていることだと思う。冒頭に記した「60年前から続く1本の線」を彼はどんなふうに伸ばしていこうとしているのか? CEOの描くビジョンを尋ねた。「エレクトリフィケーション(電動化)とかカテゴリーの拡大とか、具体的なことも含めて」と付けたが、これは前任者が否定した点である。
「一般的にスーパーカーは大馬力を有しますが、ヘビーです。最高出力は2000PSもあるけれど車重は2t、そういうスーパーカーをわれわれは絶対につくりたくない。高い技術力を駆使して、よりラディカルで、よりイノベーティブ、もちろん軽量なクルマをつくりたい」
「バッテリーも含めてわれわれには革新的なアイデアがあって、このアイデアを『シェアド・パフォーマンス』と呼んで議論を進めているところです。スーパースポーツカーのセグメントとは異なるSUVや2+2、2枚よりも多くのドアを持つモデルもこの中に含まれます。私のビジョンはこのプログラムを進めていくことですが、その前に利益率を高めるなどまず基盤をつくらなければならない。それができた段階で第2ステップに入ります。この第2ステップに入ることができた段階でセグメントの拡大が具体化します。新しいことをするには新しい技術への投資が必要。ビジネス面も大事です。簡単なことではありませんが、可能である、と考えています」
エンジンをリアミドシップに置く構造、非日常的なスタイリング、最新技術とマテリアル、飛び抜けた性能、並外れたドライブフィール、そして高価格、すべてにおいて抜きん出ている自動車のことをスーパーカーと呼ぶのだと思う。一方で、すべての要素がそろっていてもそこに「物語」という付加価値が加わらなければ、人の心を動かすことは難しい。ブランド力は育たない。自動車が大転換期にある現在、多くの野心家がEVスーパーカー製作に名乗りをあげるが、成立や継続が難しいのは価値に見合う物語をつくり出せていないためのように思う。
歴史も物語の重要な要素だが、これだけではないはず。つくり手の顔ぶれ、彼らの熱情、信念、会社の在り方、すべてストーリー。社会貢献活動も。ビハインド・ザ・カーが豊かであればあるほど、そこに広大な世界が広がっていればいるほど、自動車は面白くなる。この点で言えばマクラーレンは実に多くの物語を内包する。60年前に始まった物語は、技術力を基盤として多様な世界に広がっていく、同社を訪問して強く思った。
最後にマクラーレンのCEOにこう問いかけた。「あなたはスーパーカーの未来を信じますか?」
答えはもちろん「イエス!」。実に頼もしい答え方だった。
(文=松本 葉/写真=マクラーレン/編集=関 顕也)

松本 葉
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