第855回:追悼パオロ・ピニンファリーナ その偉業と気さくな人柄をしのぶ
2024.04.18 マッキナ あらモーダ!兄の急逝を受けて急きょトップに
イタリアを代表するデザイン&エンジニアリング会社のひとつ、ピニンファリーナのパオロ・ピニンファリーナ会長が2024年4月9日、トリノで病気のため死去した。65歳だった。
パオロ氏は1958年8月28日にトリノに生まれた。祖父は創業者のバッティスタ“ピニン”ファリーナ、父は同社中興の祖であり終身上院議員も務めたセルジオ・ピニンファリーナ。パオロ氏が3歳の年、一族はバッティスタの国家への経済貢献を評価した共和国大統領によって、姓を商号と同一のPininfarinaとすることが認められている。
パオロ氏はトリノ工科大学の機械工学科を1982年に卒業。ゼネラルモーターズとの共同開発車である1986年「キャデラック・アランテ」計画では、品質管理および信頼性担当責任者を務めた。またホンダでも研修を積んでいる。ただパオロ氏にとって最初の活躍の場となったのは、自動車以外のプロダクトデザインを手がける子会社、ピニンファリーナ・エクストラであった。
やがて1988年にはグループ取締役、2006年には副会長に就任。当時のピニンファリーナ社は、デザイン・設計開発とともに、大手自動車メーカーからの車体の受託生産も数多く受けていた。
ところが2000年代に入ると、クライアントである自動車メーカーが、相次いで委託生産計画を縮小。そのあおりを受けてピニンファリーナに創業以来の危機が訪れた。そうしたなか、2008年8月には兄アンドレアが51歳で急逝(参照)。そのためパオロ氏はグループの会長職を急きょ継承することになった。50歳の年だった。
ピニンファリーナの再生に尽力
パオロ氏以下経営陣は2011年までに国内3工場を閉鎖し、全生産事業から撤退した。同時にトリノ郊外のカンビアーノ本社を拠点とする研究開発企業として再出発。2012年に父セルジオが85歳で死去したあとも、海外の高級コンドミニアムやイスタンブール空港の管制塔施設など、建築部門などで果敢に市場拡大を図った。
2015年にはインドのマヒンドラグループへの傘下入りを決断。2018年には同社とともに高級電気自動車(EV)メーカー、アウトモビリ・ピニンファリーナをドイツ・ミュンヘンに設立し、本格的な自動車製造業に復帰した。1号車は祖父の名を冠した電動ハイパーカー「バッティスタ」だった。
航空技術者で、経営危機のただ中である2007年に入社して以来パオロ氏を支えてきたシルヴィオ・アンゴリCEOは「われわれは全員、会長の並外れた貢献に対して大変感謝しています。彼はピニンファリーナの歴史とコーポレートアイデンティティーを、スタイルと倫理的・行動的選択の両面から常に情熱的に提唱してくれました」と公式声明でコメント。さらに「私を会社のリーダーとして認知してくれたことに感謝しています。この数年間、私たちは多くの勝利と挑戦を分かち合い、常に互いに助言し、支え合いました。彼の思い出をたたえる最善の方法は、彼が望んでいだようにピニンファリーナの未来にコミットし続けることです」と述べている。
イタリアではベルトーネをはじめ幾多のカロッツェリアが時代や業界の変化に対応しきれず、淘汰(とうた)されてきた。そうしたなか、イタリア自動車産業およびデザインの優秀姓を象徴してきた自社を倒産の危機から救い、業界の新しいビジネスモデルを見いだしたパオロ氏の業績は評価されるにふさわしい。
名門出身とは思えぬ人柄
ここからは筆者のパオロ氏との交流を振り返ってみたい。最初に出会ったのは1991年夏、米国ミシガン州グロスポイントの古典車イベント「アイズ・オン・クラシックス・デザイン」を取材したときだった。当日の特集車両は歴代ピニンファリーナ車で、パオロ氏は兄アンドレア、姉ロレンツァ両氏とともに、屋外のテーブルでランチを楽しんでいた。珍しく勢ぞろいしているので撮影させてほしい旨頼むと、彼らはすぐに快諾してくれた。その日、日本人で唯一の記者が珍しかったのだろう。ところがシャッターを切ろうとすると、パオロ氏が「待った!」というジェスチャーで止めた。何かと思えば筆者の一眼レフカメラのストラップがレンズに引っ掛かっていたのだった。このハプニングのおかげで、和やかなワンショットが撮れたのを記憶している。
1996年にイタリアに住み始めてからは、モーターショーやインタビューでパオロ氏に頻繁に会うようになった。当時のピニンファリーナは従業員2000人を擁するイタリア最大級の一次協力会社であり、(今日でも同じだが)ミラノ証券取引所の上場企業だった。その創業者一族とは思えぬ気さくな人柄だった。
2008年10月のパリモーターショー(参照)は、前述で記した兄アンドレアがスクーターで出勤途中、交通事故で死去した直後の国際ショーだった。同年春には第三者割当増資をフランスのボロレ社に引き受けてもらったものの、別に支援を要請していたオランダ-ベルギー系銀行が世界金融危機のあおりを受けて経営危機に陥る、という泣きっ面に蜂の状態だった。ブースには重々しい空気が漂うとともに、終わりの始まりを見に来た記者たちで、奇妙な空気が横溢(おういつ)していた。しかし会長就任わずか2カ月のパオロ氏は、ボロレ社との共同プロジェクトで、パリのカーシェアリング車両のもととなるEV「Bゼロ」を前に、「兄は、とりわけこのプロジェクトに注力していました」と、当時の思いを赤裸々に告白することで、会場の大きな拍手を誘った。
デザイン&エンジニアリング事業に集約してからのパオロ氏は、自社を「健康体の会社」「ピニンファリーナ2.0(バージョン2)」と、さまざまな表現を駆使して再生をアピールした。
中国市場も果敢に開拓した。2018年4月の北京ショー(参照)では、新興企業・正道集団のためにデザインした「ハイブリッド・キネティックHK-GT」を披露。しかしそれだけではなかった。記者会見の場で、両社の協力関係に関する覚書に、パオロ氏以下首脳陣が署名したのだ。そうした現地ならではの、他国のモーターショーを知っている人にはやや当惑するような演出にも、彼は巧みに対応した。
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自動車以外の話も聞きたかった
2022年6月21日、自社風洞設備の開設50周年記念式典に招かれたときだった。パオロ氏は同年3月に父と同じトリノ工科大学を卒業したばかりの娘イオレ氏とともに会場に臨んでいた。ポートレートを撮りたいとパオロ氏に相談すると、彼は「ここにしましょう」と屋外の一角に立った。「完成披露の記念写真に父(セルジオ)が写真に収まった場所ですから」という。筆者が「披露の日を覚えていますか?」と聞くと、彼は「私は出席できませんでした」とパオロ氏は首を振り、「高校生だった私は、父から『ちゃんと学校に行きなさい』と命じられてしまったのです」と教えてくれた。
続いてパオロ氏は「対して、兄はいつも父の前でバイオリンを弾いていました」と楽器を演奏する身ぶりをした。初耳なので問いただすと、本当の意味がわかった。パオロ氏いわく、1歳上だった兄は、父の前をはじめ、常にバイオリンでBGMを奏するがごとく社交的で、父にも気に入られることを心得ていた人物だったという。兄弟のキャラクターの違い、父による兄と弟への接し方の違いが垣間見えた。そうした打ち解けた会話が、筆者にとってはパオロ氏との最後になってしまった。
音楽といえば少し前、ピニンファリーナの関係者がある秘蔵写真をシェアしてくれた。社内催事と思われる場所で、ワイシャツ姿のパオロ氏がなんとドラムをたたいているショットだった。調べてみると、2018年にも慈善団体の夕食会でスティックを握り演奏する彼の姿が、地元紙によって小さいながらも報道されていた。自動車以外の話も、もっとしたかった。これが、彼の突然の逝去を知った筆者の偽らざる思いである。
(文と写真=大矢アキオ ロレンツォ<Akio Lorenzo OYA>/編集=堀田剛資)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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