第821回:安心・安全な交通への寄与に期待大! フロントブレーキライトは今こそ普及のチャンス?
2023.08.17 マッキナ あらモーダ!巨匠ジウジアーロの悲願
今回は、実現できそうでいまだにできない「フロント用ブレーキライト」に関するお話を。
思い出すのは、2023年8月7日、85歳の誕生日を迎えたイタリア人自動車デザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロ氏である。彼は、1980年代から当時自身の会社だったイタルデザインのコンセプトカーで、たびたびフロント用ブレーキライトを提案してきた。
以前、彼の会社を訪ねた際に本人に聞いたところ、きっかけは母親が生前繰り返していた言葉だったという。「『道を渡るとき、やって来るクルマが止まるかどうかわかれば、もっと安心なのにね』と、いつも言っていたのがきっかけでした」。
前回の本欄にも記したように、イタリアでは横断歩道で待っていても、一時停止してくれるドライバーは決して多くない。止まるかと思いきや、「すまん、すまん」といった身ぶりをしながら止まらず通過するドライバーもいる。それならまだしも、渡っている筆者をスピードを落とさずにわざわざ避けて走り去るクルマもある。
そうした状況に遭遇するたび、ジウジアーロ氏の母親のように、「フロントにブレーキライトが装着されていれば、クルマが止まるかどうかわかるのに」と思うのである。
今回の執筆を機会に調べてみると、ジウジアーロ氏以前にも、フロントのブレーキライトを試みたクルマがあった。
プレキシグラスの商標で知られる米国のプラスチック専門メーカー、ローム・アンド・ハース社による1969年のコンセプトカー「エクスプローラーV」である。主に自社製樹脂部品の活用をアピールすべく開発したものだったが、そのひとつとしてブルーの光を発する前方用ブレーキライトが提案されている。さらに1971年には別のフロントブレーキライトの研究が行われている(以上出典:The Autopian 2022年10月5日)。これは、ちょうど1965年のラルフ・ネーダー弁護士によるゼネラルモーターズ(GM)の告発をきっかけに、米国を中心に自動車の安全論議が高まっていた時期と一致する。
ジウジアーロ氏は、こうも語った。「にもかかわらず実現されていません」
日本の法制下では絶望的
なぜ、フロントブレーキライトはいまだに実現していないのか。手始めに、日本における道路運送車両の保安基準を調べてみた。
その39条には「自動車(最高速度20キロメートル毎時未満の軽自動車及び小型特殊自動車を除く。)の後面の両側には、制動灯を備えなければならない。ただし、二輪自動車、カタピラ及びそりを有する軽自動車並びに幅0.8メートル以下の自動車には、制動灯を後面に1個備えればよい」と記されている。
ここまでだと、「後面」としか記されていない。曲解すれば「前にだって、ブレーキライトがあってもいいじゃないか」と言うことができる。ところが自動車に装着可能な灯火類は、その前の第32条から41条を用いて細かく定められている。さらに、それらを締めくくる第42条(その他の灯火類の制限)は、「第三十二条から前条までの灯火装置若しくは反射器又は指示装置と類似する等により他の交通の妨げとなるおそれのあるものとして告示で定める灯火又は反射器を備えてはならない」と記されている。すなわち、前方用ブレーキライトを実現できる余地はない。
道路運送車両の保安基準の細目を定める告示には、さらにフロントのブレーキライト実現を阻む文言を発見できた。第134条(制動灯)の3項七には、「制動灯は、自動車の前方を照射しないように取り付けられていること」である。
同じ告示の140条(その他の灯火類の制限)もしかりだ。こちらには自動車に備えてよい照明の色が細かく規定されている。詳細は割愛するが、色という点からしても、後方のブレーキライトと同じ赤い灯火をフロントに装備することは不可能であることがわかる。たしかに、車両後部にあると広く認識されている赤い灯火を前方に装着するのは、進行方向の誤認などを招く恐れがある。
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欧州で続けられる実装への取り組み
いっぽう欧州では、このような動きもある。その名もずばり「フロントブレーキライツ」で、ルマコ・イノベーションズという企業が普及を試みている。同社の母体であるルマコ社は2007年にスロバキアに設立された会社で、生産ラインへの産業用ロボットの設置や自動車部品のエンジニアリングなどを手がけている。ドイツ、スイス、チェコにも拠点をもつ。
同社のフロントブレーキ用ライトの専用サイトでは、「2017年にヨーロッパの道路における年間死亡者数は約2万5300人、重傷者数は約13万5000人でした。医療、リハビリテーション、失われた仕事の社会的コストは年間約1200億ユーロにのぼります」とのデータを明示。より安全な交通環境を実現する必要を説いている。
さらに読み進むと、「ドライバーは歩行者の動きやボディーランゲージで、ある程度察することができる」と説明されている。ちなみに、イタリアでは横断歩道で手を上げる習慣はないが、筆者自身はファシスト式敬礼に見えないよう気をつけながら上げている。大切なのは次だ。「逆に歩行者はドライバーの意思をほとんど読み取れません」。そこで前部にブレーキライトがあれば、横断歩道を通過したり、交差点で曲がったりしてくるドライバーの意思を、より的確に歩行者に伝達できる、という提案だ。さらに車・車間でもコミュニケーションが容易となり、衝突事故の抑止につながるという考えである。
灯火の色は「緑」と「白」に絞ったが、最終的に白は、他の照明と視覚的に混同される恐れがあるため、他の灯火に使われていない緑を選んだという。装着車両は、2017年にベルリン・テーゲル空港(2020年閉鎖)で実証実験が行われ、良好な結果を得た。
ルマコ・イノベーションズはフロント用ブレーキライトのコストも試算している。それによると「車両1台あたり30ユーロ以内にすべき」とするいっぽうで、自動車の総コストに大きな影響はないとしている。30ユーロといえば、円安の影響もあるが約4600円に達する。銭単位のコストダウンを模索している日本の自動車メーカーには、たわごとにしか聞こえないであろう。まだまだ価格低減の余地がある。
同じくルマコ・イノベーションズによれば、欧州でも保安基準の壁が日本同様に存在するという。第1に「緑が灯火と認められる必要がある」ということ、第2に「制動灯が前部にも認められる必要がある」ということだ。しかし、ウィーン道路交通条約(道路交通に関する国際条約)を改正するのは極めて困難であり、そのため「EUのみの法改正で実現するのが望ましい」と説明している。2018年には欧州議会のディーターL・コーホ議員(当時。ドイツ選出)が、ブリュッセルで開催した交通安全に関するワークショップで、このフロント用ブレーキライトを取り上げている。その後も、欧州議会関係者との情報交換を進めているという。
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これぞ最高のADAS
いっぽう米国では、2023年8月10日に、米カリフォルニア州がグーグル傘下のウェイモとGM傘下のクルーズ両社に自動運転完全無人タクシーの24時間営業を認可した。
歩行者にとって、自動運転車が横断歩道で正確に停車してくれるかは、ドライバーが操作している車両よりも不安であろう。完全無人タクシーをニュース動画で確認すると、停止前に前後およびドアミラーのハザードランプが点灯するようだ。そこから一歩進めて前方ブレーキライトの導入を議論するうえで、完全無人タクシーはいいチャンスではないかと筆者は考える。
ところで、イタリアでは筆者は万一を考え、衝突被害軽減ブレーキ付き運転支援機能(ADAS)が装着されていそうなクルマが来たときにも、なるべく横断する意思を例の挙手などで示すようにしている。先日朝、横断歩道で待っていると、白い「メルセデス・ベンツ・ヴィート」がやってきた。明らかに観光ハイヤーである。夏真っ盛りで彼らの業界は超多忙だから、止まってくれるとは期待していなかった。ところが、横断歩道の前でピタリと停車した。運転席をのぞくと、2021年7月の本連載第727回で記した、食料品店店員から一念発起してドライバーに転身したマッシミリアーノ氏である。にこやかな笑顔を見せ、「どうぞ」のジェスチャーをされた。小さなコミュニティーでは、“顔”が最高のADASなのである。
(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=Akio Lorenzo OYA, イタルデザイン, BIRVp / Lumaco Innovations, クルーズ, Massimiliano Mori /編集=堀田剛資)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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